セカンドオピニオンから得たもの

1年半ぶりに母に会い、1対1で話すことを躊躇っていたのですが、息子もそばにいたので、なんとなく和み、こんな時はものすごく空気が読めることを知っていたので、入院先の談話室でおとなしく色塗りをしてくれていました。
クラゲとイカの区別がつかない!と騒ぎながらもぬりぬりしてくれているのをよそに、どうして手術に踏み切ったのかを聞いてみることに。

私と連絡を取っていた頃は何度か手術の相談を受けたのですが、年齢が若いこともあり、そんなに急ぐことでもなかったようで、リスクがあることも分かっていたので、注射や通院で、とりあえず頑張ってみようよと話したことがありました。でも、私と連絡をしなくなった間に、悪化した両膝が不安になり、クリニックの主治医のところへ行ってみると、そこまで心配なら総合病院の先生のところに1度診てもらってきたらどうかと、言われたそう。

主治医は、手術をして金属を入れてももつのは20年。64歳の母に、68歳まで今の状態を頑張らせたかったようです。もう一度高齢になってからの再手術を、回避するための選択を勧めてくれていました。その後、紹介された総合病院へ行ってみると、今すぐ手術をしないと、車いすになりますよと言われて青ざめた、と母が話してくれました。
軟骨がすり減ってしまって、とても危ない状態だったようです。

「主治医の先生は、私の負担を減らすために手術を遅らせる道を用意してくれていたの。だから、全く責められないし、親身になってくれて有難いと思っているよ。でも、あまりの痛さに耐えられなくなってきて、思い切って総合病院に行って本当に良かった。84歳でもしかしたら再手術かもしれないけど、今踏み切っていなかったら、車いすだったかもしれないないなんて、辛すぎるからね。勇気を出して動いて、本当に良かったと思っているよ。身長が4センチも縮んだのは、膝が関係していたのね。また、背が伸びるかしら?」

右足の手術中、想像以上に酷い状態で、時間がかかったことにより、麻酔も伸び、その影響で術後もずっと嘔吐をしていたところに、父がそばにいてくれたようです。適当にさするから何にも役に立たなかったと笑っていたけど、本当は心強かったんじゃないかな。その後は麻酔が切れた痛みとの戦い。ようやく落ち着いた頃に話してくれた母の姿はすっきりしていて、1つ山を越えた人の表情をしていました。

他力ではなく、自力で登った山。私の意見に左右されることなく、自分の判断で総合病院へ出向き、セカンドオピニオンに衝撃を受け、なかなか仕事が休めないという父に、長期連休を取ってもらい、私がいなくても、何とか乗り越えようとしていたことが分かりました。

母は、強くなった。間違いなく。そして、クリニックの先生に対しても、判断ミスではなく、自分の人生を思ってくれたからこその選択だったことに感謝していました。

あと20年、金属を入れた足で、どう生きるのか。正直違和感があるなんて笑って話してくれたけど、それは母が自分で掴み取った金メダル。
あと1つ、また大変だけど掴みに行こう。