苦手なことと得意なこと

息子が相変わらず苦戦しているのが、宿題の音読。何度練習しても、思うように読めず私に八つ当たり。なんとかその日の課題をこなした夜、寝る前になって伝えてきました。「明日、別のページで音読の発表があるんだよ。見ないで読まなければいけないんだけど、ボク、うまく読めない・・・。」もっと早く言いなさいと思いつつ、言い出しづらかったのかなと、なだめながら練習を開始。それでも、やはり思うように読めなくて、半泣きを始め、「練習したらきっとうまくなるからがんばろっ。」と、励ましながら再開しました。詰まりながらも、何とか最後まで出来たので、そろそろ集中力が切れる頃だと思い、よく頑張ったからまた明日の朝確認して学校へ行こうと伝えると、思いがけない返事が。「ボク、かんぺきにしたい。」息子の中では、“完璧”という漢字ではなく、“かんぺき”というひらがなだったのだろうけど、そんな言葉が聞けると思わなくて、ぐっときました。

全然うまくいかなかったことが、少しできた。だから、それがきちんとした形になるまで頑張りたい。それは、教室内で、他の誰よりも上手になりたいという気持ちではなく、自分の中でベストでありたいと願う気持ち。コイツ、やっぱりこういうところが似ているなと嬉しくなり、それから本人が納得できるまで何度も練習しました。せっかくなので、私も同じように暗記。詰まった箇所を息子が教えてくれて、二人で“かんぺき”になった後、ハイタッチして終了しました。
勉強の内容そのものよりも、どうやってそこまで辿り着いたか、そんなプロセスがきっといつか役に立つ時がくる。何を学んだかではなく、どう学んだか。息が詰まりそうな時、挫けそうな時、そんなひとときが脳裏をかすめてくれたらいいなと。せめて、最後のハイタッチだけでも覚えていて。

岐阜の小学校に通っていた時、同じように朗読のテストがあり、出席番号順に指名されていきました。自分の中で、得意でも苦手でもなかった朗読に、担任の男の先生がみんなの前で絶賛してくれました。「心を込めて読むとはこういうことだ。でも、最後の一行だけ、読み急いだだろ。一番最後の読み方で、余韻が変わってくるんだよ。惜しかったな。それさえ丁寧に読めていたら満点だった。」褒めて、指摘して、その子の長所を伸ばしていく。先生からもらったものは計り知れません。

以前、年中の時のH先生が聞いてくれました。一つの記事を書くのに、どれぐらい時間がかかっているんですかと。「A4サイズにダーッと書いていく時間は多分1時間ぐらいです。でも、書く前に、例えば幼稚園の帰り道などに文章を組み立てているんです。書いた後も編集したり。だから、実際は、何時間なんでしょうね。」と答えると、驚きながらも納得してくれました。パソコンに向かっている時間だけが、記事になっているわけではないことを、身近にいてくれた先生は感じ取ってくれていたよう。そう、自分で納得できないものは絶対に公開しない。思い通りに書けない時、幼稚園の記事が、職員室の片隅にファイリングされているのかもと思うと、不思議な力が湧いてきます。少なくとも、小さな物語がそこにあるという優しい事実。

「ママ、ますちゃんが大きくなったら、朝顔も枯れて無くなっちゃうんだよ。でも、その前に写真を撮っておいたら、ずっと残るね。だから、スマホで写して~。」記録の大切さを教えてくれたのは、きっと担任の先生。現像した写真をアルバムに収め、一番眺めているのは、他でもなく息子。面倒になり、データ保存だけにしている今、いつの日かそっと自分のパソコンから眺めてくれる日が来るだろうか。その前に、ミスプリだけでも整理しないと。同じ写真が何枚あるの?って笑いながら、データの整理までお願いしてしまおうか。
そんなことまでも、心のアルバムに綴じられる。