そこにあった参観日

5年生になり、ついに分散の参観日ではなくなりました。一クラスに大勢の保護者の方が集まるので、これは気合いがいるなと朝からそわそわ。5時間目の授業だったので、のんびりと学校へ向かうと、駐輪場で声をかけてくれたのは、3年生の時に一緒に地区役員をやっていた先輩ママでした。マスクを外してもいいという時期が来ても、なかなか外すタイミングが分かりませんね、多数派にいると安心するのは日本人だからなのかなと一緒に笑い、和やかな時間が流れてお別れ。そして、グラウンドを歩いていると話しかけてくれたのは、広報委員でお母さんと一緒だった友達といつも二人で帰ってくるT君でした。「こんにちは!R知らない?」「さっきグラウンドのあっちに行っていたよ!」と教えてくれたのでお礼を言ってバイバイ。意外とひんやりしていたのでシャツを持ってきたものの、走り回っているのなら取り越し苦労だったなと自分に笑ってしまいました。そう言えば、父の弟である三兄弟の真ん中の叔父さんが言っていたな。「兄貴は長男でいつも大事にされていたから、本当によく風邪を引いていたんだよ。」と。年齢も二桁になったんだから、体温調節ぐらい自分でなんとかするでしょと開き直ることにしました。そして、下駄箱に行くと、先程声をかけてくれた友達二人とクラスが離れたことを思い出し、笑ってしまって。よく息子の居場所を把握してくれていたな。

その後、教室の前で資料を手に取っていると、仲良しのKちゃんと幼稚園から一緒の女の子ママに会い、感激の談笑。そこに小さな花が咲いたようでした。そして、教室から顔を出してくれた先生。「今年度も○○です。どうもすみませ~ん。」と笑いながら挨拶してくださるので、思わず笑ってしまい、ご挨拶。先生、大歓迎ですよ。1年毎に担任の先生が変わることも学びが多い、でもね、2年連続ということはそこに深みが増すと思っています。そんな巡り合わせにありがとう、心の中で届けました。すると、散々遊んできた息子が私に気づき、小さく手を振ってくれて、授業も始まるので中へ入ることに。席は、討論会ができそうな配置で、子供達が向かい合っていて驚きました。息子がまたそっと手を振り、私も振り返すと、その光景を見て先生が微笑んでくれたのが分かり、胸が熱くなって。この先生は、サインを見逃さない方なんだなと。お二人は大丈夫ですよ、心配になるどころかこちらが和ませてもらっています。大変なこともあるでしょう、でもそれを二人で越えているのが分かりますよ、そんな先生の声が聞こえてきました。優しい時間の始まり。
そして、国語の授業がスタートしました。すると、なぜか子供達の筆箱が目につき、中学時代を思い出して。それは、中学2年の時でした。担任は30歳ぐらいの音楽の先生、みんながとても信頼していて、ある日、思いがけない話をしてくれました。「私の教員仲間なんだけど、学級崩壊のようなことが起きてね。若い女の先生が、黒板に向かった途端、予め時間を合わせていたのか、生徒達がパタンパタンと筆箱をわざと床に落としていったの。布製ではないペンケースを使っている子が多く、その音が沢山聞こえて、無言の抗議のようで怖かったって。」その話を聞き、とても胸が痛くなりました。その先生は、まるで自分そのものを否定された気持ちになったのではないか、その音はトラウマになり、心に残ってしまっているのではないかと思いました。先生はなぜその話をしてくれたのだろう、そこには沢山のメッセージがあったのではないかと改めて思って。一度のことがその人の一生の傷になることがある、人の傷みが分かる人であれ。どんな時でも、どんな場面でも。先生の仲間を思う悔しさが、大人になってもう一度自分の胸に届きました。教員を目指そうと思わせてくれた恩師、あなたの強さ、私も少しは身に着いただろうか。

ふと焦点を戻すと、教科書をたけのこ読みで音読するという時間がやってきました。どのタイミングでもいいから、一行ずつ好きな時に立って読むというもの。クラスのみんなが本当にたけのこのようにひょこひょこ立っていくので、温かい気持ちになりました。もう5年生、時が経つのは驚くほど早く、幼稚園から一緒の子供達や息子が、もうお兄さんやお姉さんの顔や背丈になっていて、一緒に歩んできた時間の流れを感じました。そして、先生がいつも以上にキラキラしているのを感じ、なぜだろうと思っていると、マスクを外していることが分かり、嬉しくなって。ようやく先生の明るい笑顔が見えましたね。先生のその明るさで、沢山の子供達や保護者の方が救われたんでしょうね、それを思うとこみ上げそうでした。私が選んできた道、たった一つの後悔があるとしたら、大量出血をした時に病院へ駆け込まなかったこと。それ以外は、全部正解。そんなことを思いました。そして、息子とKちゃんの娘ちゃんが隣同士で、話し合いの時間に楽しそうに会話している姿を見て、写真や動画に取っておきたいなと。きっと彼女も同じ気持ちでいてくれて、1歳の時からずっと一緒で、いつか年を重ねて子育てが終わった時、Kちゃんとこの日のことを話したりするのかな、データには残っていなくても、私達の心の中には子供達の笑顔がずっと残っているのかな、そんな風に時を過ごすことを幸せと呼ぶのかな、そうだったとしたら彼女に出会い、どれだけの喜びをもらっただろうと色々な気持ちが溢れそうでした。8歳下の妹よ、出会ってくれてありがとう。

楽しかった授業も終わり、懇談会も出てと息子に言われたので、Kちゃんや友達にバイバイして、廊下でぼんやり待っていました。すると、他のお母さん達で溢れかえっていて、その時間がとても長く感じられ、Rのあほと心の中で思っていると声をかけてくれたのは一緒に帰っているT君。「今日も、学校が終わったら遊んでもいい?」と人懐っこく聞いてきて、息子の世界に助けられたようでした。そして、本人が登場。「ママ、やっぱり帰っていいよ!」この10分は何だったんだ?!どっと疲れたわ!!と小さく胸の中で毒を吐きながら、とっとと帰ってきました。いつも待っている公園で空を見上げると曇り。筆箱を落とされた女の先生の心は晴れただろうか。そっと思っていると、息子がランドセルを背負ってひょこひょこ帰ってきて。私達二人の世界なんだけど、沢山の人達がそばにいてくれるね。そんなことを思った。あと10年後、20年後、どんな道を歩いているだろう。どんな時も小さな花が咲いていたら素敵。