息子と一緒にマンションのエレベーターに乗る時、最近はボタンも押せるようになったので、すっかりお任せしてしまい、乗り込んだ後、二人でドアが開くのを待っていました。立っていること数秒。ふと何かに気づきよく見てみると、『閉じる』のボタンだけ押していたらしく、ずっと同じ階でぼーっとしていたよう。それに気づいて二人で大笑い。「こんなで着くわけないでしょ!1階のボタンも押してよ~。」と笑いながら言うと、息子も反撃。「ママが押してくれたと思ったんだよ。もっと早く気づいてよ~。」どっちもどっち。こういう時はただのおあいこ。間抜けな親子だと住民の方に思われているのは、薄々気づいています。
母が膝の入院をしている時だったかな。父がまだ名古屋にいることで、しわ寄せが全部私にいっていることにいら立ち、半分八つ当たりのメッセージを送ったことがありました。「お父さんが65歳まで働くことは応援するよ。でももうそれ以上はお母さんのことは任せたよ。お父さん、絶対に長生きしてよ。それが、関東にも来ていいという約束だからね。」怒りながらも、容認しようとしている娘の愛は伝わっただろうか。人の気持ちに無頓着な父に、こんなメッセージを送ったところでまともに受け取らないかもしれない。それでも、投げた球。メタボになるまでお酒を飲むなと会う度に腹が立ちますが、父なりの解釈で頑張ろうとしてくれていると信じています。
まだ20代前半の頃、姉に誘われた合コンで知り合った某自動車会社の方。友達として、ほんの数回ですが、メールのやりとりをさせてもらったことがありました。なかなかの苦労人。だからこそ響き合う部分があって。「20代は新しいことへの挑戦、30代は挑戦したことをさらに追求し、40代で深みを増し、50代で余裕を楽しむ。そんな人生を送れたらと思っているよ。それには、常に自分を磨かないといけないね。」「その言葉、私も目標にさせてもらっていいですか?見習いたいです。」と7歳上の男性に伝えた事、今でもはっきり覚えています。さて、40代でどれだけ深みが増せるかな。皺が、やはり自分の年輪を表してくれたらと都合のいい解釈をすることにして。
大学の教職課程は、色々な学部や学年の方と一緒に講義を受けていたので、様々な考え方にはっとなる機会があり、とても刺激になりました。5限目は4時半から6時まで。冬になると外は真っ暗で、結構ゆるゆるな授業もあってそれはそれで面白くて。教授とは思えない気楽な先生の授業で、「なんでもいいから自分のことを話して、それについて盛り上がろう。お互いを知らないといいクラスにはならない。」というこれまた若干飛んでしまったような教職の講義。5限目で人数も少なかったので、皆のノリもよく毎回楽しい時間でした。トップバッターの経営学部3年の男の先輩。「ぎりぎり単位が取れて3年になれました~。」という発言にどっと笑いが起き、一気に和ませてくれて。皆がそんなテンションで話し、その雰囲気を持ったまま教育実習まで繋いでいった仲間。
4年になり、教育実習後にキャンパス内で偶然その時の教授に再会。「中学校はどうだった?」と聞かれ、「先生のおかげで楽しい授業ができました。」そう笑顔で伝えると、「それは良かった。それじゃあ、また僕の授業で後輩の為にその話をしに来てよ。教科書よりも実体験の方がはるかに役に立つから。」先生の講義、教科書使っていなかったじゃん。今ようやく思い出したよ。その講義、宗教学だった。全く授業の中身と関係なくないか?!教師とはこうあるべき。多分恩師が一番伝えたかったことは、固くない、心を開いた授業をしろということ。