昨日、図書館へ行く用事があったのでふらっと行ってきました。以前、何気なく司書さんにお伝えしていた、いろんな職業を知ることができるシリーズ本を、書庫から開架へと移せないかというこちらの希望。数週間後にオンライン上で検索をかけてみると、実行してもらっていたことが分かり、せっかくなので直接見に行くことにしました。なぜ思い切って伝えたかというと、ざっくり理由は二つ。中学生の子達が職業体験に行くにあたり、実際に1年生の息子はひとつの職種を選び、それをまとめる宿題をしていた、ということは他の生徒達も目に触れる場所にあってほしいという気持ち。そして、もう一つは図書館側のキャパシティの話。関連書籍の書架を見てみると、随分スペースがあったので、この辺りなら何冊もあるシリーズ本を置けると思いました。そして、実際行ってみると、こちらが願っていた目につきやすい所に配架されていて、小さく歓喜。ひとりの意見を拾ってくれた図書館の配慮に感謝だな、そう思いました。そして、ふと気づいて。自分が実際に言葉にする時って、相手にキャパがどれだけありそうか、無意識の間に考えながら伝えることがあるのかもしれないなと。常に一杯一杯だった母、have to(しなければいけないこと)が増えるとすぐに混乱し、当たり散らかしてくる。だから彼女にお願い事がある時は、様子を伺い、最低限に留め、話すタイミングも間違えないように最善の注意を払っていました。良くも悪くも身に着いたものがあったなと、やっぱり笑えてきて。おかげで、超繊細な息子の育児に役立っているのだから、本当に考え方次第だなと改めて思いました。いろんな角度からぐるっと見渡すと、気づきがまた少し増えていく。
大学3年生の時、教職課程の中で道徳教育に関する講義があり、6人ぐらいのグループになって、リレー形式でテーマを決め、話を繋いでいくという内容のものがありました。男女が入り混じり、そこまで話し合う時間がなかった中で決めたのは、不登校に関することだったような気がしています。題材をがっちり決めてしまうのではなく、流れの中でとにかく繋いでいこうと。そして、女友達と二人で、喜んでトップバッターを引き受けることにしました。中学時代、父子家庭の友達がいて、3年生の途中から休みがちになったこと、結局高校を受験せず関係はそのままになってしまったこと、そうしたらふと電話が入り、高校に行かなかったことを後悔していて、どうしたらいいか分からないから私に電話をしたと話してくれたこと、その気持ちが嬉しかったとっても。まず、電話をありがとう、今からでも全然遅くなくて、中学校の先生達ならもっと具体的に相談に乗ってくれるよと伝えると、安心してくれました。と、自分の気持ちと共にその時の彼女の心情を教壇の上で話すと、講義室は静まり返り、同じグループの男友達が私と目を合わせ、軽く微笑みながら頷いてくれました。最後は任せろ!心の中でその言葉が聞こえて。そして、二組目、三組目の彼らも、こちらの想いを引き継ぎ、何一つズレることなく見事に繋いでくれました。なんだかもう途中からこみ上げそうで。こんな短時間で、こんなにも伝播するんだな。彼は兵庫県出身、阪神大震災でいろんなことを感じそして考え続けた、その道の途中、教職課程で合流したんだな。いつもは冷静なのに内にある熱い気持ちが届き、胸がいっぱいでした。講義中に渡したタスキ、彼はまだ覚えているだろうか。
少し遡ること大学2年、父がリストラの危機に遭い、やけくそになって家を出て行き若い女性と半同棲を始めた時のこと。実家の母や祖父は荒れ、家庭はとんでもない勢いで崩壊していきました。それでも、自分が崩れている場合ではないと思い、必死に立っていて。そんな中、耐えられないことがあったのか、ひとりで父のマンションへ。そこで若い彼女が、チェーンを付けたままほんの数センチだけ開け、その時自分の中で何かガラガラ音を立てて壊れて行く感覚がありました。父は不在、その場では必死に堪え、自分の車に乗った途端涙が溢れ出して。なんだかもう、何も考えたくなくてただただ車を走らせました。辿りついたのは、どこかの水辺。水の音だけ今でも思い出せるから、多分県境の木曽川か長良川か。その日は金曜日、翌日も朝から教職課程があることは分かっていたのだけど、何もかもがどうでもよくなって、自宅に戻れる状態になるまでそこにいました。翌日は大学を休み、その日に受講しなかった講義の後期試験をわざと落とすと、異変を感じたアドバイザーの恩師が研究室に呼び出してくれて。その気持ちがどれだけ嬉しかったことか。こんな私を気にかけてくれる人が大学にもいるんだな、そう思いました。そして、3年生になると、徳島県出身の友達が編入試験を受けて教員免許を取る為に同じ大学へやってきて。本当はみんなと同じように私も土曜日は2限だけで良かった、でも落とした講義の単位をもう一度取る為に彼女と同じ3限目の授業も受けることにしました。たった二人だけの学食でのランチタイム、すっかり空いていて、菓子パンとコーヒー牛乳でなんでもない話で盛り上がって。その時、彼女が生まれ育った徳島県に行ってみたくなりました。お父さんを病気で亡くし、お母さんが娘と二人の弟君を育て、そんな友達の原点を感じたくて。とても苦しかった父の彼女との遭遇、でもあの日がなければ講義は真面目に受けていて、編入してきた友達とのこんなランチタイムは待っていなかった。遠回りもたまには悪くないね、そう思いました。そして大学4年、単位も全部取れて後は卒論を書くのみというぐらいのタイミングで、彼女の単位が不足していることが発覚。中学と高校の教員免許を取りに来た彼女は、道徳教育の講義も必須科目だった、自分に余裕がなさ過ぎて気づかなくてごめんねと申し訳なくなって。「アドバイザーの先生にも謝られたんだけど、私の確認不足だったし、高校の免許は取れたからいいの。」そう言って笑ってくれました。そんなあなたが生まれた徳島へ、四国一周の卒業旅行に行きたいというこちらの願いを聞き入れてくれて、もう一人の友達と女性3人旅が待っていました。優しそうなお母さんと弟君二人にご挨拶、名古屋名物を渡し、和やかに時は過ぎ、レンタカーで各地を巡り、高知県の桂浜に到着。寄せては返す波音とキラキラ光る水面、あの夜も水辺にいた、でも全然景色は違っていて、越えたからこそ見られた美しさに感無量でした。同じ景色を、70歳になった父が母と見に行っていたとは。お父さん、あの日のことは簡単に語れそうにない、でもあの日があったから育まれた友情があって、だから四国に行けたんだ。どろっとしたまま終わらせたくない、その中で小さな光を集めてきた。佐賀のおじいちゃんね、傷つきまくっていた私を一人にさせちゃいけないと思って、一緒に新幹線に乗ってくれたの。本当の優しさとは何か、いろんな人から教わった。大学4年間で得られたもの、とんでもない財産だった、この歳になって改めて思ったよ。これだけの気持ちを、いつ届けようか。本当はもうどこかで伝わっているのかもしれない。