快適を探す

息子とヤクルト戦を観ていた夜、質問をしてきました。「ママ、カットボールって何?」「お母さんね、球種については詳しくないの。ストレートとカーブならなんとなく分かるんだけど。」「ピッチャーの投げた球が、途中でパカッと割れてカットされるんじゃない?!」そんな訳ないやろ!!「それでは試合にならないよね~。二つに割れたら、どっちを打ったらいいか分からないよ。」「そうやって惑わすのがカットボールなんじゃない?」なんのこっちゃ??今日の対戦相手はロッテだから、割れた球からコアラのマーチでも出てきたら面白いなと勝手に想像が膨らんでしまい、息子と大盛り上がり。「今日はヤクルト対ロッテだから、なんだか美味しそうな試合だね!ヤクルトの隣にロッテのお菓子があったら、テンション上がっちゃう。」子供ならではの視点に笑わせてもらった夜。幼稚園の音楽祭が終わると、毎年担任の先生が一人一人を労いながら、ご褒美にコアラのマーチをプレゼントしてくれました。そのひとときを息子は今でも大切に持っているのだと先生達が知ったら、喜んでくれるだろうか。年中の時のH先生、この声は届いていますか。先生が褒めてくれた言葉の種は、息子の中で育っています。いつもすれ違う幼稚園バス、思い出を詰めて運ぶその車を見て、ふとランドセルを背負う彼の背丈が視界に入り、時の流れを感じました。今度は、中学に上がった時、何を思うだろう。沢山の人が届けてくれた愛の大きさを、ふとした瞬間に思い出すのかもしれない。

そんな私の小学校時代、岐阜に転校になり、少しずつ馴染んでいった後、キャンプでグループ分けをすることになった時のこと。5年生になってから、リーダー格の熱狂的中日ファンの女の子と仲良くなり、もう一人の友達と三人で一緒の班になろうねと約束していました。そして、実際にグループを作ってみると、クラスで一番大人しい子がぽつんとひとり。これは良くないとみんなが慌て、さりげなく何人かの子が誰と一緒になりたいかを聞くと、躊躇いながらとても小さな声で伝えてくれました。「・・・○○ちゃん。あと、Sちゃん。」もうすでに出来上がっているグループの誰かを伝えるのは、とても勇気がいったはず。そんな中で選んでくれた彼女の気持ちが嬉しく、その場で決めました。「私、同じグループになるよ。一緒になろうって言っていたのに、抜けることになってごめんね。」と友達二人に謝ると分かってくれて。そして、もう一人声がかかった彼女も一緒に入ることに。そして、キャンプ当日、大人しい友達ともっと仲良くなれることを楽しみに向かうと、体調不良で参加しないことが分かりずっこけそうになりました。兎にも角にも、こんなこともあるよねとちょっとミステリアスな彼女と同じ時を過ごすことになり、そこまで仲がいい訳ではなかったのだけど、不思議な巡り合わせだなとも思っていて。その友達は、とてもよく人を見る子で、どこかで自分のことを見透かされている気がしました。ある程度は心を開くのだけど、ある場所まで行くと自分を出さない、そんな所が似ているなとも感じていて。そして、なんとなく一緒に帰ることになった学校帰り、ランドセルを背負って、「ここ、うちの本屋さん。じゃあね。」と不思議オーラ全開でお店屋さんに入っていくので、冗談かと思ってついていくと、店主らしきお父さんに「ただいま!」と言って、またお店を出て行き、笑ってしまって。「本当に○○ちゃんちの本屋さんだったんだね!」と高揚しながら伝えても、彼女のテンションはそこまで変わらず。どこか大人びて、いつも人との距離を保っていて、今思えば、本の世界という共通項で彼女とは繋がっていたのかもしれないなと思いました。キャンプ、予想外の展開だったけど楽しかったね。あなたの冷静な世界観が好きだった。お店を訪れたら、店主としてそこにいてくれるだろうか。誰かと誰かが喧嘩しても、どっちにもつかず、いつも一歩引いた所にいた。じゃあ冷たいかと言われたらそうじゃない。そんなあなたをみんなが信頼していたんだ。

そして、別れ。父の名古屋への栄転が急に決まり、2月というこれまた中途半端な時期に引っ越すことになりました。荷物まとめに追われ、気持ちの整理がつかないまま、お別れ会がやってきて。音楽のご年配の男の先生が私の転校を知り、最終日にみんなと記念撮影をする屋上まで駆けつけ、エールを送ってくれました。ソーラン節に力を入れていた学年、熱狂的な巨人ファンの男性の担任がいつも踊りを指導し、ついにはマイクを持って先生が歌うことに。運動場でみんなが踊り始めると、スタンドマイクの前で「ヤーレンソーラン♪」と先生が本気で歌うので、みんながふき出しそうになり、そしてある時は途中で雨が強く降り出しても、途中でやめることはなく、みんなが真剣に踊りました。その時ずぶ濡れになった先生は、音楽の先生に着替えを借りたよう。そして、その本気度が他校にも知れ渡り、その学校でも踊ることに。「え~!先生、もしかしてそこでも歌うの?!」と男子。「おう!格好よく歌うぞ!」と一番ノリノリの様子。音楽の先生も協力してくれて、大盛況に終わりました。屋上まで、音楽の先生がわざわざ挨拶に来てくれた時、そんな沢山の思い出がこみ上げ、泣きそうになりました。そして、クラスのみんなでパシャリ。ピースサインをした私は真っ赤な目で笑っていました。ありがとう、みんな。一員にしてくれて、同じ時を過ごし、笑って送り出してくれたこと忘れません。

時は過ぎ、高校二年で出会った野球部監督の担任の先生に伝えました。「先生、お父さんが銀行員だから3年に1度転勤があって、本当にもしかしたら今年あるかも。5年生で岐阜から戻ってきて、中2の時に事情はよく分からないけど大阪赴任が無くなって、名古屋市内の転勤だったから、今年何かあるかも。」「そうか。みんな大変だな。それだけ転勤があったらお父さん、役職就いているだろ。」「はい。でも、ゴルフの会員権を買ったはいいけど、バブルが弾けてただの紙切れになった~と母が騒いでいました。」と笑いながら伝えると、一緒に笑ってくれました。「でもな○○、岐阜での生活、いい経験になっただろう。」「はい。」お前から何か滲み出ているぞ、唇をきゅっと結び微笑んでくれた先生の表情からそんな声が聞こえてきました。遠征に行き、掴んだものがあった。だから、ホームグラウンドに帰ってきた時、その時間は活きてくる。野球部監督が私に伝えたかったのは、きっとそういうこと。心地の良い人が感じ取ってくれたその気持ちもまた、自分の中に蓄積されていたことを知る。今でも白球を追いかけていると伝えたら、喜んでくれるに違いない。