同じ空間

学校で行われる歯科検診があった日、きちんと歯磨き粉を付けて歯磨きするんだよ~と朝から慌ただしく準備をしてから見送り、お迎えの時間が来たのでいつもの公園で待っていました。すると、息子が若干凹んでいたので、虫歯でも見つかったのかと思い聞いてみることに。「今日の歯科検診どうだった?」「ボク、若くて格好いいイケメンの男の先生だと思っていたのに、おじいちゃん先生だったんだよ~。」って、そこかい!!「学校に来てくださる歯科医師の先生って、ご年配の方が多いイメージだよ。で、虫歯はなかった?」「うん。ボク、がっかりしちゃって・・・。」先生に失礼や!虫歯がなかったんだからいいじゃないかと慰めながら帰った夕方。何を期待して学校へ行っているんだか。小5男子イケメン探しの旅は、これからも続く。

そしてある日、歯医者さんの定期検診があったので、待合室で二人でぼーっと待っていると、すぐ後ろにいたお父さんと息子さんのやりとりが聞こえてきました。お父さんはいら立ち、スマホを持ちながら子供の顔も見ないで、ただ怒鳴っている様子。その後、女性の歯科衛生士さんがやってくると、息子さんの最近の状態をやや煩わしそうに伝え、その内容からお子さんが心の障害を抱えていることがなんとなく分かりました。思うように進まないもどかしさも、分からないではない、それでも、お子さんはお父さんが丸ごと分かってくれることをきっと望んでいますよ。強い言葉ではなく、同じ目線で包んでくれる優しさを。それだけ上からものを言ってしまえば、もっと傷つき自信を無くしてしまう、そのことにお父さんが気づいてくれるといいね、その子の背中を見ながら心の中で届けました。それから、息子と帰宅し、さりげなく待合室でのことを聞いてみると答えてくれて。「ボク、後ろにいたお父さんが偉そうに色々言っていて、嫌な気持ちになった。」と。この重たい雰囲気を、息子は察知しただろうなと思っていたので、やっぱりビンゴでした。あなたの持つセンサーは、沢山のことをキャッチする。いいことも、そうでないことも。時に苦しくなることもあるだろう、でもね、やっぱりそれは神様からのプレゼントだって思うんだ。自分の中にあるもの、大切にしていってね。そしてある日、伝えてくれました。「ボクね、道徳という教科が一番大事だと思う。」そう言われ、はっとなって。これは以前、私が伝えた言葉のようにも思うし、そうではなく彼自身が総合的にそう感じたからこその発言のようにも思う。どちらにしても、自分の意見を持つようになり嬉しくなりました。「お母さんもそう思うよ。自分の気持ち、相手の気持ち、心を学ぶってとても大切なことだと思う。とっても難しい教科、答えがないからね。だからこそ、沢山考えればいいのだと思う。Rといる中で、色々な発見があるし、お母さんも学ばせてもらっているよ。」そう話すと、とても和やかな空気が流れました。今この時がもう、道徳の授業の延長線上にあるのかもしれないね。

なぜ野球が好きなのか。連日のように観戦していてふと気づいたことがありました。表と裏(攻撃と守り)があり、3アウトでチェンジになる中で、一人の選手がバッターボックスに立ち、ヒットなどを放った後、次の選手までに少しの間ができ、ひと呼吸自分の中で置けるというリズムが心地いいのかもしれないなと。1回から9回まで、時にビッグイニングで大量得点があったり、緊迫した投手戦であったり、右に数字が進んでいくそんな流れが、年表のようだとも思うからなのかもしれません。そんな私の年表の中に、薄くも長い時を過ごした友達がいました。小学校に入り同じクラスだった女の子。そんなに仲が良かった訳でもなく、岐阜に転校になり、また愛知に戻ると同じクラスになりました。それでも、沢山話すことなく同じ中学へ。3年生で同じクラスになり、私立受験をしたり、公立も推薦入試で決める子も多く、最終的に公立の一般入試を受ける女子は同じ組で4人だけ、その中に私と彼女がいました。その当時の愛知県の公立入試は複合選抜、AとBのグループから一校ずつ受験する方式でした。陸上部に力を入れ過ぎた私は、一校受験に絞ることに。彼女はとても頭が良く、私が受ける高校は滑り止めの第二希望でした。卒業式も終わり、入試も終了して、いよいよ結果発表の日、彼女が第一希望を落とし同じ高校へ行くことが分かりました。落胆をそばで感じ、それでも小さな闘志も垣間見えて。大学受験は絶対に志望校へ行く、そんな炎が嬉しかった。その後、Sちゃんも入部するなら私も入ると言ってくれて、一緒の茶道部へ。彼女はなんの迷いもなく理系クラスに入り、大学受験を迎えました。そしてまた志望校に入れなかったことが分かり、滑り止めで私が入学する文系の大学に進学を決めて驚きました。彼女がまた落胆したことも、それでもどこかで気持ちを切り替えていることも感じて。学部は違っても、小中高大学と同じだったのは彼女だけで、幼稚園時代から呼ばれていたニックネームで、キャンパス内で声をかけてくれる時はなんだかぐっときました。そして、高校の教員免許を取得すると話してくれて、教職課程の講義でたまに合流するように。高校受験も大学受験も思うような結果を残せなかった彼女の無念さも、どこか肝が据わっているその姿も隣で見てきました。そして、同じ時期に教員免許を取得。深い話をしたことは一度もなく、それでも赤いランドセルを背負っていた友達と、ずっと並行し同じ時を過ごし、袴を着て卒業するのかと思うと、特別なものがありました。彼女と過ごした学生時代は何色だったのだろうと思うと、ものすごく白に近い淡いピンクなのかなと。私の年表の初期から長い間そこにいてくれた友達、彼女の成功を今でも祈っています。

時は大学2年、社会系学部の彼女の講義に興味があり、潜れないかと半分冗談で伝えると、出席をきちんと取らないラフな講義があるからいいよと誘ってくれました。同じ学部の友達を誘い、後ろの方に座ると、前からプリントが配られ、私達が受け取ると足りなくなるといけないからともらわずに後ろへ。すると、その用紙に自分の意見を書いて発表するという時間がやってきて大慌て。連れてきた女友達と冷や汗をかきながら、気づかれないように頭を伏せている光景を彼女が見て、ずっと笑いを堪えていて。その後、講義は無事に終わり、彼女にお礼。散々笑ってくれて本当にいい時間が流れました。「ママ、大学ってどんな所?」息子からの質問に、彼女との時間が蘇ってきて。そして、老後は息子とのこんな時間を思い出す。9回のマウンドから見える景色は、どんな風景が広がっているだろう。