新規開拓をした接骨院、そこで先生に言われた言葉を改めて思い出してみました。「スポーツは何かされていたんですか?」「中学の時はテニスと陸上部に入っていたんです。」「いいですね!それでは、体を動かすのは元々お好きなんですね。陸上は何をされていたんですか?」「走り幅跳びと長距離です。」「ほう。どうして走り幅跳びを選んだんでしょうね。」どうして?!ここまで深く質問をされたことはなかったな。そういえば、陸上競技って沢山種目があるのに、なぜ走り幅跳びを選んだのだろう。パッと思いついた答え。きっと私は跳びたかったんだろうなと。それは、ハードルでも高跳びでもなく、障害物のない砂に向かってジャンプすることで、ふわっと自分が軽くなれたような気がするから。踏切でぐっと力を込め、砂場に着地する感触が好きだった。3年生最後の春の大会に向けて調整をしていた頃、走り込んでいく前の呼吸を整える時間が長く、ジャンプをした後、サッカー部の顧問であるフィールド競技を中心に見てくれていた先生が、聞いてきました。「S、今の跳躍、スタートする前の時間がいつもより長くなかったか?」「ちょうどテニス部の練習が終わって、みんながクラブハウスに行く途中で足を止めたのが視界に入って、オーディエンスが気になったから。」正直にそう伝えると笑ってくれました。「本番はもっと大勢の前で跳ぶんだぞ。」「それは分かっているけど。テニス部の練習を途中で切り上げて陸上部の練習に参加しているから、格好悪い所は見せられなくて。」そうか、そう言って先生なりに何かを感じ取ってくれたようでした。それが、Sにとって仲間に対する感謝の気持ちなのだろう、陸上部での時間大切にしろよ、みんなの為にも。そんな表情で微笑んでくれました。私が跳ぶ時の癖を、いつも見てくれていた先生。本当はスピードに乗らないといけない踏切の近くで歩幅が狭くなり、結果的に乗り切れない、角度が足りない、周りは気にするな、自分に集中しろ。3年間蓄積してきたものを、最大限出し切れという恩師のメッセージを感じていました。社会科の教員でもいてくれた先生、きっと人として教わったことは計り知れない。
その数年後、中学校の社会科教員免許取得には拘りたくて、教職課程の受講を決めました。本当はそれどころじゃなかった家庭内、それでも諦めたらいけないような気がして。その講義で、5限目の4時半からという眠たい時間の中、ご年配の男性教授が、これまで受けた授業の中で参考にしたいと思った内容を紙に書いて先生が発表するという時間がありました。ランダムに選んだ先生は、私が書いた文章を読み上げてくれて。それは、社会科の恩師が届けてくれた授業の一部でした。教科書の活字に囚われず、そこから大きなピクチャーカードが黒板に貼られ、みんなと議論をするそんな時間が好きでした。そういった教員に影響を与えられたという私の言葉が、教授のマイクを通して教職課程のみんなに伝わった時、なんだか胸がいっぱいでした。それから数か月経ち、父が家を出て、母と祖父との暮らしが始まったものの、女子大生とは少し遠い世界に自分はいて。そんな中で成人式がやってきました。振袖を着ても、なんだか気持ちは晴れず、それでも向かった会場。すると、受付には幼稚園からの幼なじみで、テニス部の部長をやってくれた友達が声をかけてくれて、いろんな思いがこみ上げ、ふわっと気持ちが上がっていきました。式が終わり、みんなで写真を撮りながらわいわいやっていると、遠くの方で社会科の先生が見えて、わっと泣きたくなって。先生、あなたを目標に社会科教員免許取得を目指しています、何度も挫けそうだし、今もそうだけど、陸上の最後の大会で不甲斐ない結果に終わった私に、下を向いて大泣きしていた私に、言ってくれたから。「Sがやってきたこと、みんな見てるぞ。この一日で消える訳じゃないだろう。」その時肩に置いてくれた手のぬくもりを覚えているから、諦めないでいるよ、先生。今度は、掴みに行くから。その背中を見て、そっと届けました。優しい成人式のひとコマ、こんなひとときが突き動かしてくれることもあるんだ。
祖父が他界し、おじいちゃんの戦争体験をもっと記録として残しておくべきだったと後悔した日々。それでもふと、大切なことを思い出しました。ある社会科の授業で、宿題が出ました。ご家族や親戚に戦争経験者の方がもしいたら話を聞いてきてほしいと。自宅に帰り、宿題で書いていくからと改めて祖父に話を聞き、社会の時間にみんなの前で発表することに。静まり返った教室、はっとなった先生の表情、おじいちゃんの戦争体験のリアルさは、ここまで人の心を動かすのだと目の当たりにしました。そして、終わった授業。廊下に出ると、先生がお礼と共に声をかけてくれました。「S、貴重な話をありがとう。よろしくお伝えください。書いてくれた紙、もらってもいいか?」祖父の生前、私が形に残した唯一の記録物は、社会科の恩師が持ってくれていました。それは、とても尊いことなのだと。中学のセーラー服を着て、自宅に帰った後、おじいちゃんに授業の様子と先生からのお礼の言葉を伝えると、聞いてくれて。「その先生、いくつだ?」「30代前半の男の先生だよ。」「そうか。」その時微笑んだ祖父の表情は、あまりにも柔らかくて。社会科という教科の中で、1人の先生の心に深く届いてくれたことが、嬉しかったんだなと。
「○○さん、今でも走っていますか?」現実に戻り、接骨院の先生が聞いてくれました。「今は自転車の方が好きです。」そう伝えると、笑ってくれて。それでも、やっぱり心の中ではいつも走っているんだろうな。ペース配分を考えて、道に迷わないように選ぶことの連続。そんな毎日の積み重ねの中で、日の当たるチェックポイントもあって。一緒に走ろうよ、隣でエールを送るから。