限りある時間

ふとスマホから飛び込んできたのは、中日の福留孝介選手引退のニュースでした。色々な気持ちが駆け巡った夜、引退会見を見ると、清々しい表情でいる福留選手がそこにはいて、寂しいのだけど沢山の元気をもらったようでした。中日にすごい選手が入団してくれたと歓喜した学生時代。逆指名をしてまで、どうして中日に入ってくれたのだろうとずっと不思議に思っていると、その答えが引退会見で見つかって。同じPL学園出身の立浪選手(現中日監督)に憧れて、入団を切望してくれていたんだなと。中日ファンとしては堪らない繋がりに、胸がいっぱいでした。福留選手と言えば、2006年のWBC、なかなか結果が出せない中でスタメンを外れた準決勝の韓国戦、先制のツーランホームランを打ち、決勝進出を決めてくれました。その時、姉の自宅でたまたま見ていて、二人で大歓声。彼女は中日の青いメガホンをバンバン叩いて応援し、「福留君、打て~!」と声を上げていたので、その祈りが通じたのかホームランを打ってくれた時、本気で胸が熱くなりました。不振だった福留選手、やる時にはやってくれるなと、その男気に震えて。そんな数々の夢を見せてくれた彼の24年間が沢山の思い出と共に蘇り、いい時間でした。メジャーリーグ、阪神での活躍、その後中日に戻ってきてくれてそのユニフォームで引退。古巣に帰ってきてくれてありがとう。引退について、「必ず誰もが通る道。いずれ自分にも来ると分かっていた。いよいよ来たなと。」そう語り、阪神と中日ファンに感謝の気持ちを伝えてくれた時、阪神ファンの方達と手を繋げた気がしました。大きな存在だったな、ここ一番という時に打ってくれた彼の背中をファンのみんなは覚えていると思うとエネルギーをまたもらえたようでした。後は、指導者としてユニフォームをまた着てくれる日を待つことにしよう。

羽田発旭川行の飛行機に乗り、雲の上を飛んだ時、そこは一面真っ白の世界でした。その景色を見た時、祖母と過ごした時間が思い出され、感極まりそうに。まだ、幼稚園の頃、祖母が乳がんの入退院を繰り返していることを知っていました。寒い冬、仮退院で自宅に戻っていた時、名古屋で大雪が降り、冷えが辛い祖母は、私にマグカップを渡し、この中に雪を入れてきてほしいと頼んできました。「うん、分かった。おばあちゃん待っていてね!」そう言って、雪が止んだ外に出てみると、見事な銀世界でした。沢山入れたらおばあちゃん喜ぶかな、そんなことを思いながら積もった雪をコップに詰め、またすぐに病院へ戻ってしまうんだと思うと、切なくなって、自宅で過ごす祖母との時間を大切にしたいと思いました。「おばあちゃん、入れてきたよ。」「ありがとう。雪って食べられるんだよ。」そう言ってむしゃむしゃ。驚きながらも一緒に食べ、もう一度お願いされたので走って取りに行き、またスプーンで食べました。季節は変わり、春になると二人で散歩をしながらつくしを取り、取ってきたつくしを佃煮にしてくれました。秋の仮退院では、イナゴを取りに行き、それも調理をしてくれて。虫嫌いな私がイナゴを食べたと息子に話すとドン引きされるのは分かっているのでこの話はここだけ。頭痛の酷い祖母に肩を叩き、全ての時間は私の中で雪のように優しく積もっていきました。最近になり、改めて母に祖母のことを聞いてみると教えてくれて。「おばあちゃんね、がんが見つかってから余命半年と言われていたの。手術も大掛かりなもので、抗がん剤治療も本当に辛くて、他にも転移してしまったけど、8年闘病を頑張ってくれてね。人の命は分からないなって思った。」私が生まれて間もなく祖母の乳がんは見つかり、そこから半年の命だったら、私は祖母の記憶がないままでした。おばあちゃんは、命を燃やし続け、孫の私に本当の愛を教えてくれました。限りある命だからこそ、今の自分にできること、その凝縮された時間は、沢山の季節に色を付け、そこにあなたがいてくれるだけで幸せだと何度も何度も思わせてくれました。祖母との記憶が残っていること、それが私の核にあるのかもしれません。

実家の庭にあった一本の木。冬は雪を被り、存在だけは大きいのに何も咲きませんでした。祖母が亡くなった春、寂しさに暮れ、木を見上げるとたった一輪だけ咲いてくれました。おばあちゃんだ、おばあちゃんの命がここに芽吹いたんだ、そう思うと少しだけ元気が出ました。長い時を経て、両親にあの木は何だったのか聞いてみると、桜だと教えてくれて、言葉にならなくて。咲いたのは、あの時が最初で最後、祖母が私に残してくれた大切な大切な桜を、このサイトで咲かせようと思います。

息子が育てていたあさがおが、猛暑を乗りきり、9月にようやく咲いてくれました。きれいな紫色で、大きく花を開いてくれた時に感動し、息子と大喜び。花の命は短くても、一生懸命に根を張り、こちらを笑顔にさせてくれました。ここにいるよ、あなたが水を毎日くれたから咲いたよ、どう?いい色でしょ。だから、あなたも咲け!そう言われているようでした。スポーツ選手の選手生命も短かったりする、その短さを本人は知っているから、自分の限界を超えようとその姿に魅せられるんだろうな。引退会見で、野球が好きだと何度も口にしてくれた福留選手。そんな生き方を格好いいと思う。入団会見よりも、引退会見に胸を打たれるのは咲いた人の苦悩と感謝ともっとぎゅっと詰まったものがそこにはあるから。だから花束なのかな。棺桶に入れられる時、花の似合う人でいよう。