ゆっくりとした時間の流れ

少しだけ余裕が出たのか、パソコンの前でぼーっとしていました。色々と課題は山積なのだろうけど、一つ一つを取ってみると、実はたいしたことないんじゃないかと思えてきて。最近の懸念材料は、夜ご飯何を作ろう。冷蔵庫を見てあっさり解決しそうです。

今年も届いた大学同窓会の案内状。よく見てみると、感染症の影響で中止にするということ。そして両親に会った時、なんとなく伝えました。「毎年丁寧に関東で開かれている、出身大学の同窓会の案内状が届くの。今年は中止なんだけど、浮いてしまわないかと毎年行けなくてね。」すると、母が言ってくれました。「せっかくの機会だから行ってこればいいじゃない。意外と年齢の近い友達ができるかもしれないわよ。」と。母が、大学の入学式に送ってくれた時、ドライバーとしてだけ来てくれたので、私を降ろし、駐車をして待ってくれているはずが、時間があったのでキャンパス内をうろついていたよう。すると、年齢も性別も関係ない2年生から4年生の学生さん達が、お子さんに渡してくださいと、サークルのチラシを何枚も抱えていて大爆笑。「会う人会う人に声をかけられ、なんだかお母さんまで入学できたようで嬉しかったわ。いい大学に入ったんだなって。せっかくだから楽しみなさい。」そう言われたことが蘇りました。私立の女子高に通い、祖父の敷いたレールの上を歩き、銀行員になった母。厳格な祖父の元で、結婚相手も決まっていたそう。誠実でとってもいい人だったの、でもどうしてもその人が好きになれなくてね。そんな時、同じ支店でお父さんに誘われてね。母の人生を変えた父の登場。苦労をさせられても、母がレールの上から外れたことで姉や私が生まれたことは、幸せだと話してくれたことがありました。そんな母は、自分の子供には好きな人生を送らせてあげたいと伝えてくれて。人の意見に振り回されがちな性格なのに、私が大学進学を望んでいることを応援してくれました。そんな母を置いて、大阪に行ける訳がない、そう思い選んだ地元の大学。そこで、初めて母がキャンパスに足を踏み入れた時、一緒に夢を見てくれているのだと感じ、良く晴れた空の下で嬉しくなったこと覚えています。もう一度、大学に行きたい、やり残したことがある。そのことを母は知っていました。だから、どんな形であれ、私が大学の何かと繋がっていられることは、娘にとって大切なことなのだと感じてくれたのだと思います。

勝手に憧れていた関東のある大学。箱根駅伝に出る度にこっそり応援していました。今年の駅伝で、父が母を連れて見に行ったそう。天気のいい日に旗を振った両親の姿が浮かび、何か自分の中でもやもやしていた気持ちが飛んで行ったようでした。憧れは憧れ、もうそれでいい。前に進もう。

司書教諭の資格を取る為に、深夜にパソコンを開き、レポートを書く画面の前に開いたそこの大学のホームページ。プロ野球で大活躍するOBの選手が、通信教育部に応援メッセージを動画でアップしてくれている映像を見た時、ただただ泣けてきました。通信教育で資格取得や卒業の単位を取ることがどれだけ孤独なことなのか分かってくれていたからこその大学の配慮だったのだろうと。そして、SNSを通して繋がった同じ目標に向かって進む通信教育部の仲間。誰かが試験に受かる投稿をすると、共に喜び、そして自分も頑張ろうというコメントをいくつも見て、私もまた励まされました。一人なんだけど、一人じゃない。インターネットという媒体に助けられ、その世界は優しいものだと感じられることができたから、今ここにいるのだと改めて思います。

最後の試験は、60点。オンラインのテストがどれだけハードルの高いものだったのか痛感させられました。ギリギリ合格。それに甘んじる訳にはいかない。それでも届けてくれた沢山の方からのおめでとう!のメッセージ。学んだことを全部出しきるまでここにいる。ベビーカーを引き、試験の度に銀行まで振り込みに行っていた受験費用。もう来ないよ、これで最後にする。そう決めてゆっくり帰った銀行の帰り道。両親の職場だった場所から、自分の夢へと繋がった日。