WBCの日本対台湾戦、待ってましたと息子とテレビの前で釘付けに。試合は日本の猛攻で熱狂し、次の日は早朝からスキーだったので5回が終わった時点で眠りにつきました。翌朝テレビを点けると7回コールドで勝ったことが分かり、一緒に歓喜。そして、慌ただしく準備を済ませ、家を出ました。途中でおにぎりを買い、電車に乗った後、乗り換えの駅に着くと遅延していることが分かり、大慌て。現地のバスに間に合いますようにと祈っていると、特急電車がようやく来てトラブルが解消された模様。ほっとして乗り込み、プログラマーのMさんと合流しました。いい日帰り旅行になるといいね。
その後、バスにも間に合い、車内で爆睡。すっきりと起き、白いゲレンデが見えてきました。二回目の息子は大興奮。「ボク、スポーツで一番スキーが好き!」と言う程前回ではまったよう。1秒でも早く滑りたい彼は、散々急かしてくるので慌てて着替え、ようやく雪の上に立ちました。ブランクなんてなんのその、上手に滑り出すので去年の半べそは何だったんだと思いながら笑えてきて。スポーツの能力を引き出すと、それが彼の一番の自信になるかもしれないなと改めて思いました。どこでいつ何が花を開くか分からない、その可能性を信じ、見逃さないでいられたらと。今回も絶好のスキー日和、吹雪くことなく晴天の中で滑る景色の中にいたら、学生時代のことが懐かしくなりました。大学の男友達に誘われた時も、同じような天候だったなと。まだ入学したての頃、大講堂でオリエンテーションがあり、いろんなジャンルの教授が自分の講義を語り、その中からひとつを選んで受講するというスタイルのものがありました。なんとなくこれだと思った講義を選び、実際に教室へ向かうと驚く程人気がなくて、やっぱり私は少数派なのかなと可笑しくなって。その講義は、時事問題など気になった新聞を切り抜き、用紙に貼って自分の感想を書き毎週提出し、時々発表をするというものでした。面倒だけど、好きなことなんだよなと思っていると、同じ歴史専攻で受講した男子君が話しかけてくれて。「一緒の学科だよね?少人数だったけど、よろしくね!」爽やかな笑顔で伝えられ、そこからすっかり仲良くなり友達になりました。西洋史が得意な彼は、試験前に助けてくれて、出題された論述式の問題がどんぴしゃで本気で有難くて。そして、春休みに岐阜へスキーに誘われ、二人で行くことに。わいわい盛り上がり、車で自宅まで送ってもらいバイバイ。2年になり、そのことを女友達に話すとびっくりされて。「1対1の男女がスキーに行ったのに、友達なの?」「うん。すごくいい友達関係だよ。」「ゲレンデだよ!なんでそんな気分が上がる所へ行ったのに愛が芽生えないの?!」と本気で驚かれるのでちょっと笑ってしまいました。高校の時から異性の友人は多かったし、そもそも変わった講義をお互い選択したことで、不思議な仲間意識でも芽生えたのかもしれないな。それからも本当にいい関係で、4年になりナゴヤドームのバイトを誘ってくれたのも彼でした。どうしても人数が足りないから1人連れて来てほしいと言われて、Sちゃんはドラゴンズファンだからとお願いされ、今までのお礼も込めて参加させてもらうことに。短いキュロットスカートを履き、レフトスタンドの2階、VIP席でひたすらランチョンマットを敷き、売店でビールをお渡ししていました。中日対ヤクルト戦、なんだか球場にいられるだけで幸せで。そして、働くみんなの汗が素敵でした。ヤクルト勝利でゲームセット、後片付けをし、更衣室に行く前にすれ違う全てのスタッフさんと「お疲れ様でした!」と笑顔でご挨拶。勝っても負けても、ここで働く方達はこの空気が好きなのではないかと思いました。その中に自分がいる、彼が連れてきてくれたその一日を今でも大切に持ち続けています。
そしてさらに遡ること、中学3年の時。保健室の先生が、テニス部の顧問で、陸上部にも所属していた私に一番厳しく指導してきました。練習試合で守りに入ろうとすると、必ず檄が飛んできて。「S、逃げるな!攻めの姿勢を崩すな!」と。攻めて失点をするなら仕方がない、でも守った上で敗戦したらきっと後悔する、陸上で培ってきたものを後輩達に背中で見せろ。それが、先生が私に伝えたかったことだと分かっていました。そして、迎えた最後の公式戦団体戦、前衛のポジションにいるとスーツのまま駆けつけてくれた教務主任の数学の先生まで見えて、いろんな気持ちがこみ上げ、攻めの姿勢を貫こうと思いました。そして、金星を掴むとみんなが喜んでくれて、その数か月後、保健室の先生が行う保健の研究授業が待っていて。こちらの想像を超える先生達が後ろに集まり、いつもは強気の顧問の先生の緊張が伝わってきました。もちろん生徒達もど緊張、いつもは盛り上がる雰囲気が一変、質問に対し誰も発言せず、おかしな沈黙が流れて。そこで、開き直りました。お世話になった先生の為なら間違っていても恥をかいていい、そう思いすっと手を挙げて名前を呼ばれたので、自分なりの意見を伝えることに。すると、そこからまたスムーズに授業が流れ、和やかに終わりました。顧問の先生が、「S、ありがと。」と心の中で伝えてくれたことが分かり、それで十分だったのだけど、授業後に数学の先生が私の所に来て微笑みながら言ってくれました。「S、先生を助けたな。」数学の先生は、最後の公式戦を見に来てくれていた、顧問と私の関係性はその時感じてくれていたはず。前衛でラケットを持ちながら、潤みそうになる涙を堪え攻めようと思った。顧問の先生、ありがとうと思った、だから、先生がピンチの時は助けたかった。その糸電話は、試合会場にいてくれた数学の先生だからキャッチしてくれたものだったのだろうなと。スポーツと心、どちらも大切でどちらも中学の時に深く学ばせてもらっていた。
ふと、我に返ると、白いゲレンデと目の高さほどの雲という広大な自然の中で、ぐんぐん上達していく息子と、それを微笑ましく見てくれているMさんの様子が見えました。人として大きくなるのは、こういうひとときでもあるのかなと。なにくそって思う場面でも、こんな時間がきっと黒い塊を小さくしてくれる、そんな気がしました。46歳の私は15本滑り、二人はもっと滑り、心地よい疲れの中で帰宅。筋肉痛は2日間、そりゃそうなるわと自分に笑い、なんだかまた大切なものを拾ってこられたようでした。途中下車した帰りの夕飯は、父と母との思い出のお魚屋さん。黒いものを流して、いいものを残して生きられたらとずっと思っていたのだけど、それに少しだけ近づけたかもしれないと思えた一日。優しさ、そこにじんわり広がる温度を一番最後に残したい。