一生分の幸せ

少しずつ食欲が戻ってきた私に、母がランチに誘ってくれました。「今年の誕生日は、あなたの退院祝いも兼ねて、一緒にご飯でも食べたくて。」そう言われ、母にとってプレゼントよりも時間の共有をとても大切にしていることを思い出し、喜んで約束。そして、当日指定されたお店に行くと、嬉しそうに思いがけない話をしてくれました。「この前にね、お父さんと東京観光に行った時、美味しそうなチーズケーキのお店があって、買いたかったのに人気で売り切れちゃったの。とっても残念で帰ってきてね。そうしたら、お母さんの誕生日の今日、一緒に朝ご飯を食べていたら、リビングの椅子に置いて、こっそり仕事帰りに買ってきてくれたそのチーズケーキを、はいって渡されて、もう感激しちゃってね。前夜から隠してくれていたんだなって、お父さんからプレゼントをもらうなんて初めてで、めちゃくちゃ嬉しかったわ。おめでとうは?って聞いたら、照れて笑ってた!」なかなか粋なことをしてくれるじゃないか!ああ、その光景こっそり見たかったなと思いつつ、ここまで辿り着いてくれたのだと、こんな日がくるなんてと、あの冷戦状態の実家での暮らしが嘘のように、穏やかで優しい時間を感じました。辛くなったら思い出せる、大切な瞬間がお母さんにもできたね、67歳おめでとう。

そんな楽しい時間の中で、実家での日々が思い起こされ、ひとつの珍事件が頭をかすめ、また腹が立ってきました。それは、脳梗塞で退院した祖父が、リハビリの為にも家庭菜園を頑張ると言って、駐車場の一角にキュウリを作っていた時のこと。名古屋に帰省した時、祖父が私にどうしても話したかったらしく、自宅に着いて早々に教えてくれました。「Sちゃん、聞いてくれるか。おじいちゃんが一生懸命に育てていたキュウリ、深夜に泥棒にあって引きちぎられていたんだよ。残っているのはちんちくりんのだけ。帰ったら食べてもらいたくて頑張って作ったんだけどな。」「おじいちゃん、それ酷いよ!そんなことする人いるの!病院で沢山リハビリしていた姿知ってるよ。家族にできるだけ迷惑かけないように、トイレとかご飯とか、自分でできるようにって理学療法士さん達が、おじいちゃんの退院後のサポートもいっぱいやってくれていて、孫として嬉しかったもん。なんだか、その気持ち全部踏みにじられたみたいで、私も悔しいよ。」「うんうん、ありがとな。監視カメラでも付けるか?」と私と作戦会議を始めていると、母がそこまでしなくていいと割って入ってきました。いやいや、でもねプライドの問題でしょ。「取った人も、もしかしたら生活に困窮してやってしまったのかもしれない。それでも、もう車に乗れないおじいちゃんがお母さんに頼んで、車に一緒に乗って苗を買ってきて、孫が帰る時に食べさせたいって私の笑顔を想像しながら丹精込めて作ってくれたおじいちゃんの気持ちを思うと、やっぱり腹が立つんだよ。ねえ、おじいちゃん。」と、怒り狂っている私を見て、祖父の怒りが笑いに変わり、自分よりも怒ってくれた孫を見て、何やら満足そうで。「まあいい。いろんな人が世の中にいるよ。」そう言って、笑ってくれました。「ちんちくりんのキュウリでも、おじいちゃんが大切に育てたものだから、食べさせてね。」そうこの気持ち。祖父との間にも流れていた湧き水。食べ物を誰よりも大事にするおじいちゃんの思い、知ってるよ。そして、相手を責めてばかりいても仕方がないことも。敗戦し、捕虜になった後、雑菌だらけの飲み物を渡され、匂いで飲んだらいけないと判断した祖父。それでも、空腹に耐えられなかった仲間は一気に飲み、体を壊し亡くなったそう。なんで飲んだんだって思いたくなったけど、飢えに苦しむ気持ちも十分わかっていたから、おじいちゃんとっても複雑だった、そんな話をしてくれたことがありました。生き抜いた人の知恵、そして祈り、もっと沢山のもの。キュウリ一本にも、色んな想いが詰まっているようで、なんだか祖父を抱きしめたくなりました。

私が結婚し、祖父と母が二人で新幹線に乗り、遊びに来てくれた時、一緒に箱根観光をしました。温泉から出た祖父が心配で、私も早めに切り上げ二人で休憩処にいると、語ってくれたのはまだ自分が小さかった頃のこと。「Sちゃん、本当に小さかったんだよ。一緒に○○おばさんの所へよく行ったな。」祖父が思い出す記憶は、大きくなった私ではなく、おじいちゃ~んと手を繋ぎ、甘えていた私なのだと思うとなんだか少し切なくなりました。

そして、別れの時。小田原駅の新幹線側のロータリーで夫が停車をした時、どうしようもなく涙が溢れてしまい大変でした。祖父に会うのはこれが最後になるかもしれない、直感でそう思いました。握手し、元気でいてねと言葉を交わし、祖父の歴史を感じました。激動の時を生きた人。その後、妊娠し、悪阻が酷く帰省が難しく、無事に出産、ひ孫を連れて病院を訪れた時、間に合って良かったとどれだけ安堵したことか。それは同時に、祖父の最期が近いことを意味していて、胸が張り裂けそうでした。「Sちゃんの子供を見たら、おじいちゃんの人生は満足だ。」その言葉通り、祖父は数週間後に他界。一生分の幸せを手に入れたかのような優しい眠りでした。
ひ孫に戦争の話を語ること、祖父のその夢は叶わなかったけど、その思いは引き継いだ。戦地でのコイバナも、許されるならいつか息子にしようか。愛とか恋とかよく分からなかった一人の戦士が、一人の女性を帰還してからもずっと心の中で大切に思っていたお話。