九州からの帰途

姉が運転する車に乗り、佐賀駅まで送ってもらう途中、伝えてくれました。「どうだった?」と。「う~ん、帰る新幹線の中でゆっくり考えるよ。」「そうだね。でもね、苦しい気持ちは名古屋までだよ。」ネネちゃんらしい、深い気持ちをありがとう。返事をして、ひとつ深呼吸をした私に続けてくれました。「Sちんが大学卒業前に、親が離婚するかもしれないと最後に会いに来て、それでおばあちゃんに色々言われちゃってさ、あの時ラスト佐賀だと思ってどんな気持ちで帰って、今回どんな気持ちでここまで来たかなんて、うちの両親は全く分かっていない。お母さんは、子供をコントロールすることが成功体験になってしまっていたのか、私達はずっとそれに悩まされてきたんだと思う。でもさ、私もカウンセリング受けて分かったんだけど、人は変わらないし、変われるのは自分だけで、コントロールできるのもやっぱり自分だけなんだよ。だからSちん、今回佐賀まで来たことで親の面子は保たれたし、本当にこれまでよくやったよ。」コントロールされていたのは多分私だけ、それを“私達”と表現してくれたのはネネちゃんの思いやり、知ってるよ。一旦気持ちを整理し、一気に吐き出しました。「何が50周年の結婚祝いじゃ!20年間、空白の期間があったやろ!」「そうだそうだ!」「誰のおかげでここまで来たんじゃ!どろどろの時、どんだけこっちがすり減ったか分かるかー!やるだけのこと全部やったわ!!」「いいぞいいぞ!」と姉が合いの手を入れてくれるので、一緒に車内で爆笑してしまいました。佐賀で受け取ったネネちゃんからの卒業証書、忘れない。そして、車窓に広がる外の景色を見ながら伝えてくれました。「あのあたりが多分実家だったよね。今通ったお店、思い出した!おじいちゃんとおばあちゃんがSちんと私を遊園地に連れて行ってくれた帰り、寄ったお店なの。おじいちゃん倹約家だったから、自分は家に帰ってから食べるからいいって車で待っていてくれてね。おばあちゃん、私達をお店で食べさせてくれたの。」その言葉を聞いて、急に蘇ってきて。「ちゃんぽんを食べていきんしゃい。」と言ってくれたおばあちゃん。外食の風景なのになぜそこにおじいちゃんはいなかったのか、その理由を思い出しました。いつもおじいちゃんは、ドライバーでいてくれたんだ。泣けるな。そして私は、姉がいない世界を知らないんだなとふと思いました。彼女を私が見送る、そして自分の最期に、このドライブを思い出すのかもしれないなと。「おじいちゃん、軽トラで佐賀駅まで送ってくれたね。」そんな姉の言葉と共に、佐賀駅へ到着。「ネネちゃん、火葬場に行けず任せてしまってごめんね。本当にありがとう!気を付けて戻ってね。」「大丈夫大丈夫。お金さえ持っていればなんとでもなるから。Sちんも気を付けてね!」そう言って、バイバイ。なんて優しい別れ。

さてさて、まずは券売機に寄り、特急電車の確認。佐賀から名古屋までいつも特急券と乗車券を買い、博多駅は乗り換えだけだった。どうしても外の景色が見たい!人生は一度きりだ、明日どうなるか分からない、後悔のない選択をしようと思いました。すると、思いついた名案。佐賀博多間を特急指定席で取り、1時間半の福岡滞在、博多新横浜間をスマートEXで買おうと。そして、椅子に座り新幹線を予約、窓口で特急のチケットを買うと急におじいちゃんとの会話が映像で流れました。Sちゃんがお父さんと女の人を別れさせなさいとおばあちゃんに色々言われ、ただぐっと堪えている私をおじいちゃんはそばで見て、宥めてくれました。そして翌日私と一緒に名古屋へ行き、お父さんを説得すると。それを知ったおばあちゃんはおじいちゃんと本気の喧嘩をし、間に入って止めるのが大変でした。それでもおじいちゃんは強行突破し、おばあちゃんがむすっとしている中、私と佐賀駅へ。おじいちゃんがチケットを買ってくれようとしたので伝えました。「私ね、帰りの新幹線代も持っているから大丈夫。」「おじいちゃんが買うけん、心配せんでよか。」そう言って、何万円もする二人分のチケットを買ってくれました。そう、おじいちゃんは倹約家だった、だからこそそのチケットをどんな思いで買ってくれたのか知っていたんだ。もう、見えているもの触れるもの全てが泣けてくるじゃないかと思っていると、目に留まったのはおみやげ屋さん。そうだ!息子に頼まれていたんだと慌てて中へ、そして見つけたのはイカを被った豆しばでした。旅する豆しばシリーズを集め、もしかして見つけたら買ってきてね!と言われていたことを思い出し、嬉しくなって。佐賀にもいたよ、『呼子』と背後に書かれたイカの豆しば。そして、出ようとすると目についたのは北島の丸ぼうろでした。私は花ぼうろの方が好きで、ふわふわの生地を気に入っている孫に毎回祖母は買って持たせてくれたので、息子とMさんにと思い購入。ふっと息を吐き、微笑み、佐賀の街に別れを告げました。ラスト佐賀じゃなかった、また来られたよ、そしていつかゆっくり訪れよう。そう思いながら特急電車に乗り込みました。指定席に座ると、『リレーかもめ』の快適さに感動。博多佐賀間は、いつも自由席だったなと懐かしくて。そして、姉はひ孫を連れて祖父母に会いに行けたのに私は行けなかったと思っていると、ふと思い出しました。祖母は、両親がもし別れることになっても、私と父の関係は切れないことを願っていた、それはもう十分過ぎるぐらい伝わっていて。全然おばあちゃん孝行できなかったなって思っていたのだけど、大事なことに気づいたよ。おばあちゃん、お父さんとはどう転がっても縁は切れなかった。お互いふらっと連絡するし、いつもどこかで繋がっていた。それがおばあちゃんを安心させていたら嬉しいよ。告別式の時上から見ていたよね、気配を感じた、会いに来たよ。涙ではなく、微笑みたくなった特急電車の時間でした。そして、博多駅へ。着いた瞬間スタバのマークが見え、あ!と思い出して。福岡のスタバのスタンプをもらいに行こう!と慌てて出口へ向かい、テイクアウトのバウムクーヘンを購入。店員さんに大きい方の出口を聞くと博多口を教えてもらったので、そこから外に出ました。なんだかもう本当に感激で。外はこんなにきれいな街だったんだね。ベンチに座り、博多の空気を吸い込みました。45年、それなりに頑張ってきたな。その途中下車が今なのかなと嬉しくなって。もう少しこうしていたいけど、息子の豆しばを探さねばと思い立ち上がりました。すると、あまおうのイチゴを被った豆しばも見つけ、歓喜!明太子味の柿ピーとMさんのお酒とうまかっちゃんをゲットし、俵型の駅弁を見て、買ってくれた祖父をまた思い出して泣きそうになり、新幹線に乗りました。鳥そぼろの駅弁を食べ終わり、広島駅で隣に若い女性が乗ってきて、戦地から帰還した祖父がいつも8月6日になるとテレビの前で見ていた広島の原爆ドームを思い、こみ上げそうになりました。その後、軽く眠っていると女性はいつの間にか下車をしていて、新神戸に到着。その日は1月18日でした。前日に起きた阪神淡路大震災、その翌日に通ることになるとは思わず、心の中で手を合わせました。その後は新大阪。息子と行った夏の思い出が蘇り、胸がいっぱいに。そして、名古屋へ。姉がここまでだと言った場所に着きました。よく行っていた高島屋が見えて、大きく深呼吸。辛かった気持ち、置いていくよ、支えてくれた故郷のみんな、ありがとう。そう思っていると新幹線はまた走り出しました。京都から乗った隣の若い男性は、お弁当を食べていて、そして今度は私が降りる番。出会いと別れの繰り返しだな。だから、“その時”を噛み締めたいんだ。ゆっくり速度を落とし、新横浜駅へ到着。博多から来た影響からか、名古屋って近いなと感じ、笑ってしまいました。そして、右往左往しながら在来線に乗り換え、いつもの最寄り駅へ9時に到着。

日帰り佐賀、本当に行ってきたよ。九州6時間滞在、なんて価値のある、なんて優しさに満ちた一日だったろうと思う。一年分泣いただろうか。息子とMさんにおみやげを渡しお礼を言って、お別れし、寝かせて、また一人になった。今日という日を忘れることはないだろう。目を閉じると、佐賀ののどかな田園風景と博多駅の心地よい喧騒が聞こえてくる。九州にも足跡を残してきたよ、だからまた歩き出せる。