念願のライトスタンドへ

金曜日、雨が降ったり止んだりの中、婦人科まで検査結果を聞きに行ってきました。いつものようにドアを開け、診察室へ入り、荷物を置くその前に執刀医だった先生が伝えてくれて。「検査結果良かったよ。」ほっ。「腫瘍マーカーの数値も、細胞の結果も問題なかった。下腹部の痛みも前ほど強くないみたいだし、あれだけ酷かったのに二年でホルモン剤も止められるなんてね。」そう言って笑ってくれました。さては先生、もっと長丁場になると思って、10年上手に付き合っていこうと言ってくれたのかな。そうだったとしたら、更年期症状は一旦端によけて、自分の回復力を小さく褒めてあげることにしよう。「何も問題なくて本当に良かったです。」そう言って一緒に笑うと、続けてくれました。「次回は半年後にまた来て。その間に異変があったらすぐに受診してね。」そう言われ、ここまで期間を空けてくれたということは、不安要素から一旦抜け出せたのだと、それなりに長い戦いだったなと感慨深くもあって。「先生、ありがとうございました。」そう言って深々と頭を下げると、しみじみした表情で最後のひと言が待っていて。「元気でやってね。」卵巣破裂寸前まで痛みを堪えていた患者さん、その後、術後のホルモン治療で辛そうにしていたと思ったら、離婚調停。そして、ようやく出口が見えて、そこを乗り切ったあなたの未来が明るいといいね。もうこれ以上苦しいことはないと願っているよ。そんな気持ちを込めて、送り出してくれました。手術の傷口は自分の勲章、そう思うことにします、先生ありがとう。

その後、母が久しぶりに自宅へ来る用事があったので、あれこれと質問攻めが待っていて、すっかり疲弊してしまいました。聞かれたくないこと、まだまだ沢山あるんだよなと思いつつ、夏の旅行について最低限の内容を伝えると、返事が待っていて。「旅行へ行けるということはそれだけの余裕があるってことね。金銭的に余裕がなければ行けないもの。」それは、子供の前でする話ではないし、一体何年私の母親をやってきているんだと思ったら、一年半前に姉が言ってくれた言葉を思い出しました。「弁護士さんを立てるのは、R君のことを考えてのこと。Sちんはそうやって先行投資ができるの。その投資が後々生きてくることを知っているから。簡単に人を頼らないことも知っている。でも、本当にいざとなったら貸せるお金があるってこと、それだけは覚えておいてね。」ネネちゃん銀行が開設された日でした。その存在を知ってくれているだけでも、きっとSの安心に繋がるから。本当に嬉しかった。余裕があるから旅行に出かける訳じゃないよ、お母さん。その時にしかできないこと、味わってほしいと思った。少しぐらいマイナスになっても後から取り戻せばいい。自分の物差しで相手を計ってしまわないように、色々な価値観に触れ、自分の人生観をゆっくり作っていってほしいと思った。できないことより、できる喜びを大切に持っていてほしいと思った。いろんな雑音が入ってくるかもしれない、それでも自分達の世界を大事にしていたら気にならなくなるのではないか、何を“強さ”というのかまだ私にもはっきり分からないけど、心が震えるほどの感動って内側の奥の方にあって、その気持ちを持っていたらまた頑張れる気がするんだ。お母さん、それが私の育て方。お金じゃない。
それから、母を送り出し、翌日は神宮球場のヤクルト観戦が待っていたので、降水確率90%と出ていても準備を始めました。土曜日のナイターがいいという息子のこだわりで、ようやくその日がやってきたものの、雨の予報。てるてるぼうずを三つ作り、翌朝を迎えました。

「ママ、土砂降りだ・・・。」落胆の息子。「でも、神宮周辺は降っていないかもしれないよ~。」と全部前向きな返事しかしないことに決めました。そして、すっかり生活の一部になったエンジェルスの試合を観ると、ダイヤモンドバックスとの対戦で、ヤクルトで活躍してくれたマクガフ投手が大谷選手と談笑している映像が流れ、胸がいっぱいでした。いいものが自分の中に流れ込んでいく。その後も、大谷選手の30号ホームランを目撃し、雨が止んでくれたので準備をして出ることに。『2896』の背番号、ヤクルトクルーのユニフォームを着てご満悦。どうか試合が中止になりませんように。それから、電車を乗り継ぎ、外苑前の改札でプログラマーのMさんと待ち合わせ。ドトールでお茶をし、神宮球場まで送ってもらいました。キッズ会員特典のくじを事務局で引かせてもらうと、村上選手のピンバッチが当たり、息子は大喜び。そして、Mさんとお別れし念願だったライトスタンドへ。途中でスタッフさんがいたので、会員証のQRコードの読み取り機はどこかと聞くとすぐ隣にあり、謝りながらピッ。神宮球場という大きな船に乗った証。本気で応燕(おうえん)しよう。そして、いよいよ階段を上り、ライトスタンドに入ると、一塁側から見ていた景色とはまたちょっと違い、気持ちのいい世界が広がっていました。雨降らないといいねと二人でテンションを上げながら、ファミチキをぱくり。すると、お客さんがどんどん埋まり、自分達が真ん中の席に座っていたことが分かり、出られないなと嬉しい悲鳴が。その日は広島戦で、ファンである担任の先生にも伝えていたので、ワクワクが膨らんでいきました。そして、先発はピーターズ投手。今年から加入してくれて、息子がテレビの観戦をしていた時、洗面所にいた私に報告。「ママ、ピーターズ、イケメンだった!!」って、ルックスからかい!もうちょっと、球が速いとかコントロールがいいとかあるでしょうよと思いながら、テレビの前に行くと、確かに息子好みだと笑えてきた日常の中の風景が、ピーターズ投手の投球で思い出されました。それからチェンジになり、1回裏の攻撃で、後ろの席にいた若い男性二人がめちゃくちゃ熱い声援を送るので、息子が思わず二度見。ライトスタンドは忙しいんだよ!と予め伝えていたものの、熱気に圧倒されている姿も笑えてきて。その後、サンタナ選手がスリーランを打ってくれた時には、ボルテージが最高潮に。総立ちになり、みんなで傘を開き、東京音頭で盛り上がると、息子もとびっきりの笑顔を見せてくれて最高の瞬間でした。その時、みんなの傘がキラキラしていて、その中に自分もいるのだと思うと、この世界にいられることが幸せでした。初回からの先制点で、息子もその雰囲気にすっかり慣れ、持ってきたお菓子もそっちのけで本気で声援を送りました。雨もミストのようで心地よく、2点を取られ、緊迫したいい感じの試合展開が続きました。その日は、とても珍しく村上選手がスタメンではなく、8回に代打で出てきてくれた時は、本当に嬉しくて。そして、村上選手の応援歌が流れると、「ボク、この曲が聴きたかったんだよ~。」と歓喜。WBCでマイアミの地で流れた時も、「この曲を聴くと安心する~。」と言っていたことを思い出し、感動が蘇ってきました。そして、みんなの祈りが届いたのかツーベースヒットを打ってくれて、息子も立ったまま応燕し、堪らない時間が流れました。ゲームは、3対2でヤクルトの勝利。みんなで傘を開き、東京音頭で歓喜の瞬間を分かち合いました。その時、思いました。うちの両親、本当にもうだめだめだったけど、野球観戦の面白さを置き土産にしてくれたんだよねって。銀行の取引先だとか、お客さんにもらったとか、父が私に野球のチケットを買ってくれた記憶はないのだけど、連れて行ってくれた記憶と喜びはいつも胸にあって、春と夏の甲子園旅行を実行してくれた母にもありがとうと思っているんだろうなと。そして、息子がテンション爆上がりで伝えてくれて。「ボク、今までの野球観戦で一番楽しかった!!」その言葉を聞き、ライトスタンドに集った応援団の方達やファンのみなさんにもお礼が伝えたくなりました。息子は、今日という日を忘れないでしょう。試合が終わり、ヒーローインタビューも終わって、荷物を片付けてもまだ応援団の方達は、選手達の応援歌を演奏してくれていて、傘をしまった私達は空のペットボトルや空きのジュースカップを持ち、傘のように軽く振って一緒に盛り上がりました。ツバメ軍団のみなさん、いつもありがとう。

散々盛り上がり、表参道で仕事をしていたMさんが新宿駅まで電車で送ってくれて、ずっと興奮状態のまま最寄り駅に着きました。すると、こちらが降りる時に乗り込んできたのは、中日のユニフォームを着た中日ファンの若い男性でした。その時、わっと色々な思いがこみ上げて、涙が溢れそうでした。彼はきっとハマスタでDeNA対中日戦の観戦後で、すれ違ったその一瞬で懐かしさが一気に押し寄せ、ナゴヤ球場のライトスタンドにいた小学生の自分が頭を掠めました。自分の息子がヤクルトファンになり、ヤクルトキャップを被り声援を送る自分が想像できただろうか。思いがけないことがいくつもあり、だから人生は面白い。悲しいことよりも、嬉しいこと。後者はきっと倍数になる。それはライトスタンドが改めて教えてくれた。その喜びを息子に渡せた日。村上選手は彼のヒーロー、それはどんな時も変わらない。