受け入れてその先へ

ある週末、たまたま点けていたプロ野球のデーゲームで、西武の源田選手を見かけ、息子と大盛り上がり。WBCで右手小指を骨折、その後も日本の為に大会に出続け、準決勝のメキシコ戦では、送りバントの構えをしてくれました。カウントがツーストライクになり、なんだか泣きそうに。「通常のヒッティングなら、ツーストライクでファウルになった場合、そのままなんだけど、バントの構えでツーストライクからファウルになった場合、スリーバント失敗と言ってアウトになってしまうの。源田選手の右手の小指に当たらないか心配だし、このカウントは難しいと思うんだけどどうするだろう。」と祈るように伝えていると、きっちり決めてくれて息子と安堵。それから、歓喜の優勝が訪れ、源田選手は大事を取って西武の復帰は遅れることになりました。そんな時間が過ぎ、源田選手がバッターボックスに立つことが画面を通して分かり、ささっと洗面所で用事を済ませようと向かうと息子もついてきてしまう始末。二人でわちゃわちゃやっていたら、源田選手が一塁から戻ってくるところで、終わってしまっていた~と二人でがっくり。それでも、元気そうな姿が見られて良かった!と満足し、本当の意味でWBCが終わったような気がしました。最近のキャッチボールで、やたらとゴロを捕りたがるのは、源田選手の影響もあったのね。流れるような人を魅了する守備、見かける度に胸が熱くなりそうです。

ホルモン治療をお休みしてから、久しぶりに婦人科へ行ってきました。一時期顔色の良くなかった先生が元気になられていて、こっそり安堵。そして、お約束の内診が待っていました。最近の自分の状態を話し、画像を見た先生が伝えてくれて。「癒着は、前よりは良くなりつつあるね。ホルモン剤をやめて3か月ぐらい経つけど、生理はもう少し後になるかもしれないね。」「先生、周期的な下腹部痛はあるんです。でも出血はなくて、本当にもしかしたらこのまま生理が来ないなんてことはありますか?」「その可能性はあるね。まだなんとも言えないけど。残した方の卵巣も大分切除したから、もしかしたらあまり機能していないのかもしれない。」そう言われ、なんだかストンと納得できるところもあり、冷静に頭の中で繋がっていきました。元々、8cmまで腫れ上がり、腫瘍ができていた左側の卵巣だけを摘出するはずが、手術中に右側にも腫瘍が見つかり、良性だったものの、すでに5cmを超えていたので悪い所だけを取って、半分は温存したということ。41歳という年齢で、女性ホルモンを出すために一個は残した方がいいという先生の判断で、小さな卵巣は体の中に残してくれました。手術後、看護士さんからの説明で、卵管も取り、子宮と右側半分の卵巣が残されたことが分かり、押し寄せた後悔を感じて長い間そばにいてくれた時間。その時、無くしたものよりも温存してもらった卵巣を大事にしていきたい、そう思いました。その卵巣が、あまり機能していないかもしれないと先生に2年半経って言われて、なんだか一緒に笑ってしまって。ここは本当にもう笑っちゃった方がいいと思いました。ホルモン治療をお休みしても、心身ともにあまり状態が上がってこない原因はこれだったのかもしれないなと。「当分生理は来ないと思うから、ちょっと寂しいかもしれないけど、待ってみてね。」と最後に先生に言われ、余計に笑えてきてお別れ。そう言えば50代前半の時、母が言っていたな。「閉経してちょっとだけ寂しくなった。煩わしさから解放されたから楽になったけど、女性として半分終わりなのかなみたいな気持ちになったよ。」と。それでは私は、何を思う?寂しいという感情は手術後に十分味わった、それよりも状況を受け入れ、そこからどうしていきたいか考えること、そうしたら心身ともに負荷がかかっている状態でも進める気がしました。自分の感覚として、全く卵巣が機能していない訳じゃない、女性ホルモンが少ないなりに、やれることはあるだろうと思いました。息子の自慢の母親でいるために。

そんな気持ちの中で週末を迎え、電車に乗ってずっと行きたかった広い公園へ二人で行ってきました。人口密度も高く、それでもサッカーを楽しみ、へとへとになって帰宅。翌日はまたバッティングセンターへ行き、息子のスイングを見守りました。その後、ストックしていたメダルでゲームを楽しんでいると、男の子のお財布を発見。すぐに受付へ届け、探しに来たお母さんに伝えると、何度もお礼を言われ、ひと段落して息子の隣に座ると伝えてくれました。「ママがいない間にフィーバーしたんだよ!」と。それを聞き、笑ってしまいやっぱり世の中こんな風に回っているのかもしれないなと感じました。いつもパチンコに行っていたマブダチK君。彼はいつも人に奢り、そしてパチンコで勝っていました。久しぶりに再会した時、最近どうしているのかを聞いてみると教えてくれて。「結婚してからスパッとやめた。365日あって360日パチンコに行っていた俺がやめたんだよ。自分でも驚いている。」私は驚かないよ、あなたはそういう人。守るべき人ができたから、そこに迷いはなかったはず。26歳の時に出会っていたら、俺達どうなっていたんだろうなってK君は言った。もし、その時に出会っていたら、高一からは会っていなかったことになる。その10年、あなたにどれだけ助けられたか分からない。だから、26歳で出会っていたらなんて、想像できないんだ。その期間に色々なことがあったから、お互いの幸せを心から願う関係になれたんじゃない?あなたのお母さんにも沢山支えてもらった。どれだけの不調に陥ろうとも、それは決して消えることのない大切な気持ち。

息子と散々遊んで、ようやく帰宅すると、夜になってどんと辛さが押し寄せ、短時間だけ寝かせてもらいました。すると、すぐに理解しゲームを始めてくれたので、浅い眠りの中へ。なぜかバトンを持ち、岐阜の方向へ走っている自分がいました。沿道で拍手を送ってくれる人達がいて、誰かに交代かと思いきや、岐阜で折り返し、また愛知に戻りました。それでも、レースは終わらず、走り続けると声援は切れることなく続きました。その感動と共に、ふと目を覚ますと、ピコン!という音が聞こえてきて、息子がマリオのフューリーワールドをやっていることが分かり、一緒に走っていたのねと嬉しくなって。「ママ、少しは寝れた?」「うん、ありがとう。ちょっと楽になったよ。」どんとした辛さが、仙台旅行の時に来ませんように。息子が旅立つその日まで、どうか見守ってくださいと拝んでみる。沿道にいてくれた方達の拍手が蘇ってきた。溢れる感謝が押し寄せた夜、息子の寝顔が微笑んでいるように見えた。いつの日か私のバトン、受け取ってくれるだろうか。