全く意識していなかった400記事目到達。この緩やかな気持ちがいいんでしょうね。気が付いたらここまで来ていた、そんな感じです。
少しだけくだらない話に付き合ってもらうと、一番最初の公開時間は夜の7時でした。理由は、プログラマーのMさんが熱狂的な阪神ファンで、ラッキー7に並々ならぬこだわりがあることと、私が好きな星野監督の背番号が『77』だったので、験を担ごうという楽観的な理由で決めました。ランチタイムにこれだけ来て頂けるのは、完全な想定外でした。一日のアクセスの半分以上だなんて、やっぱりカフェだからな。そういう問題じゃない?忙しい合間に来てくれてありがとうございます。
書くだけ書いて、読み直した後にボツになった記事は、二桁に上っているのですが、野球関連の話だったので、お蔵入りする前にMさんに読んでもらったことがありました。それは、『どうしても気になること』、近鉄が出てきた内容でした。なにか違うと感じた箇所は、最後の一文が疑問文で終わってしまったこと。しまった!『?』で終わらせてしまったよと騒いでいたのですが、Mさんが宿題型でしょ、読者の皆さんに考えてもらおうよと面白いことを言ってくれるので、そのまま公開することにしました。そして、近鉄ファンの方が読んでくれたら、きっと喜んでもらえるからと。男性読者の方が多くいてくださるこのサイトに、彼のアドバイスは必要不可欠のようです。
父が実家を去った数か月後、噂を聞きつけた近所のご年配の男性が、祖父を訪問。縁側に座り、二人で話しているところに、コーヒーを出そうと思い、準備をしていたら話す内容が聞こえてきました。「お宅のお婿さん、出て行ったらしいな。」あざ笑うかのようなものの言い方に、いつもは気の強い祖父もすっかり小さくなってしまい、下を向いて何も言えなくなっていました。出そうと思っていたコーヒーにいたずらでもしたい気持ちを堪え、帰ってくれませんかと言ってしまいたい気持ちも抑え、その日一番の最高の笑顔で祖父に伝えました。「おじいちゃん、また戦争の話を聞かせてね。続きが気になっていたんだ。」そう言うと、「そうか。」とそっと微笑みながらこちらを向いてくれてほっとしました。父が出ても、かわいい孫がいる。意地悪な人に怯むことなく、私達家族は、幸せに暮らしているのだと、少なくともあなたのような人の弱みに付け込むような人より、いい人生を送っていると伝える為。最上級の私の意地でした。その後も、祖父は毎年楽しみにしていた老人会の旅行にも行かなくなりました。噂をされることに耐えられなかったのだと思います。人の幸せをこんな形で奪うことが、やっぱり許せなかったです。
そんな祖父と二人で夕飯を食べている時、ぽつりと伝えてきました。「お父さんは元気にやっているのか?Sちゃんはきっと場所を知っているだろう。お父さんに頭を下げるから、こちらが悪かったから戻ってきてほしいと伝えてくれないか。」あんなに頑固だった祖父が、こんなことを言うとは思わず、泣きたい気持ちを堪えるのが大変でした。「今はね、離れて暮らす方がみんなの為だと思うから。みんな苦しかったよね。いがみ合って暮らす程、辛いことはないよ。お父さんにはおじいちゃんの気持ちを伝えておくね。今は3人で、仲良く暮らそう。」
そして、ある時、父にその気持ちを伝えに行くと、一瞬涙を溜めて伝えてくれました。「お気持ちだけもらっておきます。一人暮らしを経験してみたかった。誰が悪いとかではないから。」
祖父の想いが、父の心を優しく解したのは言うまでもありません。お互いが辛かった。私を通してのパス。誰かを許すのは簡単ではないけど、それができた時のハートはあまりにも温かい。
そんな堪らない瞬間を、どこまで切り取れるだろうか。気持ちのバトンはまだまだ続く。