発想を大切に

息子のジャージがリビングに放置されていたので、何気なく見てみるとひざ下に穴が空いていることを発見しました。お風呂から出てきたタイミングで、本人に聞いてみることに。「ジャージの穴、どうしたの?」「転んだんだよ~。」「いつ?大丈夫だった?」「年末。」最近のことじゃないんか~い!と笑いながら伝えました。「穴が大きくなる前に縫いたいから、早めに教えてね。」「みんな男子は何かしら穴が開いているよ。」ん?男子の勲章?!と思いながら、女子としての感覚でいたらだめだなと改めて思わせてもらった面白い時間でした。とりあえず縫ったものの、逆に文句を言われたら解くことにして。攻防戦はこれからも続く。そして、一緒に回転ずしに行った週末、締めのデザートを食べながら美味しそうに緑茶を飲み、茶道のようにわざと湯呑みを回すので笑ってしまって。「そういえば、ママって高校の時に茶道部だったんだよね。芋けんぴとか出なかったの?」「基本的にはおまんじゅうです!そんなね、気品のある和室でぽりぽりかじっていたら、家元の先生に怒られるよ。」「へえ。締めのラーメンとか出ないの?」「出る訳ないでしょ!!」と大笑い。高校に入ったら茶道部があるかもしれないから、文化祭の時にでも行っておいでと未来の宿題を伝えておくことにして。男子の発想、果てしないな。

2月はいろんなことを思う月。振り返ってみると、やっぱり様々なことが繋がっているのだともう一度考えさせられました。元夫と結婚して1年目、ご実家にお邪魔をすると亡くなられたお義父さんの仏壇が見当たらないことに気づき、何気なく聞いたことがありました。すると、彼から奥の方にしまってあると教えてもらって。その話を聞き、本当にもしかしたら出過ぎたことかもしれないと思いつつ、うちで引き取れないかと聞いてみました。少し驚かれたものの、こちらの気持ちが伝わりうちのマンションに置かせて頂くことに。小さな遺影は、結婚式の時彼の内ポケットに入っていました。お義父さん、見守ってくれてありがとうと手を合わせ、毎日お水を変え、話しかけるのが私の日課に。その翌月、妊娠が発覚しました。偶然か、必然か。何か不思議なものに包まれているような気もして。そして、妊娠悪阻があまりにも酷く、嘔吐を繰り返しながらもなんとか臨月まで辿り着き、難産の末息子が生まれたのは、お義父さんと同じ誕生日でした。これは何を意味しているのだろうと、考えずにはいられなくて。ありがとうが駆け巡った特別な日になりました。
結婚1年目は、母が祖父の介護で疲弊し、出口の見えない長いトンネルの中を彷徨って苦しそうに見えたので、何か光をと思い、うちの近くの分譲マンションを買っておかないかと提案しました。非常に驚いた母、そして聞いてくれて。「Sがそこまで言うのはどうして?」と。「うちのマンションを買った時、本当に親身になってくれた営業の方がいたの。この人なら信頼できると思って、この辺りの他のマンション事情も聞いたんだよ。そうしたら、買うだけ買ってすぐに住めなくても、賃貸に出すことはできるし、本当に住めなかった場合でもまた売ることはできる。いろんな可能性を話してくれてね。一度、こっちに来る機会があれば、おすすめの物件を見るだけでも見に来ない?お母さんの小さな希望にでもなれたらなと思ったよ。」そこまで話すと納得し、話は驚く程あっさり進んでいきました。実際に見に行った二つ目の物件は、母の一目惚れで。旦那さんは自衛隊の方、奥様はライターという素敵な40代のご夫婦でした。実は、もう一組見に来られたご年配のご夫婦がいる、でも奥様は母を気に入り、この方に買って頂きたいと思ってくれたよう。物件は2SLDK、母が一人で住むには広すぎる。それは分かった上で、父が同居するイメージが湧いたのでここだと思い、私からも母をプッシュしました。すると、話はどんどん進み、無事に契約することに。姉は不妊治療の真っ只中、父にも内緒で事を進め、そんな時に私が妊娠し、悪阻が一旦落ち着いた頃に、賃貸で借りたいと言ってくれた若いご夫婦がいて、そちらも無事に決まりほっとひと段落。その後、祖父は他界し、母が伝えてきました。「いろんなことが落ち着いたら、もうマンションに行ける状態になったのに、賃貸で入ってもらっているからしょうがないわね。」そんな話をした頃だったか、若いご夫婦の転勤が決まり、これまたすごいタイミングで空くことに。母はやっぱり何かに守られている人なのか、そういう流れだったのか、こちらも驚いて。そして、冷静に伝えました。「お母さんのマンション、一括キャッシュで買えたのは、おじいちゃんの生前贈与のこともあるし、お母さんがコツコツ貯めて手に入れたものだから、別居中のお父さんに内緒で買っていたとしても文句は言われないと思う。でもね、まだ法律的に夫婦だし、連絡も取り合えているし、結婚生活で支え合ってきたのもまた事実だから、こっちに来る前にきちんとお父さんに伝えてね。電話でもメッセージでもなく、面と向かって話してきて。お母さんが誠実に話せば、お父さんへの感謝はきっと伝わると思うから。」そこまで話すと深く理解し、実際に父宅へ出向いて話してきたと後から教えてくれました。「お父さんの反応はどうだった?」「びっくりしていたけど、意外と落ち着いていた。でね、それよりも税金関係を心配されてね。家賃収入があるならきちんと収めなきゃだめだろって。」色々あり過ぎて盲点だった!お父さんナイス、こういう所はやっぱり頼もしいなとつくづく思って。そして、私からも電話を入れました。介護はお父さんが思う以上に大変なもの、お母さんに希望を持ってもらいたかったからマンションのことはこちらから提案した。お母さんがこっちにくるとお父さんは一人になるから心配だし、65歳で退職する時にまた二人で話してほしいと伝えると、気持ちをよく分かってくれました。その後、父が退職する時、母に電話で伝えたらしい。「おい、そっちに行くぞ。」と。私を介さず二人で決めたのは褒めてやろうか。

どうして、両親宅のマンションを磨きたくなるのか、こんな理由が沢山詰まっているからなのだと痛感しました。佐賀の祖母が他界した後、ネネちゃんに言われた言葉も納得。「Sちんはもう何もしなくていい!」ごもっともだ。サービスルームは想像通り、父の部屋になった。分譲マンションを買い、賃貸に出す前、まだよちよち歩きの息子と風通しに何度も出向いた空っぽの部屋。頭が重く、何度もズデッと転ぶのに障害物がなくてちょうど良かった。いろんな歴史がすでに沢山あるねとしみじみ思って。どちらを先に見送ることになるだろうか。娘が来てダイニングテーブルにちょこんと置かれたお惣菜、一人になってタッパーを空けた時涙を一滴こぼす彼らが想像できる。その時間が愛に満ちていることを願って。