今読み始めている本は、『永遠の0』(百田尚樹著、講談社文庫)。
ずっと読みたいと思っていたのですが、読むのに勇気が必要で、なかなか開けませんでした。
購入したのは随分前。本棚で気長に待っていてくれました。
以前も少しだけ触れたのですが、祖父は戦地に赴き、捕虜になり、大変な思いをして帰ってきました。同居していたので、子供の頃から戦争体験は私の中でとても大きなものでした。
公共図書館で勉強をしていた時、そこで一息つくために本を読もうと思い、なぜか戦争関連の本を手に取り、余計に色々と考えてしまったことも。
戦地から帰還した方達が、体だけでなく、心にも大きな傷を負っていることにはっと気づかされました。
中学時代、親戚に戦争体験をされた方がいたら、話を聞いて発表してほしいという授業があった時のこと。もちろん私は自宅に帰り、祖父の話を聞き、レポートにまとめ、翌日社会科の時間に発表しました。
非現実的な話に、クラスの皆はもちろん、先生も固まり、静まり返った教室。
授業が終わると、先生が廊下で私を呼び出し、こう言ってくれました。
「貴重な話をありがとう。そのレポートもらってもいいか?お祖父さんにお礼を伝えておいてくれ。」
その後、祖父に伝えると、たったひと言だけ私に聞いてきました。「その先生いくつだ?」
「30歳前半の男の先生だよ。」そう答えると、そうかと微笑みその場を離れていきました。
自分の体験を若い社会科教員が授業で取り上げ、話を聞いて心に深く刻んでくれた、そしてこれからも子供達に伝えていってくれるのだろうと。
祖父の「そうか。」は、どんな会話よりも深く優しいものでした。
私の陸上部顧問は、なかなか人間味のある先生だよ。だから、きっと今でも語ってくれているよ。
祖父は、本当に気が短かった。とても、大変な毎日でした。それが家庭崩壊の要因の一つだったかもしれないことは、否定できません。ただ、その負の根源は、戦争体験から来ているのではないかと感じています。
祖父は、どこかで心に傷を負っていた。それを意識的にも無意識的にも隠そうとして、いつも強気でいようとした。一生懸命に自分を保とうと必死だったのではないかと。
だから、私も頑張ってしまったし、本当はもっと頑張れたのではないか、もっと寄り添えたのではないかと、心のどこかで思っています。
そんな理由から、戦争に関する小説を読むことは、もう一度自分と向き合うことのようにも感じ、ためらっていました。
読み始めたという今。それは一歩踏み出したのだという証。
一年ぐらいかけて、ゆっくりとした心の旅に出ようと思います。
首都高じゃないよ、山手線。同じ景色をぐるぐる回って疲弊するのではなく、何度も途中下車してその時間を味わう旅。
思いがけない発見が、きっとそこにはある。