繋がっていく人

昨日の夕方、息子が友達と遊びに行っている間に学校から着信があり、慌てて取ったものの気づくのが遅かったのか切れてしまい、その後かけ直しました。すると、男性の先生が出てくれたので名乗ると、担任の先生は他の電話をかけているということで、再度折り返してもらうことに。その間、学校で何かあったのかなとやや不安になっていると、元気よく息子が帰宅。事情を聞いてみると、特に思い当たることはないとのこと。なんだろうねと二人で話していると、もう一度電話が鳴ったので気持ちを落ち着かせて取りました。すると、ものすごく物腰の柔らかい先生で、息子からの情報とはちょっと良い意味で違う印象で驚きながらご挨拶。内容を聞いてみると、提出したはずの書類が届いていないとのこと。それは、5年生の3学期に旧担任の先生に出したものでした。その時、事務的な内容で先生が電話をかけてくれていて、その時ホルモン治療の注射で大打撃を受けていたタイミングだったこともあり、私のちょっとした異変を感じ取ってくれた日でした。おそらく、先生はそのことに気を取られ、書類を引き継ぐことを忘れていたのではないか、そんな気がして。すると、こちらが出した時期が分かった今の担任の先生は、確認してからかけ直しますと恐縮されながら一旦終了。そして、「見つかりました~。」と申し訳なさそうに伝えてくれました。なんだか嬉しいバトンのリレー。こちらは全然気にしていなくて、むしろお忙しい時にありがとうございましたと笑って伝えると、柔らかい時間が流れました。幼稚園時代から息子は担任の先生に恵まれるな、それにしても顔を合わせる前に電話ではじめましてとは、今までになかった展開で、お会いするのが楽しみに。先生にとっても思い出深い一年になりますように。

そんなほのぼのとした新学期の中で、最近また図書館へ行く回数が増え、そこでパソコンを開いて道行く人を眺めていたら、本当は思い出さない方がいいかもしれない記憶が鮮明に蘇ってきました。それは、祖父の葬儀の日。その少し前から、母からマイナスの感情を爆発させた連絡を受け取るのが辛く、返信をすることを控えていました。そして、祖父の他界。息子が生まれて、おじいちゃんに見せに行ったその少し後に逝ってしまった。それが直感の中で分かっていただけに、うまく説明のつかない気持ちが渦巻き、実家に戻りました。玄関で大泣きしている母を慰め、中に入ると和室で横たわる冷たくなった祖父がいました。涙が止めどなく流れ、言葉にならなくて。その私を見た祖父の姪であるおばさんは、「Sちゃんが来てくれたよ、Sちゃんのこと大好きだったからね。」と祖父や私に語り掛けるので、余計に溢れてしまい、そこからなかなか動けませんでした。その後、まだ生後半年にもならない息子の授乳や、親戚の方達のご挨拶などで慌ただしく時間が過ぎ、出棺の時が。火葬場へ向かうバスの中で、もう本当におじいちゃんと最後なのかと思うと堪らない気持ちになり、車窓から見えた田園風景を見て、いろんな思い出が駆け巡りました。そして、現地に到着し、祖父が焼かれている最中、母が私を呼び出し二人きりの場所で罵声を浴びせてきて。なぜ何週間も返事をしないんだ、私がどんな気持ちでいたのか知っているのかと。ただ、こちらは感情を押し殺し、その時間が早く過ぎることを願うしかなくて。その後、骨になった祖父を見て涙がまた溢れました。そんな出来事から何か月か経ったある日、姉と話す機会があり、話の流れからその時のことを伝えると、ネネちゃんが怒りで震えていて。「人としてあり得ない。Sちんがどれだけおじいちゃんを大切にしてきて、それこそお父さん代わりの所もあって、ずっと近くで見守ってきたんだよ。おじいちゃんとSちんにしか分からない関係だったと思う。そんなおじいちゃんが焼かれている時、Sちんがどんな気持ちだったか。そういう時に、自分しか見えていなくて、Sに罵声を浴びせるお母さんは許せない。Sちん、今までどんな思いをしてきたの?そういうこと沢山あったでしょ。」できるだけ冷静に話そうとする私が、余計にネネちゃんを辛くさせてしまったのか、その姿を見てやっぱり話さない方が良かったかもしれないなとちょっと思いました。妹の痛みは姉の痛み、彼女を悲しませるのはやっぱり違うと思ったから。
それからもいろんなことがあり、大変だけど息子との穏やかな生活が待っていて、図書館ののんびりとした雰囲気に包まれていたら、その時の本当に大事なことだけが残りました。ネネちゃんが私の為に、そして私とおじいちゃんが過ごした沢山の時間を想って、母に対し怒りで震えてくれたこと、その気持ちが嬉しかったのだと。その時間は一度きり、もう戻っては来ない、そんな時を壊されてしまったこと沢山あったのではないか、姉はひとつを見て、妹が抱えてきた膨大な苦しみを感じ取ってくれました。その気持ちに救われた、とっても。あなたのような人に沢山出会ってきたよ、だから今がある。そして、おじいちゃんが焼かれている時のことをきっといつもどこかでなぞっている。その生を、生きた証をきっと私は残したいんだ。

ある朝、夢を見ました。まだ愛知県に残っている実家の駐車場跡地。今は更地になっているのだけど、夢の中ではそこでなぜか野球チームが試合をやっていて。目が覚めると、全然そんなに広くないわ!!と自分の夢に突っ込みたくなったものの、祖父がそんな夢を喜んでくれている気がしました。それは、私にとって大好きなスポーツだったから。運転免許を取得したものの、車庫入れが下手くそで祖父の家庭菜園の大根にぶつけてしまったこともありました。こちらも悪かったけど、おじいちゃんもっと孫の技量を考えて離れたところに植えてよ~と思ってみたり。ある時は、祖父が掘っていた穴に私の車が少し入って抜け出せなくなってしまい、すぐ近くに軽トラを停めて作業をしていた親戚の農家さん夫婦に、抜け出すのを手伝ってもらったこともありました。どんくさいにも程があり、なんだかおじいちゃんごめんねと思いつつ、笑ってくれて。気が短いのだけど、器もあって、人とは何かその後ろ姿をずっと見てきたような気がしています。「Sちゃん、図書館を教えてくれてありがとう。いろんな書物があってな、おじいちゃんが戦地に行っている間、他の部隊がどう戦っていたのか、何があったのか知ることができた。ずっと気になっていたんだよ。」棺桶に入れたのは一冊の本。祖父と共にあれ。