息子の中学校の合唱祭がやってきました。朝はゆっくりで良かったので、二人で身支度をし、先に見送ることに。「後でホールに行くね!いってらっしゃい。」「うん、後でね!いってきます。」自分よりも身長は伸び、体つきもどんどん青年へとなっていく彼の後姿を見て、ぐっときました。中学の制服、板についてきたね、入学式の時はまだ小学生のあどけなさが沢山残っていたのに。中学3年間は驚く程成長し、あっという間だといろんな人から言われていました。それを、ここ数か月で実感して。穏やかな一日を感じにいくとしよう。
プロのカメラマンさんが撮ってくれることは分かっていたものの、念の為ビデオとカメラを持って家を出ました。ようやく少し秋の空気に変わり、季節の変化を楽しみながら自転車でホールに到着。そして、広報委員で一緒だった友達と合流しました。いつものように近況を語り合い、わいわい盛り上がりながら席に座ることに。すると、少し緊張気味の息子が前の方で振り向き、こちらと目が合いました。その表情を見てほっとするのが分かって。幼稚園の音楽会も同じホールだったね、無事に終わると担任の先生がコアラのマーチを配ってくれて、喜んでいたことが懐かしい。色々あり過ぎた小学校生活、卵巣がんの疑いが出て、手術後に余命宣告をされたらどうしようかと思いました。息子のそばにもう少し長くいさせてください、手術前の激痛の中で毎日のように祈っていました。その時のことを思うと、こうして中学の制服を見られている今を、当たり前だと思わず、感謝したいなと。そんなことを思っていると、友達の息子君のクラス発表が始まりました。隣で彼女が感動し、目がうるっとなった瞬間が、卒業式の時と重なって。ひとりっ子だと全ての時間が一度きり、だからこそいろんなものが凝縮されていて、同じ時を同じような歩調で彼女と進める日々を大切にしたいと改めて思いました。「Sちゃんだから話せるんだけど、私ね、中学校時代色々あったの。」うんうん、分かるよ。無理して話さなくていいよ、話したいと思った時、心が許せるところまでで大丈夫だよ。ひとりで抱えて辛かったよね。そんな気持ちで聞いていたら、彼女は胸の内をさらけ出してくれたことがありました。その人その人に痛みがあり、歩いてきた歴史がある。その先で交われる時が来て、だから友達の感動がなおさら沁みました。いいお母さん、友人になってくれてありがとう。
そして、息子のクラスの合唱が始まりました。曲は『旅立ちの時~Asian Dream Song~』(作詞:ドリアン助川、作曲:久石譲)、1998年長野パラリンピックのテーマ曲として制作されたよう。ビデオを手に取り、ピアノが始まると聴いたことのある曲で、こみ上げそうになり手が震えました。1998年の高校3年の冬、テレビの前で長野オリンピックパラリンピックに感激していた自分が蘇ってきて。姉は大阪へ就職した、大学は地元に決めた、後悔はない、また新しい世界で頑張ろうと思っていた時期でした。そんな自分がいくつもの波を越えて、シングルママとして息子の合唱を聴いているなんてね。できるだけ録画してほしいと彼は言った、記録を残してほしいと。そこにはどんな意味が込められているのだろう。私が中学3年の時はまだ土曜日も学校があり、選択音楽という授業がありました。非常勤の若い女の先生は、言うことを聞かない生徒達に困惑していて。それでも、いくつかグループを作って音楽発表会をしようと提案してくれて、みんながなんとなく準備を始めました。そして当日、国語の担任の先生も見に来てくれてスタート。ギターを持ってきた男子達の演奏に盛り上がり、何組か終わった後、プリンセスプリンセスが好きだった私が『ブリブリ』を結成し、ピアノが得意な友達の演奏で仲間とプリプリメドレーを歌いました。それを微笑ましく聴いていた担任の先生、そしてもう一人ゲストがいて。その人は、陸上部顧問でもあった体育の先生、自前のギターを持参し、長渕剛さんの曲を気持ちよく歌い出しました。終業のチャイムが鳴ってもおかまいなし、みんなが苦笑し、ジャイアンのリサイタル状態でも先生はずっとご機嫌に歌い、爆笑と共に会は終わりました。すると、テニス部の顧問でもいてくれた音楽の先生が、私にぼそっと伝えてくれて。「Sちゃん達がせっかくトリでいい感じで終わってくれたのに、まさか○○先生が入ってくるとは思わなくて。計算外だった!」そう話してくれるので一緒に笑ってしまいました。でもね、若い先生だからと反抗するみんなに手を焼いているだろうと、盛り上げる為に○○先生来てくれたんだよ。先生の頑張りをそばで見ていて、同じ教員として心配していたんだ。自分が恥をかいてもいい、それで場が楽しくなるなら。そう願ってギターを持ってきた体育の先生の気持ち、先生にも届いていたらいいなと改めて思いました。時に気持ちは交錯し、届かない時もある、誤解もある、でも心を込めて届けたものはたとえ時間がかかっても回り回って本人に伝わることもあるのではないかと。夏休み中、声変わりがあるからとパートはまだ決めていなかったようでした。そんな息子は、テノール担当に。ひとりひとりの声が重なり、心が重なり、クラスがひとつになり、溢れそうでした。彼は、その時の想いを忘れたくないのではないか、だから記録にと。大きくなったね、イベントの度に思うよ。拍手に包まれ、合唱は終わりました。なんて優しいひととき。
彼女と散々ガールズトークをして、一足先に自宅へ帰る途中、中学3年の最後の音楽祭を思い出しました。自分のクラスは最優秀賞とみんなから思われていて、当日も練習通りのいい発表ができて。その後、隣のクラスの合唱があり、ブリブリでも演奏してくれたソフトボール部捕手の友達がピアノの前に。すると、途中で演奏が上手くいかなくなり手が止まってしまいました。彼女が下を向いたその時、練習では見せなかったクラスの声が一段と大きくなって。その時、誰よりも心を込め、歌声を大きく届けてくれたのは、陸上部のキャプテンでした。一番前で、あの時もみんなを引っ張った、○○に恥をかかせないでいよう、僕達の為にピアノを演奏すると言ってくれた、その気持ちに今度は僕達が応える番だ、みんなついて来て。彼の歌声にはそんな気持ちが込められていて、負けたと思いました。人の心を動かすのは、こういう時なのだと。そして、割れんばかりの拍手の後、最優秀賞を勝ち取ったのはやはり彼らのクラスでした。審査員だった先生の一人が伝えてくれて。「合唱として綺麗だったのはB組、でも、ピアノで合唱が止まってしまいそうな時にクラスがまとまったC組の発表に感動した。それは、審査という点ではちょっと違うのかもしれない、でも今回は他の先生達も同じ気持ちだと思う。」いやあ完敗だよ、先生の言っている意味、すごくよく分かる。私達の合唱は無難だった、隙がなかった、でも隣のクラスは心がもっと深かったんだ。その深さとあたたかさを先頭に立って伝えたのは陸上部のキャプテン、あなたと一緒にトラックを走ることができて嬉しかった、何十年も経ちもう一度思いました。陸上部の監督が、合唱の後に体育館の片隅でニヤッと笑ったその師弟関係も堪らないな。自分のパフォーマンスも上げていけ、でも、○○が引っ張って行けばみんながついて行くぞ。それを壇上の上でも体現したキャプテン、今でも走っているのだろうか。ふと、一緒に嗅いだ土の匂いを思い出してくれているだろうか。
「ママ、最優秀賞だった!」と帰ってきた息子。お母さんの胸の奥深くに届いたよ。あなたの隣で走れるこんな今を、大切に想う。