最後の参観日

小学校生活、最後の参観日がやってきました。天気はいいものの、気圧の変動でやられ、朝からなんとなく気持ちは沈んでいて。それでも、息子を送り、ゆっくりとギアを入れていきました。懇談会にはできれば出席してほしいと先生から言われたようなので、参加させてもらうことに。1年生の最初と、6年生の最後に出るだけで、あとはさぼっていたなと自分に笑えてきて。6年間ってこんなに短いんだな、ひとつひとつを拾い集めに行こう、そう思いました。さあ、ホットココアを飲んでいざ学校へ。小学校ともうすぐお別れなんだな。

いつものように少し早めに家を出て、教室の廊下で待っていると、広報委員で一緒だった友達が声をかけてくれました。彼女といると、ほっとするのはなぜだろう。そんなことを思っていると、近くにやってきたのは息子と友達数人。仲間に煽られ、なんだかわいわいやっていて。そして、一人の男の子が挨拶をしてくれました。「こんにちは!Rの母です。」笑顔で伝えると、「ど、どうも。○○です。」と照れ臭そうに返してくれたので、彼らも笑っていて。初対面のお見合いか!と突っ込みたい気持ちを抑え、一緒に笑ってしまいました。小学生、堪らなくかわいいな、校舎とはお別れだけど、みんなと共に一つ上の世界へ行くんだねと思うとほっこり。そんな彼らと成人式でまた会えるのが今から楽しみだなと想像していると、授業参観が始まったので教室へ入りました。その日は『総合』の時間、市内を巡った子供達が班に分かれ、iPadを使い前に出て発表をしてくれて。息子も、堂々と伝える姿に時の流れを感じました。カタカナが読めなくて、大泣きしていた1年生の彼はもういない。私は、母親として成長しているのだろうか、自分に問いかけてみました。年齢が進むにつれての悩みはそれぞれあるのだけど、二人で笑う時間は増えたな、それが少しの余裕になっていたら合格点かもしれないなと。その後、みんなの発表は終わり、グループになってかるたの時間がやってきました。和やかに時間は過ぎ、片付けのタイミングになると1人の男の子が言っていて。「最初はRが持ってきてくれたから、戻すのはR以外でじゃんけんしよう!」なんて平和な世界なんだろう、誰かだけが頑張ってしまわないようにお互いを尊重する、そんな社会が垣間見えて胸がいっぱいでした。いい仲間に囲まれて良かったね。
その後、帰りの会が終わり、また廊下で待っていると、広報委員の友達が教えてくれました。「少し前にさ、随分不機嫌で帰ってきた日があってね、あまりにも気になったから聞いてみたんだよ。そうしたら、渋々答えてくれて。どうやら、英語の宿題でやってこない子が結構いたらしく、欧米人の先生がかなり怒ったみたい。うちはやっていたし、きっとR君もやっていただろうけど、帰ってきてから大丈夫だった?」「あ!やたらと機嫌が悪い日があったんだよ。それか!」と日にちも重なり、思いがけず答え合わせができたので、可笑しくて。宿題をやってきても、同じ空間で怒られたことで、なんとなく持ち帰ってしまったんだろうなと。そして、懇談会が始まりました。卒業にあたり、担任の先生が子供達の動画を作り、それを音楽と共に流してくれて。そこには日常のみんなの自然な笑顔や笑い声があり、泣きそうになりました。休み時間はこんな風に遊び、授業中はこんな風に真剣な眼差しで取り組み、カメラを向けると寄ってくる子もいて、キラキラを沢山見つけました。輝くことって時にとても難しい、でも、自然と笑わせてくれる人がいる、空間がある、その信頼関係が伝わりぐっときて。先生にとって、6年生を担任に持つのは初めてのこと、そこに沢山の気持ちを感じました。動画が終わり、拍手が起き、先生の目にうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えて。きっと、動画を見ている私達保護者の後姿や表情を見て、親としての想いが伝わったんだろうなと。優しさを優しさで返す、とてもいい時間でした。先生のこれからも、光に包まれますように。

それから、懇談会は終わり、教室を見渡し、その空気を吸い込んで、友達と校門で別れました。自転車を漕ぎ、透き通った空を仰ぎ、息子が待っている自宅へ。卒業式前に髪の毛を切りに行こうとヘアカットを促すと、おにぎり屋さんを条件にのんでくれました。面倒くさいな12歳児と思いながらも、ミッション終了。髪の毛がすっきりしたので、約束通り、いつものおにぎり屋さんへ二人で行くことに。そして、食べながらさりげなく英語の授業の話を振ってみると、やっぱりビンゴでした。「英語の先生、怒る時って英語?」「うん、半々かな。時々日本語でも怒るよ。ナニヤッテルンデスカ~!って。」片言の日本語で真似をするので、爆笑してしまって。バスケ男子日本代表のホーバス監督が頭を過ぎり、ツボにはまると、息子も一緒に笑ってくれました。それって愛だよということは、彼もなんとなく感じているようで。「結構個性のある先生なの。」「うん、なんとなく分かるよ。味のある良い先生なんだろうね。」なんだかいいひととき。沢山の人に出会い、自分色になっていけ、あたたかい小学校生活をお母さんの方こそありがとう。

岐阜の小学校にいた2年半、赤いランドセルを背負っていた私は、いつもどこかで苦しそうで、それを言語化することもせず、なんでもないふりをしてやり過ごしていました。何がどう辛いのか、自分でもよく分かっていなくて。それでも、徐々に友達はでき、名古屋に帰る時はクラスで開いてくれたお別れ会の時に泣いてしまいました。別れってこんなに唐突で、悲しくて、ありがとうって気持ちでいっぱいになるんだなと。その寂しさは、地元に戻っても引きずったままでした。いろんな感情を抱え、大人になり、母親に。息子の年齢と共に、子供の頃の自分とも向き合う旅に出ました。言語化したい言葉が溢れ、歩いてきた道の険しさも豊かさにも改めて気づくことに。どの時間も、私にとって大切な経験でした。全部を肯定するのは、そんなに簡単ではないけど、ネネちゃんが言ってくれるように、流れのままに風のように生きてみてもいいのかなと。息子の卒業式にはどんな景色が広がるのだろう。浮かんだ色を、また握りしめて。小学校最後の日まで、あと少し。