線を飛び越える

年に一度のマブダチK君への誕生日おめでとうメッセージ。さすがに近況を伝えようと思い、お祝いコメント共に一連の内容を送りました。すると、なんで今まで連絡してこなかったんだと怒られることを覚悟していたのですが、思いがけない内容で胸がいっぱいに。
『ありがとう。俺の誕生日なんてどうでもいいけど、Sの身体を大事にしてよ。母親の件もあって、癌とかの大変さは多少分かるから。Sの芯の強さがあれば乗り越えられると俺はいつも信じてる!!Sの強さと優しさが俺の芯の源なんだからね!!また、何かあったらいつでも話聞くから電話でもしてね。』泣けるじゃないか。随分丸くなったなとも思ったし、こちらの意図に気づいてくれたかもしれないなとも。

私が彼に連絡することを躊躇した理由の一つが、お母さんをがんで亡くしているからでした。お母さんのがんは、気づいた時には末期、その時の彼の心の痛みはずっと胸の中にあり、私が中途半端な状態で連絡をすれば、その時の事を思い出させてしまうだろうと思い、できませんでした。ようやく、安心してもらえるところまできたものの、副作用と再発の不安感を察知した彼は、その後に電話をかけてくれました。後から着信に気づいたのですが、コールバックはせず。声を聞いたら泣いてしまいそうで、だから直接会いに行った時に話を聞いてほしいと再度メッセージを送ると、そっとしておいてくれました。メッセージだけでは足りない、もっと踏み込んで苦しかったこと吐き出せよ、そんな思いで電話をかけてくれたことを感じました。だから、取れなかった。きっとお互いが、言葉や行動以上に、届け合ったものがあったのだろうと、培ってきた深さがどうしようもなく嬉しくて、多くを語らなくても分かってくれる彼の懐に今回も助けられたようでした。名古屋行き、もしかしたら近いのかも。新幹線なら乗れる気がしてきたよ。

そんなことを思いながら入ったお気に入りのカフェで、なぜか蘇ってきた学校図書室勤務でのこと。専任の音楽の先生が、いつも陽気でよく笑わせてくれていました。「この間ね、保護者のお母さんとお話しする機会があった時に、図書室の蔵書数ってどれぐらいあるんですか?って聞かれて、数字が分からなかったから溢れるぐらいあります!なんて適当に答えちゃったんだけど、どれだけあるの?」ははっ。「溢れるぐらいって・・・。約1万冊です。学級文庫の数は入れていないので、それも含めるともう少しあるのですが、図書室に配架されて登録されている数はそれぐらいです。どうしてもキャパシティの関係で、それ以上あまり増やせないので、新しい本を入れる時は、古い複本などを除籍することもしなければいけなかったりするんです。」「なるほど~。もっと早く聞いておけば良かったよ!増えるだけだと埋もれちゃうもんね。」そんな明るい先生は、私がプールのお手伝いに行って、校庭で、短パン姿で子供達と準備体操をしている時も、微笑みながら通過していってくれたこともありました。低学年の子供達が二人一組になり、手を繋ぎ、その手を上げて先生の掛け声のもと、「バディ!」とみんなで言う時にはキュンとなるぐらい可愛らしくて。あまりにもかわいいので混ざりたいと思っていると、奇数になった日には後ろの子と手を繋ぎ、一緒に仲間に入れてもらいました。「バディ!」やった~。助手というより、本気で混ざり過ぎ。

運動会の朝には、その音楽の先生が、先生達の慰労会があるから、是非にと誘ってくれたことがありました。それでも、教員と司書という立場の違いを感じ、やんわりとお断りをするとそれ以上は強く言われなく、こちらの気持ちを察してくれたようでした。僕も教員だけど、専科の先生だし、捉え方次第ではあなたの仲間だよ、心の奥でそんな言葉をかけてくれているようで、そんな先生の気持ちが嬉しく、その優しさだけで十分ですと思い笑顔でお別れ。運動会をアナウンスや音楽で盛り上げてくれた先生、なんだか堪らない時間と余韻でした。

執刀医に、手術前の説明でどさくさに紛れて聞いたことがありました。「左の卵巣だけ摘出するということは左右差が出ませんか。」と。半分本気で半分冗談で言った私に、先生は手をひらひらさせながら「ないない。」と半笑いしてくれて。「普段の卵巣は3センチぐらいなんだよ。あなたの場合8センチにまでなったし、腫瘍もあるから全摘出だけど、全く違和感はないよ。」と言われ、なんだか一緒に笑ってしまいました。
祖母の義理の妹、私からしてみたら血が繋がっていないおばさんは、ずっと大事にしてくれて、ある時こんな言葉をかけてくれました。「何か足りないぐらいがちょうどいい。何もかも恵まれてしまったら、本当の価値が分からなくなってしまうかもしれない。Sちゃんの家族はみんな別の方に向いているから、みんなを取り持つあなたは苦しいよ。でもね、だからこそあなたにしか見えないものもあるんじゃない?」そう、その苦しさは、もしかしたら好転させることができるのではないか、考え方ひとつだと沢山の想いを含んで伝えてくれた言葉なのだと、改めて思いました。
手術で失ったものよりも、受け取ったもの。その大きさに気づいた時、ようやく線を越えることができるのだと実感した日。何か足りないぐらいがちょうどいい、心から笑って言えるよ。