また会いたい

今日は、本当に久しぶりの旗振り当番へ。朝から、雨かなどうかなという天気の中、ぎりぎりの雲り空で息子と途中まで登校しました。「お母さんね、時間までに交差点に行かないといけないから、自転車で先に行くよ。」そう伝えると、いいよ!と言ってくれたものの、自転車の荷台の方へ回り込み、ランドセルを背負ったまま押し、一緒に走ってくれました。幼稚園の時は、後ろに乗せて送っていたのに、今度は押してくれるなんてねと思いながら向かった交差点。またきっと中学生になった時に、こんな日をふと思い出すんだろうな。そんなことを考えていると、反対側の交差点で会釈してくれたのは、初対面のお母さん。どこかの制服を着ていたので、そのままお仕事に向かうことが分かりました。笑顔が素敵なので、受付でもされているのかなとそんな想像を楽しみながら、息子に行ってらっしゃい。その後も、いつもの光景がやってきて、沢山の子供達に挨拶をし、終了しました。そして、道路を挟んだ反対側にいた、制服を着たお母さんにも大きな声で伝えました。「お疲れさまでした~。行ってらっしゃい!」短時間話しただけなのにすっかり打ち解け、気持ちよくお別れ。今年度は、そのお母さんと組むことが決まっていることが嬉しい。また、気持ちのいい笑顔を見せてください。

そして、帰り道にふと思い出した、経営コンサルタントの方との会話。まだ独身だった頃、お話をする機会があり、どんな仕事内容なのか、質問をさせて頂いたことがありました。「簡単に言うと、会社のお医者さん。どこが悪くて経営が上手くいかないのか、そのアドバイスを色々な角度からさせてもらったりするんだよ。でね、またこの人にお願いしたい、また会いたいって思ってもらえることが大切なんだ。だから、合コンの時でもそう。ちょっとした気配りであったり、話の持って行き方で印象って変わるでしょ。」と分かりやすく、ユーモアを交えながら話してくれたことが思い出されました。会社のお医者さん、また今日もどこかの会社さんの危機を救っているのだろうか。

週末、短時間だけ息子を両親宅に預け、自転車でお迎えに行く途中で小雨が降ってきてしまいました。慌ててお礼を言い、帰ろうとすると、母と息子が呑気にオセロをやっていて帰る気配ゼロ。「雨が降ってきたんだってば!」と煽っても、「この勝負が終わってから~。」という息子からの返事が。「おい、濡れてしまうぞ。明日学校だろ。」という冷静な父の言葉に渋々片付け始めた二人。そして、挨拶をして帰ろうとすると、父が話しかけてくれました。「そう言えば、『半沢直樹』(TBS)見たか?」「録画しながら見てるよ。」「そこに、書庫センターが出てきただろ。お父さん、そこで働いていたんだ。」ああ、そうだったね。出向先が書庫センターだったねと二人で盛り上がり始めると、「雨だから帰るんじゃなかったの~。これだったらオセロやれたよ~。」と息子からブーイングが。ごめんごめんと言いながら、父とこういう話をすると止まらなくなるんだよなって思いながら、そこに積み上げられた懐かしい思い出がこみ上げてきて、堪らない気持ちになりました。

私の大学時代あたりから、父の同期や先輩が次々に出向になったという話を聞き、全然他人事ではないのだと痛感していました。そして、父の出向先を聞き、それが銀行の裏側の仕事であることが分かり、どれだけ嬉しかったことか。待遇面では落ちる、それでも金融の世界に携わってくれることが娘として嬉しく、そんな父を誇らしくも感じていました。「お父さん、どんな仕事をするの?」そう言うと、さらっと名刺入れから一枚の名刺を取り出し見せてくれた肩書は、『上席調査役』。「なんの調査するの?」とあほな質問を投げかけると、「知らん。」という素っ気ない返事が。それでも、銀行に関わる書類がどんどん集まり、それを管理しているから、何かと大変なんだと話してくれました。上から調べてほしいことがあると言われれば、それに応じるんだよ。あまり深いことは言えないけどな。そんなことを言われていたことが、テレビの映像からも繋がり、父の仕事がどういったものだったのか改めて分かったような気がして、胸が熱くなりました。

両親が帰省した際、何をしていたのかを聞いてみると、名古屋でも岐阜にいた頃の支店でもお世話になった方がいて、会いたいと言われて会いに行っていたのと母が嬉しそうに話してくれて。銀行でも、出向先でもどれだけの人脈を作っていたのだろうと、なんだかそこに父の器があった気がして、その場を離れても会いたいと思ってもらえるって財産だなと思いました。行内恋愛をした両親は、何気に共通の知人もいて、そう言えばあの人がどうのこうのと二人で盛り上がっていることもあり、この人達の歴史の始まりは銀行なんだよねって、急に思い出す時があって。釣った魚にエサはやらない、お父さんってそういう人だったの、と何度母はぼやいていた事か。それが20年の時を経て同居をしてみると、驚くほど母を大切にしてくれた父。それはね、また会いたいと思わせてくれたお母さんの努力もあるよ。一方通行じゃないから、届いた気持ち。矢印はやっぱり双方向がいい。