三年目の始まり

7月は、このサイトをオープンさせた月であり、今月で三年目に突入しました。私よりもプログラマーのMさんの方が、そのことを大切にしてくれていて、月初めにとても丁寧な連絡をもらい、パソコンを開いて、こみ上げるものがありました。『二年間、本当にありがとう。たくさん感動をもらったよ。頑張る姿に勇気をもらった。これからもよろしくお願いします。』私がブレないでいられているのは、彼の大きなバックアップがあるから。伴走者のようにいてくれる数えきれない励ましに、どれだけ助けられたか分かりません。記事が途切れず、丸二年を経過できたこと、そのことに賛辞を贈ってくれたMさんに、心からのありがとうを伝えたいです。

毎月出してもらっている月間と、全期間の統計。20歳前後の方達が増えてきてくれて、とても驚いています。少し先を行く私の生き方が、何か小さなことでも参考になり、皆さんのこれからにプラスに作用してもらえたら、嬉しいです。だから、私の失敗も、後悔もこの場に書かせてもらえたらと思っています。宿題も課題も目標も、いつか達成できたらといつも願いながら毎日を頑張ろうと思うので、一緒に歩いて行けたらとそんな気持ちでいます。良かったら、三年目もお付き合いください。

この間、毎週息子の担任の先生が書いてくださる、伝言板の内容を読み、瞬きも忘れて、ポロっと涙が一滴こぼれました。それは、短期間だけ来日し、一緒に授業を受けたアメリカのお友達に関することでした。『今週で体験が終わってしまう○○君に手紙を書きました。短い文章でしたが、「○○くんのことわすれない。だいすき」と書いてあって思わず泣きそうになりました。心が温かいですね。』お勉強の方が、ちょっとのんびりして、先生に心配をかけてしまっている中で、息子の心の成長は、こちらが思っているよりも早く、そしてその温もりを先生が深く感じてくれたことに、胸がいっぱいでした。見てくれている人は見ている。万人受けなんて、そんなことは最初から難しくて、でも“想い”を共感してくれる人は必ず周りにいる。息子は、小学校1年生の時に、担任の先生という身近な方に、心を見てもらえたのだと、この子は大丈夫だと思いました。お勉強はね、努力で後からついてくることもある。思いやりを持つことの方が大切なのではないかと、改めて息子に教えてもらったような気がして、自分の小ささと、共に成長していくことの意味を感じました。自分が教えているのではなく、教えられる。本当はそんなことの繰り返しなのかも。

少し前に授業参観があった時、大気が不安定で、貧血が酷く、仲良しのKちゃんに懇談会は出られないかもしれないから、内容を聞いてもらえたら助かるよと伝えると、とても心配してくれました。何とか持ち直し、参観日の様子を見ていたら、次から次へと自分の子供時代が思い出され、なかなか苦しい作業だなと痛感。私は、両親に来てほしかったのだろうか。そうじゃなかったのか。強引に自分の感情に蓋をしたことが数えきれない程あったのだと、それを引き出していく大仕事がこれからも待っているのだと、息子の真面目な横顔を見ながら思いました。感情は出した方がいい。いいことも悪いことも。でも、それを引き出す勇気が無ければ、“その時”になってからでもいい、そんな気がしています。

家族ってなんだ?私の中では永遠のテーマなのかも。それでも確実に言えるのは、家族のように思える人も、周りを見渡せば沢山いるということ。その中の一人がKちゃんであり、そんな友達を持てたことを誇りに思います。だから、読者の皆さんに、何度だって言う。
苦しいことが10あっても、嬉しいことが1つ心に残ったら、きっと頑張れる。