次の一手

日々考えることがいっぱいだなと思いながら、パソコンを開き、外の空気を吸いに行こうと買い物へ出ると、行く途中で不動産関係のお仕事をされていたHさんに偶然会い、お互い笑顔でご挨拶。「こんにちは!本当によく会いますね。ランチタイムですか?」「はい。でも早く済んだのでまだ時間があって、もし空いていたらマックでも行きますか?」と誘ってくれたので、短時間だけお茶をさせてもらうことにしました。前回会った時よりも、彼の背景の色は明るくなっていてこっそり安堵。開業が進まなくても、今できることをと気持ちを切り替えたんだなと。そんな彼の姿に嬉しくなり、シェークを飲みながら中学校の部活の話で盛り上がりました。息子の中学の先輩でもあるHさんに、囲碁将棋部がある話をしたら伝えてくれて。「昔からありましたよ~。ボクの頃は、無線部もありました!」「え?なんですかそれ?」「トラックの運転手さんなどと無線で話したりするんです。」「面白そう!」とわいわい。そして、息子が卓球部に入り、こちらの方が世界卓球を観て熱狂してしまった話をすると言ってくれました。「本当にスポーツ観戦がお好きなんですね!僕、バスケ部だったからこの間バスケの試合を観に行ってきたんです。もし良かったら秋にでも一緒に観戦に行きませんか?」これは嬉しいお誘いだ、でも息子はなんて思うだろうと一瞬ぐるぐる。タイミングが合えば行ってみたいですと素直な気持ちを伝えると、丸ごと分かってくれたようでした。ズッ友ですもんね、こちらは気長に待ってますよ、○○さんに無理がないのが一番です。そんな気持ちが届き、胸がいっぱいになりました。別居をする前、彼に話すと、なんとかなりますよ!と笑って伝えてくれたその言葉は、今も私を前へ動かしてくれている。

その後、いつものように笑ってお別れをし、ショッピングセンターのトイレへ入ると、「Sちゃん?」と声をかけてくれた人がいて。慌てて振り向くと、広報委員で一緒だった友達がいてお互い嬉しい驚きでした。「髪切った?」「そうなの。」「どうしちゃったの?」いやいやどうもしていないのだけど、彼女のリアクションが笑えるなと返事をすることに。「夏だから気分転換に切ったの。」「随分切ったね!いいじゃん!一瞬誰かと思ったよ~。」と大盛り上がり。気分が上がると、誰かに会いやすくなるのか?と不思議な力が働いているようで、感激してしまいました。あれこれ中一男子の話で笑い合い、また改めてゆっくりお茶しよ!と最後に伝えてくれて。雨の卒業式が終わり、ほっと帰宅すると、息子はすぐに友達と遊びに行き、一人になったタイミングで彼女が自分のスマホにも写っていた子供達の写真を何枚も送ってくれました。そして、Sちゃんは私の癒しだと。その文面を読み、どっと泣けてきたことを思い出しました。子供達はどんどん大きくなっていくのだけど、私達の友情は変わらないんだねと改めて思った、優しい再会でした。
その後、お米をどうしようかなと考えていたら、そういえば佐賀のおばあちゃんが時々実家に送ってくれていたことを思い出しました。そう、佐賀のおじいちゃんは兼業農家でお米を作っていた。大きな段ボールにパンパンに入ったお米と、おばあちゃんが作ってくれた高菜が入っていて、それがどれだけの幸せをもたらしてくれていたか、痛感させられました。子供の頃、姉と二人で佐賀へ遊びに行くと、祖父は軽トラの後ろに私達を乗せ、田園風景を運転してくれて。その時の稲穂の匂いが蘇ってきました。家に帰ると、どんなおかずの時も、明太子とおばあちゃんが作ってくれた高菜があり、あたたかい食卓の時間が待っていて。それから十数年後、銀行で苦しい思いをした父は、家を出ていきました。大学4年になり、教育実習も終わり、卒論も書けて、あとは卒業式を待つだけという時に、きっとこれが最後になるだろうと祖父母に会いに行くことに。思いがけず祖母に当たられ、私を守ろうとしてくれた祖父は、父を説得しにいくと言って、強行突破で一緒に新幹線に乗ってくれました。買ってくれた幕の内弁当のお米は、俵型でぎゅうぎゅうに詰まっていて。おじいちゃんの優しさで溢れそうな気持ちをぐっと抑え、一生懸命食べているのだけど全然減らず、困惑していたのだけど、もうひとつ理由があったことを思い出しました。おじいちゃんは、お米を大事に大事に育てていました。だから、食材は絶対に残さなかったし、その気持ちを見ていて知っていたから、幕の内弁当のお米一粒も残したらいけないのだと。おじいちゃんの想いは、他の農家さん達とも繋がっている、そう思いました。そして、今年の冬、祖母も逝ってしまいました。ネネちゃんが運転してくれるレンタカーで、田園風景を見ると、それはもういろんな気持ちがこみ上げてきて。そして葬儀後、一人になりたくて、佐賀駅まで送ってもらいました。おじいちゃん、おばあちゃん、もう一度あの日を辿るよ、ついてきてね。胸の中で届けました。そして、初めて途中下車した博多駅。言葉では語り尽くせないぐらい、感無量でした。物理的なことだけでなく、本当の意味で私自身途中下車できたんだなと。そそれからおみやげを買い、最後に立ち寄ったお弁当屋さん。俵型に入ったお米と、明太子と高菜のお弁当を見た途端、涙腺が崩壊しそうで大変でした。そんな私を、祖父母は見てくれていたのかもしれないなと。さよならじゃないんだ、いつも心のあたたかい所にいてくれる、だからありがとうと伝えたかったんだ。届いているだろうか。

『お父さん、コンビニで備蓄米を見つけたら届けてくれたら嬉しいよ。』そんなメッセージを送ると了解とだけ返信がありました。全然手段は違うけど、孫の為にお米を宅配して~という心の声も盛り込んでいて。父がいつか余命宣告された時に、佐賀の祖父母とどんな時を過ごしていたのか、ゆっくり時間をかけて語ろうとも思っています。お父さんがどんな子供時代を過ごし、何に触れ、どういった愛情をもらっていたのか、沢山の自然の中で育まれていたものを私なりに知ることができた、いや違うな、感じることができた。表面じゃないんだよ、もっと奥深くのきっと人として大切な何かを保管する場所に触れた。お父さんのこと、最後の最後で信頼できたのは、佐賀のおじいちゃんとおばあちゃんから受け取っていた愛情を、お父さんは持ち続けていたからかもしれないね。そうじゃなきゃ、さすがに私もどこかでぶっ飛ばしていたかも。銀行員時代大変だったと思う。でもね、佐賀の祖父母も、名古屋の祖父母も、そんなお父さんのことが誇りだったよ。言わなくても分かる。最後に、父を大泣きさせられるのは私だけなのかもしれない。