息子の社会科のテストが終わり、それなりに充実感のある表情で帰ってきました。「手応えはどうだった?」「結構書けた気がするよ。日干しれんがとか。」それは良かったとこっそり安堵。一緒にワークをやり、テスト形式で問題を出した時にはボケた返答があって。「粘り気のある土や砂を粘土状にして、天日干ししたものを乾燥させたれんがをなんて言うでしょうか?」「分かった!にぼしれんが!」どんなれんがやねん!出汁でも出るんか!!と心の中で突っ込みながら伝えることに。「ひぼしれんがね。日という字を“に”と勘違いしないように書いて覚えましょう。」そんなテスト勉強が役に立ったのなら良かった。そして翌日、雑用も溜まっていたので、雑貨屋さんへ行くと幼なじみのD君のお母さんが働いていて、笑顔でご挨拶。「随分髪切ったね~。」と言われわいわい。ランドセルの捨て時が分からないと話すと、彼女もまだ三人分を家に置いてあると話してくれて笑ってしまいました。そして、鍵盤ハーモニカはどうしたかも聞くと、まだ置いてあるとのこと。「さすがに中学では使わないからもう捨ててもいいよね?」と私。「いやあ、分からないよ。将来オーケストラに入るって言うかもしれないし。」そんな突拍子もないことを言ってくれるので爆笑してしまいました。彼女は、こちらがシングル家庭であることになんとなく気づいている、それでも何も変わらない温度とエールをどこかで感じていて。私で分かることがあればいつでも相談してね、そんな気持ちにどんな時も励まされてきたんだな、そう思いました。お会計が終わり、他のお客さん対応があったのでその場を離れることに。商品を袋に入れ、振り向くと視線が合い、笑顔で手を振ると同じように返してくれました。その一瞬に、友情を感じて。人を想う、なんて優しいひととき。
息子の社会の勉強に付き合っていたら、やっぱりこの教科面白いなと、いろんなことを改めて思い出させてもらったようでした。高校2年になり、日本史と世界史の授業が始まり、世界史は1年の時の現代社会も担当してくれた30代の男の先生でした。板書がとてもうまく、いろんな色を使いながら、授業の進め方も面白く、どんどん引き込まれていきました。何がすごいって、一応教壇の上に教材は置いておくものの、それをほとんど見ないで膨大な知識を、興味を引く話し方で進めてくれたこと。先生の頭に、一体どれだけのものが詰まっている?!教科書を丸暗記している?いやもっと深いぞと思っていると、ある授業でその一端を話してくれました。大学受験の時に、中国の歴史書にはまってしまい、面白過ぎて一浪してしまったということ。先生の歴史愛は底なしだなと、聞いていて嬉しくなりました。私がノートを真面目に取っていたことを知っていた先生は、机の間を歩く時にどこまでやったかちょっと見せてくれるかと聞いてくれて。色替えも何もかも板書通りに全て書いていたので、笑いながら通過していきました。その後、30代の家庭科の女の先生が勉強の為に授業を見せてもらいたいと、世界史の授業を見学することに。一番後ろの席だった私に、授業が終わると家庭科の先生が驚きながら質問をしてきました。「板書、めちゃくちゃ綺麗なんだけど!しかも、教材ほとんど見ていないし。授業も面白かったんだけど、いつもこんな感じなの?」「はい。先生が後ろにいたから何か特別だった訳じゃなくて、いつもと変わらない授業でしたよ。」「なんか私、軽くショックなんだけど。」そう言って一緒に笑ってくれました。素直に、教員仲間を尊敬できる家庭科の先生もまた素敵だ。
その後、3年生になる前に日本史専攻と世界史専攻でクラス替えをする為、希望を書かなければならず本気で迷いました。日本史を専攻すれば、先生の授業は受けられなくなる、それは私の中で大きなことで。この際なので、自分の胸の内を聞いてもらおうと思い、世界史の授業の後、進路も含めて相談すると、思いがけず教壇で立ち止まり本気モードで話を聞き始めてくれるので、慌てました。みんなはお弁当を広げているのに、私が先生を引き止めてしまったことで、なんだか微妙な空気が流れ、ごめんね~と思わずにはいられなくて。こちらのイメージでは、職員室まで歩く途中で話を聞いてもらえたらなと思っていたのだけど、先生は自分の昼休みが削られることもお構いなしで、相談を喜んでくれていて。これはもう開き直るしかない。「私、日本史と世界史、迷っているんです。先生の授業を聞いて、歴史により興味を持って、大学も専攻できる所に入れたらいいなと思い始めていて。」「僕の教え子も、何人か歴史を学ぶ為に大学を選んだよ。みんな男子学生だったけど、楽しくやってるよ。○○は、将来何になりたい?」「まだ漠然としているんですけど、中学の社会科の教員免許と図書館司書の資格が取れたらいいなって。歴史を学びたいって女性、少ないですか?」そう話すと、いくつか先生が思いつく候補の大学を伝えてくれました。それぞれの特色も踏まえ、全然話は終わりそうになくて。自分の歴史愛が先生の歴史愛とどこかで重なり、それが嬉しかったのかこちらの夢を応援してくれました。日本史と世界史、最終的には得意な方を選べばいい、大学でも学びたいと思うならその気持ちを大切にしろと。進路のことでここまで親身になって聞いてもらったことは、あの時の私にとってとても大きなことだったのだと改めて思いました。それから、日本史を専攻し、大学でも掘り下げることに。そして、学部は違っても小中高大学と同じだった女友達は、出身高校に教育実習へ行くことが分かったので、伝言をお願いしました。「中学の実習が優先されるから高校には行けないんだけど、世界史の○○先生にすごいお世話になったから、私が中学の教育実習に行くことをお礼と共に伝えてもらってもいいかな?」そう言うと快諾してくれました。そして、お互いの実習が終わり、大学で合流すると教えてくれて。「Sちゃんが中学の社会科の実習に行っていることを話したら、先生喜んでいたよ。高校で会えるかなと思っていたけど、頑張っているんだなって。」彼女は高校の懐かしい雰囲気をまとい、なんだか胸がいっぱいでした。自分の道の節目節目には、いつも誰かがいてくれた。
恩師の世界史の授業、もっともっと受けたかったなと思う。でも、その気持ちそのものを大事にしていて。限りある時間だった、だからほんの少しでも何かを吸収しようと思っていました。自分は何を得られたのだろうか。人とは?どこかで倫理観のようなものを考えさせられたような気もしていて。そうか、先生の授業は今でも続いているのかもしれない。多角的に捉えいろんな視点を持て、他者を尊重しろ、恩師の声が今もどこかで聞こえてくる。