優しいポケット

母から一件のメッセージが入りました。父の腎臓がんの手術が来月下旬に決まったのだと。そして、不安そうなスタンプが二連続で入ってきて、どこまでも彼女らしいなと少しだけ微笑みたくなりました。ひたすら攻撃して来たり、悲しみをどっとぶつけて来たり、本当にもうなんでもありなのだけど、少女のようなピュアな部分もあって根っこは可愛い人なんだよなと。そして、父と母、二人を労わる返信をすると、安心したのかそこで一旦落ち着いてくれました。お母さん、私ね、人を憎むとか嫌いになるとかそういった感情を持ち合わせていないんだ。だから、自分は否定されているとわーっとならなくても大丈夫だよ。ただ、いつも怖さと闘っているだけ、そんな気持ちを行間に込めました。いつか届くかどうかは、彼女次第なのかもしれないな。

父が手術を決断してくれて、安堵と共にいろんな気持ちが駆け巡りました。ネネちゃんの言葉を借りるなら、父は強運の持ち主。銀行で出世できたのも、一風変わった上司に好かれたからだと母が教えてくれたことがありました。出向先でも銀行の業務に携わることができた、すり減った革靴で、転勤の間隔が短くなっても銀行員として全うした父の努力の賜物でもあると思っていて。そして同時に、介護という形で誰かに迷惑をかけることなく、呆気なく逝ってしまうような、父にはそんな所もある。だからこそ、沢山の気持ちが交錯しました。息子と二人暮らしが始まり、特に何か助けてもらった訳ではない、それでもどこかどっしり構えてくれていた父の存在になんとも言えない安心感もあった気がしています。そんな思いがぐるぐるしていた夜、慌ただしい中で一本の着信が。ディスプレイから見えた名前を見て、一気に涙が溢れそうでした。札幌の叔父さん、ほんの数秒の間にわっと想いが膨らみ、慌てて洗面所で出ることに。「もしもし。」「S、北海道の叔父さん。」知ってるよ、懐かしい声に涙腺が崩壊しそうなんだ。「実はね、東京に来ていて今帰るところ。」「え~!!叔父さん、会いたかったよ~。」「ごめんごめん。お父さんとお母さんには会ったんだ。兄貴のこと聞いた。ちょっと前に手術のこと決まったか電話入れたんだけど、なんの返事もないし、Sの声も聞きたくなって電話したんだ。」もう兄弟揃って気まぐれなんだからと笑えてきたものの、旭川に1年半前に息子と行き、この電車に乗れば札幌の叔父さんに会いに行けると構内に佇む自分を思い出しました。離婚調停中の今の私が会いに行っても心配かけるだけ、そう思い何の連絡もしなかったことが蘇り、お互い様だなと笑えてきて。「電話ありがとう。そうだったんだね。お父さん、来月に腎臓がんの手術が決まったみたい。お父さんね、こういう時はそっとしておいてほしいというタイプで、お母さんはわーわー心配が募り大混乱で、その温度差がすごいの。」「わかるわかる。」この共感に何度助けられてきただろうな。「何かあったら私もそばにいるし、叔父さんに連絡入れるね。」「ありがとありがと。S、またゆっくり会おうな。」そう言って電話を切った時間。その短いひとときで、沢山の出来事があたたかさを伴って自分のポケットの中に入ってきました。叔父さんに初めて会ったのは、高校3年の時。ネネちゃんは大阪に就職し、単身赴任で東京勤務だった叔父は、名古屋の実家へ泊まりで遊びに来てくれて。初対面とは思えない気楽さで、二人で大盛り上がり。「叔父さん、貴重なO型~。うちの家族、みんなバラバラだし、仲間ができて嬉しい~。」と喜ぶ私に笑ってくれました。そして、泊まりで来ていたからこそ気づいた叔父の違和感。「S、名古屋でデートしよう。」そう言って外に連れ出してくれました。父と母の間に入り、祖父と父、祖父と母の間に入って神経をすり減らしていた姪っ子の苦悩に気づいた様子。大人3人があれだけSに頼ったら、そりゃきついだろうと。お姉ちゃんが大阪に行って、余計にSに負担がいっているのではないか、高校生ってもっと自分のことだけ考えていていい年齢だろ、何かあったら叔父さんに言え、そう言ってもらえたこと、気持ちを感じてもらえたこと、それだけで十分でした。テレビ塔の下で過ごした時間、見えた景色がいつもより柔らかく丸く目の前にあってくれたようでした。その後、地元の大学に入学が決まり、4年生最後に一人で叔父さんの待つ東京へ。東京駅で迷子にならないように、新幹線を降りるとスーツを着て待っていてくれました。「S、よく頑張ったな。」ありがとう叔父さん。次の日は、一緒に東京観光する予定が、仕事が入ってしまい、都内の路線図を渡され、夕方に六本木のアマンドで待ち合わせなと言われ、もう笑うしかなくて。父で慣れていますよ!と思い、本当に一人で観光、そしてアマンドで叔父を待っていました。すると、ガラス越しから満面の笑みで手を振ってくれて合流。その後、夜の東京タワーを眺めながらわいわい帰ってきました。大学を出て、関東で一人暮らしをし始めた時に、もう一度再会。今度は渋谷のハチ公前でした。なんにも変わっていないなと喜ぶ叔父。会う度に自分が越えてきたものを感じました。そのご褒美が、ここにあるのかなと。そして数年後、札幌に戻ることになったから、最後に会いたいと連絡をくれました。待ち合わせたのは、新宿南口のカフェ。2月生まれの叔父、札幌は寒いからと手袋のプレゼントをすると、とても喜んでくれて、寂しさと感謝と、本当にもういろんな感情が入り混じった優しい別れでした。最後に会ったのは、その時。新宿南口は特別な場所だったのだと、そして、私は叔父から沢山の父性をもらっていたのだと、久しぶりに声を聞いて改めて思いました。どれだけ時が経っても、その人の声も想いも、そんなに変わるものじゃないんだなと。

父が、本当にもしかしたらいなくなってしまうかもしれないと一抹の不安を抱えたここ数か月。すると、父のことがきっかけで思いがけず、叔父とまた繋がることができました。それは、私にとってとても大きなことで、こんな風にやっぱりどこかで世界は広がってくれているのかもしれないなと感じています。叔父は出会った時から、自分自身のことを“叔父さん”と私の前で言いました。それはどうしてだろうとずっと考えていたら、久しぶりの会話で答えが見つかったような気がして。Sはすぐに空気を読んでしまう、自分がしっかりしなきゃって強くあろうとする、でもな、叔父さんの前ではかわいい姪っ子なんだよ。Sの叔父さんだ、そのことは忘れるな。いつでも頼っていい、そんなメッセージだったんだね。今回の電話、東京を発つ直前にかけてくれたような気がしました。札幌に戻る前に、まだ近くにいる間にかけておこうと。この気持ちをもらって、また歩き出せる。人の想いは、底知れず尊い。