どうしてこんなに大阪に惹かれるのだろうと色々考えていたら、とても大切なことを見落としていたことに気づきました。
なんだか多くのことがあり過ぎて、こうして書いていると整理ができていることに感謝です。
父は都市銀行で働いているから、三年に一度の転勤は必ずあると子供の頃から母に言われていて、小さいながらに納得していました。中学二年生の時、また転勤の話があり、大阪への赴任がほぼ決まりそうだからということで、友人にも話し、心の準備はできていました。
そんな中で、母が急に、「お父さん、勝手に大阪の転勤を断っていたよ!」と大騒ぎしていて。転勤って、断ったらいけないんじゃないの?と私までびっくりし、父に直接聞くこともできず、すっかりそのままに。
大阪赴任の話が浮上した時、すでに中学生だったので、社会科の地図帳や資料集を使い、大阪について調べていたことを最近ぼんやり思い出したら、胸がいっぱいに。転校は大変だと分かっていたけど、また新天地で核家族になれることに、淡い期待も抱いていました。甲子園がずっと大阪にあると思っていて、ぎりぎり兵庫県だと知ったのもその頃。
何か、私の中で勝手に夢を膨らませて、気が付いたら終わっていたのかもしれませんね。
時が経ち、こうして書いていてふと思いました。父は、勝手に断ったのではなく、直前で何かがあり、愛知県内の転勤に終わったのではないかと。今更聞いたところで、なんだか父を傷つける気がして、止めておこうと思っています。
ただ一つだけ。息子を出産し、男の子を産んだことで、“異性”ということをとても意識するようになり、私がもし男の子だったら、同性としてもっと父の話に耳を傾けられたのではないかと、そのことが心の残りで、思い切って電話をかけたことがありました。
「私が女の子だったから、お母さんの話ばかり聞いてきて、お父さんの気持ちに気づけなくてごめんね。息子を持って、お父さんを孤独にしていたのではないかと改めて思ったよ。」そう伝えるとたったひと言伝えてくれました。「そんなこと、気にしなくていい。」と、表情が伝わる穏和な声で。
その言葉が、大阪赴任のことも全部含まれていたような気がして、今更ちょっと切なくて。家族に言えない何かがあり、勝手に断ったことになっている幻の話。
もし、大阪に行っていたら、最低三年間はそこにいたわけで、高校二年生になった私は、地元に戻っていたのだろうか。そのまま大阪府内の転勤になり、大阪の大学に通っていたのだろうか。もしかしたらそのまま就職し、一人暮らしをして、そこで結婚していたのかな。
思いがけないところで転機があり、でもそれが無かったのは、やっぱり運命だったのかなとも思う。
家庭内がどうしようもなくなった時、父は誰とも口を利かず、リュックを背負って一人で甲子園に行ってしまいました。誘ってくれたら良かったのに。
私じゃなくて、いつの日か孫と一緒に甲子園に行ってきてね。そして、大阪の街を味わってきて。
娘には言えなかったこと、男の子の孫には話してあげてほしい。そっと、肩の力が抜ける場所だと思うから。