勇気を出すこと

まだ息子が3歳ぐらいの時だったかな。一緒にショッピングモールのおもちゃコーナーで遊んでいたら、一人の男の子が寄ってきて、息子が遊んでいたブーブを取り上げてしまいました。泣きもしないし怒りもしない、ちょっと様子を見ていたら、気にせず他のブーブで遊びだした姿を見て、こういったことが不満ではないのかな、喧嘩することの方が本人にとって苦しいことなのかなとぼんやり思っていると、思いもがけない行動に。自分が遊び終わったおもちゃを、その子に「はいっ。」と渡していて本気で驚きました。お友達に優しくするようにと、それは何度も伝えてきました。それでも、嫌な思いをした相手にまで優しさを向けなくてもと心の中で思っていたら、一つの出来事が思い起こされて。

このお店、素敵だなとずっと思っていた一凛珈琲。母があまりにも沈んでいたので何とかしなくてはと思い、息子と3人で初めて行った時のこと。他にもお客さんがいる前で、罵声は浴びせられるし泣かれるし、本気で途方に暮れました。公の場でしかも息子のいる前でそれはさすがに許せなくて、怒りの感情を必死で抑えていると、息子は私の異変に気づいたよう。自宅に母を置いておくことが心配で、一度うちへ寄ってもらい、宥めてから見送った後、まだまだ小さな彼がぼそりと私に伝えてきました。「ママは、どうしておばあちゃんにあんなにも怒っていたの?」と。多分お店の中からずっと息子の中で沢山の疑問や違和感が溢れ出ていたのだと思います。それでも、母がいるタイミングでそのことは絶対聞いたらいけないのだと、いつもと変わらない無邪気な子供として母の前で接してくれていました。“ママは嫌な思いをしていた。それでも、そのまま見送らず沢山我慢をして優しくした。ボク、そういう姿見ていたよ。でもなんで?”顔にはそう書いてありました。「おばあちゃんはちょっと弱い人なの。悪気はないんだけど、たまにうまくいかない気持ちをママにぶつけてしまうのだと思う。でも、本当はいい人よ。辛い思いをさせてしまってごめんね。」そう伝えると、小さな心の中で何かが芽生えたことを感じました。それは多分、人を守るということ。

おもちゃを取られた相手に、自分のおもちゃを渡した息子。どうしてそんなことしたの?と聞いたら彼はきっとこう答えただろう。“ママだってそうでしょ”、これを言われたらもう何も言えない。

その後、一凛珈琲にはもう二度と行けないなと思いました。そこに行く度に、きっと私は母から受けた負の感情を思い出すことになるだろうと。ゆっくりと時は流れ、思い切って母と距離を取った時、もう逃げてばかりいたくないと思い、勇気を出してお店に入ると、色々な気持ちが駆け巡り、トーストを食べながら涙を堪えることが大変でした。苦しかったな、それでも踏み出せた。これからの自分の人生を大切にしよう、そう思わせてくれた堪らないひとときでした。

まだまだ小さかった息子と一緒に、開かれた大学のキャンパスを歩いていた時、女子大生の学生さん達に「可愛い~。」と囲まれて、慌てて3歳児は私の足の後ろに隠れてしまいました。それでも様子が気になり、“家政婦は見た”状態でちらっと顔を出すと、おねえさん達がまだ見ていて、照れてしまう始末。周りに人がいてくれることを当たり前だと思わずに、そこにいてくれる人の存在に助けられる人になっていくんだよ。そして、その気持ちをどこかで返そう。格好つけなくていい。自然でいい。その姿を見てくれる人を大切にしよう。
『Rのえがお、めっちゃだいすき♡』こんなラブレターが、通知表よりも嬉しかったりする、何でもない母親としての時間。一つの勇気が何かを変えてくれるのだと、息子から教わる日々。