繰り返しても笑おう

前回息子の風邪が移ってから、こちらの方が長引いてしまい、ようやく治った!と安心していたら、また第二弾が移ってしまいました。とほほ。抵抗力が無さすぎやろと自分に凹んでしまいそうになるのだけど、なんでも最後は笑うと決めているので、失敗から意地でも学んでやろうと開き直っています。以前、息子と電車に揺られて行ったボウリング場で、全然知らない親子から大量のメダルを頂きまだ残っていたので、先週の平日、本を持ってさっと行ってきました。時間を無駄にしたくなくて、カフェで本を読んでいたら、いろんな気持ちが巡って。今日は、時間旅行の日にしようか。

父がまだ名古屋で勤務し、母がマンションで一人暮らしをしていた頃、母も名古屋に帰省していたので、何かを頼まれ一人で自宅に入ったことがありました。その時、ゴディバのチョコレートがソファに置いたままになっていたので、冷蔵庫に入れて、頼まれていた内容をこなし帰宅。すると、数時間後に怒りのメッセージが飛び込んできました。家に帰ったら、お姉ちゃんからもらったゴディバのチョコが無くなっていて、楽しみに帰ってきたのになんで勝手に食べたんだと。頼まれた用件のお礼ではなく、よく分からない怒りをぶつけてくるのは日常茶飯事、溶けるといけないから冷蔵庫に入れておいたよと伝えると、返信はありませんでした。その後、姉と母宅へ行く機会があり、キッチンでネネちゃんに言われて。「Sちん、ゴディバのチョコを食べちゃったの?」と。いやいやちょっと待ってくださいよ、勝手に勘違いをしていきなり沸点に到達した母は、私を犯人扱いしてわざわざ姉にまで伝えていたんだなと思うと情けなくなって。ネネちゃんには、冷蔵庫に入れただけだよと伝え、母の顔を見ると、ばつが悪そうに逆切れの表情をしていました。もし、今回のことが父だったら、Sは頼まれたことをやったバイト代とか言ってチョコを食べて行ったのだろうと笑うだろう、そして、冷蔵庫を開けると入っていて、なんだ入れてくれていたのかと微笑む。ありがとな、そんなメッセージがひと言入るだろう。言われなくても、父が考えていることはなんとなく分かる。もしかしたら、非言語コミュニケーションを子供の時からずっと取ってきたのかもしれないなと。そして、姉には、どうしてお母さんから嫌な思いをしてもSちんは幸せにしようと思うのかと何度も聞かれました。母がそういう態度を取ることに、何か理由がある。それは、自信のなさであったり、幼少の頃が影響していたり。ずっとそう思ってきて、最近になって気づいたことがありました。祖父は絶対的な存在だった、誰も逆らえなくて、母の将来は決められていて、時に怒鳴られ、そんな時に祖母に守ってもらいたかったのではないかと。それでも祖母は、祖父の味方についた、それが深い悲しみとなり、母の心を支配していたのではないかと思いました。その愛を私に求めた、何をやってもどんなことを言ってもSは許してくれる、意識的にも無意識的にも試したかったのかもしれないなと。思い切って距離を取った7年前、母は引きこもり、それでもこのままではいけないとゆっくり外に出てくれました。膝の手術も迫っている、本当にもしかしたら自力で歩けなくなってしまうかもしれない、それまでにどうしても行きたかったフランスに行きたいと勇気を出してツアーに参加し、綺麗な景色を見てきてくれました。膝の手術前に再会し、一時退院した後、その話をしてくれた母の表情から達成感と喜びと自信を感じさせてくれて。子供の時から、この人を一人にはさせられないとずっと心配がありました。本当の意味で母のことを信じていなかったのだろうと。でも、私から離れた母は、自分の足で立ってくれました。それが嬉しかった、とっても。もし、生まれ変わって、もう一度母の子供になった時、同じことを繰り返さないように、今ある知識を沁み込ませていられたらいいなと。そして、現世の私は、機会を見て、母の本当の傷みに到達できたらいいなと思っています。それが、前世からの宿題の解なのではないかと。

さてさて、光の射し込むカフェからミッションであるメダルゲームへ。桃鉄のゲームをやると、どんどん目的地に着いてしまい、メダルは循環し、すっかり一人で盛り上がってしまいました。そして、最後は小田原駅を目指すことになったものの、最後の3マスでメダルは尽きてしまい、悔しかったので現実世界で行ってしまおうかなんて思うと笑えてきて。こんなひとときをプレゼントしてくれた、優しい親子に感謝だな。そんな目的がなければ、今日来ることはなかった。電車に揺られ、いつも見慣れた最寄り駅の景色が広がりました。同じ所をぐるぐるしているだけじゃない、また首都高に乗ってしまったと思っても、新しい気づきがあったりして。東京ドームって外から見るとメロンパンみたいだよねと盛り上がった、侍JAPAN初観戦の日。息子は、小学2年生で母と初めてのドームへ、まだコロナ禍で閑散とした3塁側に座り、ルールもよく分からなくて、なんとなく寂しそうに帰ってきました。そして、今回同じ東京ドームに行くと、満席のレフトスタンドで全員が立ち、本気の応援をする仲間に囲まれ、別の景色を感じられたことが分かりました。そんな中伝えてくれて。「前回、おばあちゃんと来た時、7回が終わってから出たんだけど、バイキングに乗せてくれたの。」「え?おばあちゃんも乗ったの?」「うん。」母はそこまで絶叫系が得意じゃないはず、孫の為に頑張ってくれたんだなと。その日に購入してくれたヤクルトスワローズの応援傘は、大事なアイテムに。今度、東京ドームへ行った時はどんなことが頭を過ぎるだろう。人を想う、そんなことの繰り返し。