気持ちの持っていきよう

風邪というものは、長引くとどうしてこんなに負のスパイラルに陥るのだろうか。私の場合、必ずセットでついてくる副鼻腔炎。もうどうしようもない所にまで来てしまったので、不本意ながらも耳鼻科へ行ってきました。寒い時期なので、予約はしたものの長い時間待たされ、息子の帰宅時間が迫っていたので慌てていたら、ようやく呼ばれてあっさり終了。ぎりぎり会計までは間に合ったのですが、薬を受け取る時間がなかったので、そのまま帰りました。息子が相変わらずドタバタと帰宅し、熱が上がりそうだと思いながらも、薬を取りに行きたいからお留守番していてとご褒美のかっぱえびせんをちらつかせると、「ボクも行く~。」と言われてしまい、そのまま一緒に薬局へ向かうことに。「もらってくるだけだから、外で待っていて。病院内で色々な病気が流行っているから。」そう伝えると、「息を止めてるから大丈夫だよ!」と何がどう大丈夫なのか突っ込むのも面倒になってしまい、笑いながら薬剤師さんの前へ。あっさりミッションが終了し、弱っていた分、息子の無邪気さに今回ばかりは救われたような気がしました。アイツは何気に和み系。帰宅して、ちゃっかりかっぱえびせんをゲットしたことは、ご想像通りです。

そんなまだまだ純粋な6歳児は、ジャグリングが大好き。スーパーボールを三つ上にあげて交互にキャッチしようとしても、全然できていない!それを指摘すると、「だって先生が言っていたもん。“失敗は成功のもと”だって。」なんてポジティブ!!

夫のお義父さん。まだ夫が20代の頃にガンで亡くなりました。彼と恋愛に発展していない頃、ぽつりと伝えてくれました。「まだ20代半ばで、長男の俺は喪主を務めたんだけど、挨拶をする時、皆さんの前で泣けてきて何も言えなかった。」と。その話を聞いた時、その人の“本当”が見えたような気がしました。心に秘めたものが沢山あって、それは誰にでもあって、色んなことを経験し、つけなくてもいいプライドが時に身に付き、人を疑うことを覚え、なんでもないことで自分が自分じゃなくなるような錯覚に陥り、そんなことが繰り返される中で、一番の芯の部分を見せてくれたようで、その光景が浮かび泣きそうになりました。何も言えない、それだけ彼の中でまだ消化できるだけの悲しみを越えられていなかったのだろうと。

恋愛し、結婚し、仏壇の遺影を前にした時だったかな。夫に伝えたことがありました。「たった一度だけでいい。あなたのお義父さんにお会いしたかった。」と。息子を妊娠し、陣痛が来たのが祖父の誕生日の夜、一人しかいないはずの陣痛室で、なぜか人の気配を感じました。長時間もがき、生まれてきたその日は、亡くなったお義父さんと同じ誕生日。私と息子を助けに来てくれたのだと、そして、ようやく会えた気がして、出産を終えた分娩台の上で一人そっと泣きました。夫が、葬儀の話をしてくれたその時から、この日が来ることはもう決まっていたのかもしれないなと、運命なんて言葉よりももっと尊いものを、お義父さんに教えてもらったような気がしました。

「ママとくみちゃんは同じ誕生日でしょ。ボクは?」そんな疑問を投げかけてくれた息子。「パパのお父さんと同じ誕生日なんだよ。もうお空にいるんだけど、見守ってくれているよ。」「そうなんだ。サンタさんと同じだね。」サンタさんは、皆のサンタさん。でも、亡くなったおじいちゃんは、あなたが元気に生まれてくるように助けてくれたよ。お母さんは確信しているの。その話を、いつ本人にしようか。もしかしたら、お腹の中で息子にしか分からない何かを感じていたのかも。
立春の息子の誕生日が訪れる度、思い起こされる二人の温かい一瞬の交わり。