この間、書いた記事を本当に久しぶりにボツにしました。読み返す気にもなれず、とりあえずどこかのフォルダーにでも入れておこうとクリックすると気づいたことがあって。随分前も公開しなかった記事を残していたファイルが、見当たらないなと。卵巣を摘出することになった5年前、日の当たるカフェでプログラマーのMさんに伝えたことがありました。卵巣がんだった場合、予定通りには戻ってこられないと思う。その時は、さすがに公開期間が空いてしまうから、デスクトップに張り付いている、見送った記事をアップしてくれないかと。そこに書かれていたのは、なんでもない息子との日常でした。読み返す程のこともない、そこにある陽だまり。それでも、その時の私にとってその時間がどれだけ大事だったか思い知り、お願いしました。それを聞いたMさんは、一瞬の間があり、「分かった。でも戻ってきて。」と。深く優しい時間でした。その時に渡そうと思っていた記事が見つからないということは、どこかのタイミングで削除したのか?!とそれさえも思い出せなくて。ただ前だけを見たかったのかな、忘れかけた頃に意外な所から出てきたら面白い。記録、その意味をずっと考え続けてきた。ふわっと誰かに届いたらいいね。
慌ただしい朝、いろんな通知が来ていたことは知っていたものの、落ち着いてからスマホを見直してみると、父からのLINEが紛れていることが分かりました。すでに2時間前のこと。『おはよう。今在宅中かな外かな』短いのにここに父らしさを感じるのはなぜだろう。今は家にいるけど、午後は出てしまうと伝えると再度返信が。『お菓子扉にかけておくから食べて。』と。佐賀からお帰りだねと思いながら買い物を済ませ、家に戻ると本当に袋がかけてありました。中身を見ると、泣きそうになって。それは、大好物の北島の花ぼうろのお菓子でした。父は私の好みを知っていたのか、いつか話したことをさりげなく覚えてくれていたことに驚いて。それは、佐賀の祖母が他界した去年の1月、帰りは新幹線を選び、佐賀駅でばら売りになっていたものを息子とMさんに電車の時間を気にしながら慌てて買ったもので、そんな時間が懐かしい。そして、まだ小学生の私と祖母との会話が思い出されました。北島のお店までおじいちゃんの運転で送ってもらい、おばあちゃんと店内へ。「Sちゃんどれがよか?」「丸ぼうろよりもふわふわした花ぼうろが沢山ほしい。」単価がそちらの方が高いことを知っていました。でも、おばあちゃんに甘えられる絶好のチャンスだと思い、わがままを言ったことをはっきり思い出して。実家の祖母にも甘えた、でも病気といつも戦っていたことは分かっていて、あまり無理をさせたらいけないと子供ながらに思っていました。だから、滅多に会えない佐賀の祖母に無茶ぶりをして。指をさし、大きな箱に入った花ぼうろをお願いすることに。困惑したおばあちゃん、でもせっかく孫が来てくれたからと買ってくれました。実家ではあり得なかったこと、私にもそんな一面があって、受け止めてくれた祖母の愛に胸がいっぱいでした。大きな箱を抱きしめて、祖父が待つ車の中へ。そのドリームボックスが、小さな箱になり、父から届くなんてね。そして、メッセージを送ることに。『北島の花ぼうろ、Rも私も大好物だからありがとう。佐賀のおばあちゃんがよく買ってくれたよ。おじいちゃんは、お父さんを説得しに行くと言って、大学4年の時に一緒に新幹線に乗ってくれた。その時に買ってくれた幕の内弁当の味を一生忘れない。喧嘩しながらでも、お母さんとの人生を大切にしてね。』そう伝えると、数分経って、『了解』とだけ返信がありました。その文面を読み、ふふっと笑ってしまって。父と母の祖父母がどんな思いで二人の復縁を願っていたか、娘を通して少しずつでも見えてきたのだろうと。仕事を引退したからこそ、ゆとりを持てた中で気づいたことがあったはず。佐賀の高校を卒業して、18歳で家を出たから、一緒に暮らした期間はそんなに長くない。でもだからこそ、私が遊びに行くと、祖父母がどんな風に父を気にかけ見守っているのか痛い程伝わってきました。「お父さんね、優しいSちゃんにはそばにいてほしいと思っているとよ。私には本音を漏らしてきた。」と何気ない会話の中で祖母がぽろっと伝えてきたことがありました。そのセリフね、母方の親戚にもお父さん漏らしていたんだよ~と心の中で吹き出しそうになって。負担をかけたくないと言っている割には、だだ漏れやないかと思っていたのだけど、紆余曲折あった中で結局父まで関東に来て、そばに住んでいるのだから笑えるなとこれまでの歴史を辿りました。私が呼んだわけじゃないのに、お父さん近くに来たよと佐賀の祖父母に話しかけてみる。社会科だけは得意だと父は言った、その血は娘だけじゃなく、孫にも引き継がれたよ、たった一度だけ抱っこしてもらった祖父母のひ孫。その機会は、名古屋の祖父の葬儀でのこと、最後の最後でおじいちゃんが繋げてくれた。
息子がいずれ結婚をする時に、まだ前の夫の姓を名乗り続けていたら、迷惑をかけてしまうのではないかと、あれこれ悩んでしまった時期があり、それも通り越しました。そんな先のことを考えていても、結婚するとは限らないし、そもそもあっけらかんとした奥さんかもしれないなと。そして、息子は子供を持たないのではないかと本能的なものがそう感じさせていて。おじいちゃんは、自分の息子を生後1週間で亡くして以来、男の子を切望していた、でも私が男の子を授かり、祖父はどこかで満たされた気持ちになったのではないか。おじいちゃんのストーリーは、そこで完結しているような気がして、息子には伸び伸び~っと何も考えず好きなように生きてほしいと思っています。「もう、Rのわがまま炸裂してお母さん大変だから、働き出したら最初のお給料でなんか買ってもらおっ!」「何がいいの?」「ハーゲンダッツ!!」「え?!それだけ?」「それで十分。」そう言って笑うと一緒に笑ってくれました。幼少の頃、ストッキングを履いた後に何度も絡まってくるので、何度伝線させたことか。その度に、初任給でストッキングを買ってもらおうと思っていた。そんな思い出が、何よりのプレゼントだと最近思う。一緒に笑える“時”が贈り物。きっと4人の祖父母もそう思っていたに違いない。いつかまた佐賀に行き、花ぼうろを箱買いしてこようか。