今度は、洗面所の換気扇がつかなくなってしまったので、管理会社に電話を入れ、業者さんに再度来てもらうことになりました。家に男性が来ると、息子がなんとなく警戒することは分かっていたので、中学校のある平日の午後にお願いすることに。そして、カレンダーを見て、その日はたまたま半日授業だった~と慌てる始末。今さら変更もきかないので、開き直ってそのままにしました。そして当日、一応息子には帰宅時は業者さんが来ているかもしれないよと伝え、玄関でバイバイ。その後、パソコンをカタカタやっていると、男性アナウンサーのような爽やかな方が換気扇の交換に来てくれて、作業をお願いしました。すると、玄関のドアがガチャッと開き、何やら小声ですみませんと言いながらリビングに入ってくる息子がいて。「おかえりなさい。早かったね。」「ただいま。今から遊びに行く!」「え?今から?!」「うん。そのまま行く!」「え~!お腹空くよ。」「大丈夫!」「お菓子でも食べていったら?」「すぐ行く!」「はあ?」その日は、学習ボランティアの方の所へ行く日でもあり、友達と遊んだ後に直行すると言うので、色々と世話を焼いた後、業者さんが声をかけてくれました。その表情は半笑いで、いつもの日常を聞かれてしまったと恥ずかしくなって。なんか僕、ほのぼのしましたよ、いいですねこんな時間。微笑んだ顔がそう言ってくれているようでした。無事に交換が終わり、お礼と水を渡しお別れ。人とのこんな温度、なんだかいいね。
少しずつ冬が深まり、窓の大きな図書館でゆっくり思考を巡らせていたら、今さら気づいたことがあり、なぜ今だったのだろうと驚きました。それは、私が中学2年の時、姉が大学受験で頑張っていた頃、お姉ちゃんは大学を希望しているからSは短大ねと、母から言われた話は前にもさせてもらったこと。その続きを思い出して。それから姉は結局短大に進学し、これで自分の四大行きは拓けたと思っていたのも束の間、諦めきれなかったネネちゃんは母に相談し、短大に通いながら大学受験をし直す話が再浮上。ということは、姉は短大1年プラス大学に通うことになり、5年間学費が必要になる可能性が出てきた、それは私の短大行きがまた確定になるんだなと。司書や教員の夢が小さく膨らみ、パチンと割れてしまいそうなシャボン玉のようで、そんな気持ちもまた黙っていました。お姉ちゃんがまた受験するから邪魔をしないようにと母に言われ、二人が盛り上がり、そんな姿をどこか冷めて見ている自分がいて。その時、中学3年生でした。私も高校受験を控えているんだけどな。陸上部春の大会で結果を出せず、秋の長距離大会に向けて練習に励んだ、あんなに走り込んだのはこんな理由が隠されていたのだと今になって答え合わせができたようでした。結果、両足肉離れで補欠にも選ばれず、不甲斐ないとはこういうことを言うのかなと。その後、名古屋駅近くの大手予備校の冬期講習にだけは行こうと思い、貯めていたお年玉で行かせてほしいと母に言うと、それなら行けばいいという返事が。なんだかもう情けないを通り越して、これが現実で、目の前のことに集中しようと。初めて自分に投資した価値あるお金でした。冬期講習ではみんなが戦友で、マインドがいい方向に転がったことを感じました。自分でなんとかすればいいのか、その喜びを知った中3の冬、この経験は大きかった。
その後、ネネちゃんはまた受験で上手くいかず、母に慰められていて、私自身は気持ちのやり場に困り、そういえば父はこの状況をよく知らないんだよなと。納得がいかないことのオンパレードなのだけど、いちいち気にしていたら前には進めないと思い、先生達に応援され進学。すると、母がある時伝えてきました。「お姉ちゃんが大学受験の時にほしいと言って買ってあげた教材が何十万もしたのに、全く使わず新品でもったいないからあなたが使いなさい。」と。仕方がないので一度だけパラパラめくってみると、字が小さすぎてとても使う気にはなれず、一体私って何なんだろうな、雑草か?!そんなことを思いながら、自力でなんとかしてやると机に向かって勉強していると、文系に分かれた途端結果がついてくるようになり、野球部顧問の担任の先生が何度も聞いてくれました。「そこまで○○を頑張らせるのってなんだ?」と。その時は、他校の野球部男子君に振られたからだと思っていたのだけど、先生は私の中にある何かを見てくれていたのかもしれないなと今さら気づいて。「自分に負けたくない気持ちは分かった、でも○○を見ていると並大抵の努力じゃないぞ。」悲しかったんじゃなくて、悔しかったんだよ。その気持ちは、原動力になる、野球部を率いている先生なら分かるよね、きっと私はそういうことが伝えたかったんだろうな。
桜が咲く頃、クリーム色のスーツを着て、キャンパスで見事な桜並木を歩きながら、大学の入学式を迎えました。高校3年間、1円も教育費にお金を使わず教科書が友達で、学びたいと思える大学に入ったわ!!とようやく笑えて。それから父のリストラの危機、あんなに大変な思いをして手に入れた切符を、この時間を、簡単に手放すものかと思った。もし諦めたら一生後悔する。この4年間は私のものだ。やれるだけのことをやって、卒業式を迎えました。その日は、雨で。袴も濡れてしまったのだけど、感無量でした。でも、ひとつだけやり残したことがあり、父の銀行へ向かいました。が、3時に閉まることをすっかり忘れ、父のマンションの前で待つことに。ただ、ありがとうを伝えたかった。家を出て、やりたい放題でも、最後の最後で学費を出してくれた、その気持ちが嬉しかったということを伝えるには、袴姿じゃなきゃだめだと思った、そんな私の真意を父は痛い程感じてくれました。お父さん、お金ってなんだろうね。でも私、この4年間で驚く程いろんな想いに触れることができたよ。この時間は、数字では表せられない。父は目を潤ませ、もう行けと言われたのでその場を離れました。そして、自宅に帰り、母と姉と卒業証書を持ってカシャリ。あなた達のことも、私を突き動かしてくれた。それはもちろん内緒。なぜ離婚調停にまで持っていったか、そこにはいろんな意味が含まれている。お金の心配をしないで、息子と夢の話をしよう。そんな未来の為に。