やり残したことを掴みにいこう

お風呂から出てきた夜、リビングに入ると息子がまたヤクルトの試合をYouTubeで観ていました。「これ、いつの?」「ヤクルトが日本一になった時の試合だよ。日本シリーズをまとめたものだと思う。オリックスとの対戦だよ。」それは、息子が小学3年生の時の試合、その時すでに彼はヤクルトファンになっていました。それでも私自身、前のマンションで全く余裕がない時で、日本シリーズの試合を見せることができなかったと小さく反省。3年生の終わりに引っ越し、4年生になり一緒に神宮球場へ。そして、その年にリーグ優勝。5年生になり、ヤクルトが5位に低迷したものの、息子の熱はそのままで、日本一になった時がどんなだったのか彼なりに知りたくなって自分で掴みに行ってくれたことが分かりました。その中には、青木選手がデッドボールを受けそうになったシーンがあって。手に当たっただろうと思われる場面で、青木選手はグリップに当たったというようなことを告げ、申告ファウルに。その映像を見て、息子がひと言。「かっけー。」と。スポーツマンシップとは、正直であることとは、対戦相手に敬意を払うとはどういうことか、日本シリーズという緊迫した試合で見せてくれた青木選手の振る舞いに、息子の心が動いたことが分かりました。そして、そのシリーズは延長12回までもつれ込み、敵地でヤクルトが日本一に。選手達が泣き、高津監督が何度も宙に舞う姿を目に焼き付けた様子。もう一度日本一へ、その気持ちは選手も関係者の方もファンも同じなのだと、息子から改めて教えてもらったようでした。さあ、今年も神宮へ行こうか。

やり残したことと言えば、数年前にシェアオフィス内にあった『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン著、扶桑社)を途中まで読んで、棚に戻したらいつの間にか他の書籍に差し替えられ、続きが読めていなかったことを思い出しました。ずっとその先が気になっていたので、ネットで購入し続きをようやく読むことができて。自分はどうだったか、どうしていきたいのか、もう一度迷路の中で考えさせられた一冊でした。このタイミングで続きを読めたことにも、きっと意味があるんだろうなと。走り続けようと思います。
最近、マブダチK君の誕生日だったので、お祝いのメッセージを送ると返信はありませんでした。単純に返事をすることを忘れたのか、私の質問の回答をじっくり考えているのか。18代目だという家業を継ぐという道、会社が倒産した時に残務処理に行った会社に採用され、恩のある会社に骨を埋めるのか。おばさんが亡くなった後だからこそ、彼がその選択に迷っていることは分かっていて、だからこそ道は決まったかと投げかけてみました。すごく難しい選択だからこそ、簡単に答えは出せない、でもとことん考えているその時間そのものが彼をまた成長させるだろうと。先祖代々の歴史、今の家族、そしてK君自身はどうしたいのか。散々悩み抜いた先に見えた彼の景色が聞ける日を、楽しみにしています。本当にもしかしたら、この先二度と返信がないかもしれない、それはないだろうけどそうだったとしても友情は変わらない、そう思えるのはそういった領域に達しているからなのかなとも。オーストラリアに短期留学した頃、姉から国際電話があり、もう日本に帰ってこなくていいよと言われました。電波の届かない所にいたら、お父さんもお母さんもSちんを頼れないから。もう自由になっていいんだよと。ネネちゃんの大きな愛を感じながらも、観光ビザで来ちゃったから帰国しなきゃいけないとかなんとかかんとか言っている妹に、姉は言ってくれました。「Sが幸せなら、もう二度と会えなくてもいい。オーストラリアなら私が会いに行けばいいし。K君もきっと同じ気持ちだよ。」太平洋を挟んで南半球にいるのに、その心の近さに泣きそうになりました。そういえば、ネネちゃんは10代のK君のことをその当時の高津投手に似ていると言い、私の前ではたまに“タカツ”と呼んでいたな。10年ぶりぐらいに再会した時、やはり今の高津監督になんとなく似ていて吹き出しそうになって。その後、別れ際にはヤクルトファンであり、高津監督ファンの息子とハイタッチ。何かが繋がったな。「Sが全く知らない国に行って、もう二度と会えなくても連絡が途絶えても、お前が幸せで暮らしてるって想像するだけで俺は頑張れる。姉貴もきっと同じことを思っているぞ。」答え合わせがより強固なものになる、優しさが深ければなおさら。

「ママ~、今日ね、ママと世界中を旅する夢を見たの!」桃太郎電鉄ワールドを時々やるから、その世界観が夢に出てきたのねと微笑んでみる。「どこの国に行ったの?」「本当にもう世界を回ったの。オーストラリアでしょ、スペインでしょ。」ん?情熱の国?!ヨーロッパは行ったことないけど、パエリア美味しいんだよな~とわいわい。選択の連続、行き止まりもあったり、自分が嫌になったり、言い訳が先に来たり。それでも、すり減った足で前に行きたいと思う。そこに“何か”がある気がするから。簡単には諦めない。