引退は見送る -長編- 

父のキャラは、掴めないけど、なんとなく気に入られているのかも。男性の方は、もしかしたら感情移入をしてくださっているかもしれませんね。

佐賀県の商業高校を出てから、愛知県の銀行に就職した父は、銀行員だった母と社内恋愛。若い二人は、仕事も恋愛も一生懸命な中で、妊娠が発覚し、二十歳で結婚。
一人娘だった母は、長男の父を養子にもらうために、一悶着あったとか。それでも、新しい命を宿していたし、お互いの両親は納得し、結婚が何かもよく分からないまま籍を入れることに。

母は退職し、父は祖父母と同居の中で、仕事に奮闘。初めは、自転車でお客様の自宅を回り、その後、バイクに変わり、私が小学生の頃には、車で回っていました。父の乗り物が、職場での評価のようで、子供ながらに嬉しかったことを覚えています。

三年に一度の転勤、最初は名古屋市内の異動が多かったのですが、小学二年生の頃に岐阜への赴任が決まり、父が単身で行くことに。母と電車に乗って様子を見に行くと、部屋は荒れ放題で、シンクの食器はカビだらけ。知らない土地で必死に働く姿とだらしない姿、実家では見られなかった一面を感じ、嬉しくて母と笑い合ったことが、懐かしいです。帰りの電車で、「やっぱり女性の私達がいないとダメね。」と微笑んでいた母。お父さんのことが、好きなんだね。

それから、祖母が他界し、会社員だった祖父を名古屋に残し、女性三人は岐阜へ。今度は祖父のことが心配で、名古屋と岐阜を往復する母。不器用なのにお人よし。
初めての核家族を経験できたのに、やっぱり父とは合わなくて、言い争いは尽きませんでした。祖父母と同居してもしていなくても、うまくいかないんじゃん!

そんな状況でも、父は出世の道を進み、名古屋の支店に異動になった時は肩書がついていて。どんな環境の中にいても、仕事に対する姿勢は尊敬に値しました。それから、部下が沢山つき、銀行に用事があって行った時には、何人もの女性行員の方達に「娘さん?!」と囲まれて。
周りに慕われ、居心地良さそうな職場が、父にとって大切な場所であることを実感しました。

その後、銀行の合併が続き、出世競争から外れた父は荒れ、家庭内は最悪な雰囲気に。夫婦の協力が必要な時に、母はそんな精神的余裕もなく、溝は深まるばかりでした。国立大学出身の部下がどんどん上がっていく中で、高卒の父は取り残されていく孤独。何度辞めたいと思ったか分からなかったと思います。同期が子会社や関連会社に出向や左遷される中でも、父は必死にしがみついてくれました。
どんなに嫌な思いをしても、どんなに悔しくても自分の信念を貫いた。肩書が外れても、給与が減っても、仕事を全うしてくれていました。

家を出て、自分の生活で精一杯だったはず。それでも、私を父なりに守ろうと生活費を入れてくれました。そして、期限ぎりぎりで学費まで。

多くを語らないし、いきなり行動を起こすから、周りは振り回されてしまうこともあるけど、父の仕事に対する情熱だけはずっと芯が通っていた。

50歳になり、銀行の関連会社に出向になり、リストラの危機を乗り越えた父は、お釈迦様のような表情に変わっていて。上に行くことはできなかった、それでも銀行での貢献は評価されていた、その結果が銀行の裏側の仕事というまた違う形での勤務でした。

60歳になり、退職日当日、母に一人暮らしの父の家に行って、ケーキを買って待っているように伝えました。
「お父さんに対する気持ちは色々あって複雑だと思うけど、家族を社会的に守り続けてくれたお父さんの存在に、私達は助けられてきたはずだよ。私でもお姉ちゃんでもダメなんだよ。お母さんがお父さんを、“お疲れさまでした”と言って、迎えてあげて。」
そうメールで伝えると、すでに関東にいた母は、私にお礼を言い、泣きながら新幹線に乗りました。

その後、『お父さんがとても喜んでくれた。S、ありがとう。』というメールが届き、娘としての役目を果たせたことに安堵。

父も母も、若くして結婚し、訳の分からぬまま、育児や同居、仕事を覚えることに必死で、大切なことを沢山見落としてきたのだと思います。でも、今からでもやり直せることはあるはず。あの時お疲れさまが言えなかったのなら、あの時ありがとうが言えなかったのなら、今言ってもいい。
その日にしかできない喜びを、二人には味わってほしかった。

とても苦しい結婚生活だったと思います。でも、それだけじゃなかった。だから、今でも夫婦でいるのだと思います。娘で繋がっている関係じゃない。そのことを退職日に感じてくれたのなら、私も頑張ってきて良かった。

父は、会社に評価され、今もそこで契約社員として働いています。契約では65歳まで。今は63歳、あと2年。65歳を過ぎてからも他から既に声がかかっているそう。
私にこれ以上負担をかけない為にも、父はもしかしたら65歳で引退して、母と一緒に住む道を選ぶかもしれません。
それでも、心のどこかで思っているはず。現役でいたいと。

出世競争から敗れても、くらいついて今がある。そんな父には自分が納得できるまで、頑張ってほしいと思っています。私の為ではなく、父の為の選択をしてほしい。
だから、何も言わずにそっと見守るつもりです。

塾の講師時代、父には彼女がいるのに、仕事で嫌なことがあった時、私を一人暮らしの家に呼び出し、珍しく弱音を吐いてくれました。「合併した銀行は、システムが随分変わってなんだか肩身が狭いよ。」と。笑っていたけど、寂しそうでした。
彼女には格好をつけて、家族には弱さを見せたかったんだろうな。

一時的な楽しみではなくて、家族は苦楽を共にするんだよ。
だから、お父さんの生き方をどんな時も応援する。それが、本当の家族だと思っているから。