歳を味わえる時

あたたかい陽が射し込んだ週末、息子は友達と遊びに行かず、伝えてきました。「今日はママと遠くの公園でキャッチボールがしたい。」と。近くではなく、気分転換をしたいのが分かったので、思い切ってグローブを持って二人で出ることにしました。20分程自転車を走らせ、時々来る公園の中へ。そして、いつものように間を空けてキャッチボールを始めると教えてくれて。「最近学校の体育でソフトボールをやっているんだけど、女の先生よりママの方が上手い。」それはそれは、お褒めの言葉をありがとうと思いながら、一回りも下の女の先生と比較されるのは光栄なことだなと嬉しくなって。反抗期でも、年を重ねても、キャッチボールをするとより近さを感じるのが不思議だねと思いながら、その時を味わいました。スポーツが好きな者同士、神様が用意してくれていたプレゼントだったのかも。どれだけ間が空いても、変わらないものがある。

翌日、翌々日と、左半分が筋肉痛でさすがに歳だなと自分に笑いながら、雑用があったので家を出ました。銀行に寄り、ちょっとした説明を受けると、そういえば私が一番最初に作った通帳は信用金庫だったなと懐かしくなって。母が、お年玉用にと用意してくれたもので、あれ?お父さんの銀行じゃないんだ?!どんだけ信用されていないのだと子供ながらに笑えてきました。そして、大学に入る頃だったか、いろんなことが選択できる年齢になったので、父が勤務している支店で作ってもらうことに。それ以来、ずっとそばにいてくれたものだったねと長年の月日を思いました。息子に何を残せるかな、ずっとそのことを考えています。それから買い物を済ませ、駐輪場へ戻り、精算機へ行くと50代の女性が何やら困っている様子。後ろで待っていた私に気づき、声をかけてくれました。「すみません。表示が見えなくて。63番を押しているのに、ロックが解錠できなくて。」「私がやってみてもいいですか?」と言われた番号を押してみても、その番号は使われていませんと出るだけ。「ちょっと自転車の所まで行ってもいいですか?」と場所を教えてもらうことに。番号を見ると確かに63番。「もしかしたら最初からうまくはまっていなかった可能性があるので、出してもらえますか?」とお願いすると、やっぱりロックがかかったまま。すると、勘が働き、両サイドの自転車の番号を見ることに。631、633・・・あ!とピコンと頭の上でランプが灯り、たまたま3桁目の2だけが消えて見えなくなっていたことが分かりました。「これ3桁ですね!番号が分かったので、もう一度押してきてもいいですか?」と伝え、精算機の前へ。すると、ご年配の男性がいたので先にやってもらい、女子大生の方も待っていたようだったので促すと、こちらのプチ騒動に気づき譲ってくれました。そして番号を押すと、きちんと解錠されて。女性に何度もお礼を言われ、笑顔でお別れ。そして、女子大生さんへ振り向くと少し下がって、こちらが終わるまで待っていてくれました。今度は手伝ったあなたの番ですよ、私は最後で大丈夫です、そんな表情をしてくれていたので、お礼を言って先にやらせてもらいました。みんなもちろん初対面、気持ちって伝播するんだねと嬉しくなった帰り道。今回のようなケースは、相手の話を聞いた上で、動ける範囲なら現地まで見に行ってしまった方がいいだろうと、司書で学んだことが活かされたよう。大学図書館でも本当によくありました。検索をかけ、メモをした番号から本棚を探しに行ったけど、見つからないと学生さん達に何度も言われて。他のスタッフに声をかけ、学生さんと一緒に探しに行くと、厚い本と厚い本の間に挟まって奥にいっていたケース、検索をかけてみると貸出中になっていたケース、配架場所が閲覧室になっているのに書庫に紛れていたケース、分類番号を見間違えていたケース、本当に色々とありました。いろんな可能性の中で、一つずつ潰していき、一冊の本が見つかった時は本当に嬉しくて。学生さんと喜び、レポートがんばってねとその後ろ姿に胸の中で伝えた頃が懐かしい。いろんな視点を日々教わっていたんだな。

今朝、また夢を見ました。多分まだ実家にいた時のことで、両親と姉と4人で車の旅に出たものの、3人がそれぞれ別の方向を向き、全然意見が合わず、疲弊している自分がいて。トラブルが続いた中で、なんとか目的地に着くと、お部屋には乳がんで亡くなったはずの祖母がいて優しい笑顔で私を抱きしめてくれました。驚きと嬉しさといろんなものが混じり、あっでもここは観光地だった、次の人が待っていると慌てて振り向くと、並んでいる観光客の方達が、いいのよゆっくり待っているからと笑ってくれて。祖母からもらったもの、周りの方達からもらった気持ちが嬉しくて、そのぬくもりと共に目が覚めました。まだ10代の私か?そしてそこは、目的地じゃなくて、旅の途中だったということもぼんやり思い出して。祖母がいた頃、いつも柔らかいものに包まれている感覚がありました。他界すると、喪失感と共に母を守らなければならないという使命感も沸き起こり、なかなか険しい道が待っていて。その時まだ小学2年生でした。自分の年齢とかそんなことを考えている余裕もなく、子供らしさとはなんだかよく分からないまま、思春期になり、いつの間にか大人に。人に甘えるってどういうことだろう、人に頼るってどういうことだろう、弱さを見せるって、本当の自分の本心をさらけ出すってどういうことだろう。考え続けました。その道の途中で、沢山の人に出会い、ありのままの姿が少しずつ見えてきて、感謝の旅はこれからもずっと続いていくんだなと。今朝の夢は、なにか大きなメッセージを含んだ意味のあるものだったような気がしています。40代も後半、振り返ることも多くなったけど、無駄なことなんてやっぱり何一つなくて、いい経験をさせてもらったなと。生を全うする、祖母が亡くなった時に自分で決めた目標です。おばあちゃんが好きだった桜、どこまで咲けるだろうか。実家の桜の木は、幹がとても太かった。たった一輪しか咲かなかったけど、どんな天候でも堂々と立っていた。祖母の姿そのもの。