ルーティンを大切に

パソコンを開ける前に、と言うか開けた後も、エンジェルスの試合観戦がすっかり日課になっている毎日。エンジェルスなのか、エンゼルスなのか、どちらが正解?と毎回書く度に思うのですが、どっちも正解だからまあいいかと開き直ってタイピングしています。投手として7勝目、ホームランを二本も打ってくれた大谷選手の歴史的一戦の翌日は、早い段階でテレビを消そうと思ったものの、解説が中日や阪神で活躍してくれた福留孝介さんだったので、ついつい見入ってしまい、そんな中で気持ちが動き出したので、ようやく消すことに。福留さんの声を聞いていたら、引退を決めた後、二軍の選手達に囲まれ花束を持ち、ナゴヤ球場で記念撮影をしていた晴れやかな福留選手を思い出し、ぐっときました。思うような結果が出せない中で、二軍の選手達に惜しみなく自分の技術や経験を伝え、叱咤激励されていたんだろうなと。ナゴヤ球場は沢山の思い出が詰まった場所、そこで中日のユニフォームを着て写ってくれたその一枚は、今も大切に自分の心の中にしまってあります。
そして別の日、どこかで聞いたことのある声だなと解説者の方が気になっていると、今中さん!!と叫びそうになり、これまた随分懐かしい記憶が蘇ってきました。

中学3年生の時、中日と巨人が同率首位で、10月8日まさかの直接対決で優勝が決まるという日がやってきました。場所は、ナゴヤ球場、年間130試合もある中でまさか最後の一戦で優勝が決まることになるとは思わず、歴史的対戦に朝からそわそわ。そして、マウンドに上がってくれたのは、中日のエース今中慎二投手でした。テレビの前で拝むような気持ちで応援、そんな中、いい戦いを見せてくれたものの、中日は敗戦し、巨人の優勝が決まりました。なかなか動くことができず、ホーム球場で負けてしまった悔しさもこみ上げてきたものの、絶対的エースの今中さんが先発で打たれたのなら仕方がないと、どこかで納得もしていて。それだけ中日を支えてくれていたピッチャー、敗戦しても、自分の中でどこか晴れ晴れとした気持ちでその背中を見届けました。解説の声を聞いていたら、10.8の決戦を思い出し、異様な雰囲気の中で本当に良く投げてくれたなと懐かしくなって。ナゴヤ球場まで足を運んだ時、先発ピッチャーが今中投手だと分かった時は、嬉しかったな。今中さ~ん!!外野席から叫んだ小学生の声は、届いていただろうか。
そしてある日、ぼんやりとパ・リーグの試合を観ていたら、これまたどこかで聞いたことのある声。はっ、与田さんだ!と一人で大盛り上がり。息子が小学校に上がる時、中日のリリーフとして活躍してくれた与田さんが監督に就任してくれました。本当に嬉しくて。それでも、私の中で様々なことがあり気が付くと与田監督は退任されていました。寂しさとか、何も余韻に浸れない程、自分が精一杯だった頃。少しずつ色々なことが落ち着き、たまたま観たプロ野球の解説が与田さんでなんだか越えてきたものや時間がわっとこみ上げそうでした。全然応援できなかったけど、与田監督お疲れさまでしたと就任してくれてありがとうと、子供の時から与田さんの活躍した新聞を切り取り、スクラップブックにしていた選手が、監督になって中日のユニフォームを着てくれて嬉しかったですと、一体何年前の話してんねん!と突っ込まれそうなタイミングで伝えさせてください。ようやく余韻に浸れる時が来たんだよ~。

10代の頃、4歳上の姉は、1軍と2軍を行ったり来たりする一人の投手をずっと応援していました。彼女は、青い大きなメガホンを持ち、よく2軍の試合を観に行っていて。中日が勝つことは嬉しい、そしてその選手が1軍で活躍することを願い、ファームの試合に足を運んでいた姉の姿を見ることが好きでした。「フェンス越しからめっちゃ叫んできた!」と報告をくれるネネちゃんの声は、いつも高揚していました。それから長い時を経て、二年連続息子の担任になってくれた女の先生。「大谷君の試合はいつもチェックしているんだって。」と息子が教えてくれて、熱の入り方が私といい勝負だなと笑えてきて。そんな先生がある時書いた、宿題プリントのコメントを見つけました。『池山さんや内藤さんがいたころのヤクルト、好きでした~』と。先生、熱狂的な広島ファンだよね。私も熱狂的な中日ファンだった訳で、でも息子はヤクルトファンだから私もそう思われていて、3歳下の先生は私と同様他の球団の選手にも詳しく、私も知ってる~!!と嬉しくなりました。なんだかそこに先生と重なった歴史があるような気がして、先生も赤いメガホンを持って広島市民球場に足を運んでいた野球少女だったのではないかと、そうやって悲しい記憶を野球と共に塗り替えて来たのではないかと思うと、野球がもたらしてくれた仲間意識を感じ優しい気持ちになりました。ヤクルト戦を二人で観に行ってきますとコメントした時には、『ビニール傘もっていかなきゃ』と伝えてくれて。いやいや先生、今は随分応援傘もコンパクトになり、知識のアップデートも必要ですよと笑えてきて。でも、その気持ち分かるな。

たった一度のナゴヤドームのバイトの日。大学生の私は熱気の中にいました。レフト側の売店を頼まれ、お客さんの出入りが少ない時に、「あれ?応援団の方達はどこですか?」と他のスタッフの子達に素朴な疑問を投げかけてみることに。「今いるのは、年間シートを購入された方達の階なので、応援はこの下でやっているんです。」ああ、なるほど、言われてみれば下から声が聞こえてくるなと嬉しくなって。そして、ヤクルトのビニール傘が一斉に開き、モニターから点数が入ったことが分かりました。トイレに行く時は、本当に少しでいいから生の試合が観たいと思い、ずっとグラウンドを見ながら小走りで移動。その時、キャッチャーマスクを被っていたのは、ヤクルトのレジェンド、古田捕手でした。早く行って早く戻ってこなければいけなかったので、凝視することはできず、それでも生で確認できた唯一の選手が古田さんで、なんだか嬉しかった。ずっと訳の分からないことが家庭内で続き、それでも野球観戦は同じように並行してそこにはあって、いつも挫けそうな時、その音を聞くとまだ頑張れるんじゃないかと思わせてくれた大切な時間でした。それは今でもそうで、なんでこんな思いをしてきたんだろうと情けなくなりそうな瞬間に、誰かがナイスプレーをしてくれると辛さが一緒に吹き飛んでくれるようでした。イチロー選手の引退会見で大谷選手の名前も出て、イチロー選手の時代が終わる寂しさもある中で、もう次のスーパースターがそこにはいてくれて、それを目の当たりにできる毎日を幸せに思います。
野球や他のスポーツから自分の燃料を増やしていく。今日はスポーツバーみたいな『さくらdeカフェ』、たまにはいいんじゃない?ここに集まった熱、持って帰ってください。