今日はWBCの準々決勝、昨晩からワクワクし、気持ち高めで朝を迎えました。テレビを点け、家事をしながらその時を待つことに。そして、プレーボール。白熱したベネズエラ戦で、息子と応援していた中、敗戦が決まりました。アウェーのマイアミで戦ってくれた侍ジャパン、ゲームセットになった瞬間に響き渡った歓声を私も忘れないでいようと思います。この悔しさはきっと次に繋がっていく。試合後、テレビに映った内川聖一さんが、自分もWBCで敗戦した経験があるから選手達の気持ちが分かると目を潤ませながら伝えてくれて、一緒に泣きそうになりました。こういう方達が繋げてきてくれて、今の侍ジャパンがあるんだなと。そのスピリットは決して消えなくて、そしてまた強くなって戻ってきてほしいと思いました。お茶を点てるポーズ、日本の和の心、茶道を学んできた者として見る度に嬉しくなって。とんでもない重圧と戦ってくれた選手や関係者のみなさんにありがとうと伝えたいです。さあ行こう。
息子の幼なじみのD君はDeNAファン。そんな彼に、どうしてヤクルトファンなのか聞かれたのだそう。「スワローズというチームが好きだから。」答えになっていないようでなっている息子の素直な返事に、笑ってしまいました。つば九郎にひとめぼれ、ヤクルト飲料も好き、そうしたらスワローズのファンになっていて、ライトスタンドで本気の応援をしたらもっと好きになった。箱推しなんだよ!これが言いたかったことなんだろうな。早々と春の観戦チケットを購入し、どうか行けますようにと二人の目標ができました。そんな日々を彩ってくれるものに出会えたことは、やっぱり幸せなことなのだと痛感して。野球と共にこれからも歩いていくことになりそうです。
この間歯医者さんに行くと、顎関節症が一向に良くならないので、整形外科を薦められ、勢いでダブルヘッダーをしてきました。すると、ショートカットでとても笑顔の素敵な若い女医さんが診てくれて。レントゲンを撮り、「ストレートネックですね!」と言われ、肩に筋肉を和らげてくれる注射を打ってもらいました。そして、リハビリも薦められ、予約を取らせてもらうことに。すると、たまたま夕方なら空いていると理学療法士さんに言われたので、一旦外出することにしました。中途半端に時間ができ、予め伝えていた両親宅へ。その日は、亡き祖母の命日、花の似合うおばあちゃんをイメージし、三色だんごを買っていきました。仏壇にお供えし、手を合わせると、小学2年生の自分が思い出されました。危篤の状態、母と祖父は病院へ、父は岐阜から駆けつけ、祖母のいる総合病院へ。そして、自宅の黒電話にかかってきた時、おばあちゃんは逝ってしまったのだと確信しました。受話器を取った姉、うん、うんと小さく返事をしているのが聞こえて。春の風が吹き、外は気持ちのいい陽気の日でした。何もいらないから、おばあちゃんが一日でも長く生きられますようにと物心ついた時からずっと祈っていました。一緒にいると心地がいい、calmという単語がとてもよく似合うそんな人でした。モノではない大切なものを沢山もらったのだと思います。悲しかったし寂しかったけど、祖母が他界したその日、私の中に宿った何かがある、その時じんわり感じたあたたかさを大事にしています。相変わらず父は、こちらがパソコン作業の手伝いをしている中で、禁断症状のように落ち着きがなくなってきたのでパチンコに行ってもらい、母も病院だと言うので、一人パソコンの前で戦っていました。このシチュエーション、ちょっと笑えるなと思いながら、無音になったので作業がはかどって。そして、上手くいった後に掃除機もかけ、母がマックスイーツを買ってきてくれたので、お互いにお礼を伝え合いお別れしました。やり過ぎてしまわないように、それは気を付けているのだけど、まずは一旦ありのままを受け入れてみようかと。過去もトラウマもひっくるめて全部。その中で、彼らの良さにもう一度目を向けてみようと思いました。他者を尊重する、またここから始めようと。
その後、再度整形外科へ戻り、年齢の近い男性の理学療法士さんにご挨拶。ふわっと柔らかいオーラを感じ、優しい気持ちになりました。癒そうとするその思いが前面に出るのだろうと。色々と質問をされ、「ある時、マウスピースがふと嫌になっちゃって。」と素直に話すと、分かりますよと言って爆笑してくれました。相性がいいと感じるのは、理学療法士さんの方がこちらに歩み寄ってきてくれているから。そんな姿勢に沢山の方が救われるんでしょうね。またいろんなことを学ばせてもらうこれからを感じ、笑顔でリハビリを終えました。心と体はやっぱり繋がっている。姉がいるのに、元々おとなしかった私は、他の子よりも言葉を発する時期が遅かったらしく、祖母は随分心配したそう。それでも楽しそうにしている孫を、いろんな所へ連れ出し可愛がってくれました。四季を感じ、人の想いを感じた、そんな時間は私のポケットにそっと入っていって。少し前、幼少期に右利きへの矯正が入ったことで、混乱が生じていたことを知り、妙に納得しました。伝えたいことはあるのに言語化できない、もどかしさや、でもどこかでそれでいいやと気持ちを隠す上で自分の手段になっていたのかもしれないなと。そして、最近になり気づきました。矯正されたことまでもが、自分の視野を広げてくれたのだと。うちの家族、誰一人左利きはいませんでした。だから、こちらの苦悩はなかなか分からなかったし、私も話さなかった。一人で解決しよう、そんな意地までもが今に繋がり、小さくてもあたためてきた豊かさを表現することができているのかもしれないと思いました。どう転ぶか分からない、だからどう生きるかって大切なんだろうな、そう気づかされた今年の3月。
歓喜の瞬間に両手を挙げて喜ぶよ、その時までまた一緒に戦う。