無理して上げなくてもいいよ

梅雨が早く来そうなここ最近の天気、滅入ってしまいそうな日が増えたなと思いながら、息子の夏用の制服を取りに来てほしいとお店から連絡をもらったので行ってきました。すると、対応してくれたのは、40代後半の女性スタッフさん。受け取ると、ズボンだけだと勝手に勘違いをして半袖のシャツをすでに2枚も買っていたので、自分のどん臭さに笑えてきて。よく分からないので、全部セットで購入していたことをすっかり忘れていた始末。男の子だし、何があるか分からないからまあいいかと開き直りつつ、店員さんに聞きたいことがあったので質問をしてみました。「ジャージのハーフパンツなんですけど、洗濯するとすぐに毛玉になってしまって、でも毎日洗った方がいいですよね?」「そうですね。どうしても毛玉になりやすいけど、毎日着るなら洗った方がいいかも。うちは洗っていました。部活は何?」半分は店員さんとして、半分は先輩ママとして聞いてくれるので、なんだか嬉しくなって。「卓球部です。」「運動部なら、すぐに傷むから洗い替えは何着もあっていいかも。うちも運動部だったから、先輩から流れてきたものをもらったり、本当に色々でしたよ!」自分は女子で、運動部にはいたけどそこまで汚すことはなかった、一旦頭をリセットした方が良さそうだなと、散々盛り上がって帰ってきました。店員さんから、土と太陽を感じた、息子さんはグラウンドで光を浴びる運動部だったのかもしれないな。

中学の時、ソフトボール部のエースと陸上部の練習で疲れ果て、往復は必ず制服を着て登下校するのが校則だった中、あまりにもへとへとで荷物を減らそうと企み、一緒に昇降口の目立たないロッカーへ二人分のジャージを忍ばせて帰った事がありました。お互い、受験生で常に頭もパンパン、ジャージもなぜか家にあった1着で事足りていたので、そのことをすっかり忘れていました。するとある日、私のジャージを持った50代の女の担任の先生が、半笑いしながらやってきて。「あ!ごめんなさい。疲れて置いていったこと、今思い出しました!」と正直に伝えると、一緒に笑ってくれて。「Sちゃんでもこういうことあるんだ~。」といたずらっぽく言われてしまい、先生の心が読めた気がしました。学級委員もやって、テニス部も陸上部も頑張って、でも受験生だからなかなか気が抜けないと思っていたけど、こんなところで抜いていたなんてね、怒りたいけど逆に安心したわ。そんな表情をされ、見てくれているんだなと思いました。陸上部の大会で春も秋も結果が出せなかった時、本気で落ち込み、成績も微妙な位置にいて。そんな私を見てきた先生は、思い切った進路変更を伝えてきました。「第一志望は、これからものすごく頑張ればなんとか滑り込めるかもしれない。それでも、かなり下位の方にいることになると思う。第二志望の高校に入れば、中から上位にはいられて、心に余裕を持っていられると思う。Sちゃんの最終学歴が高校なら、何が何でも頑張りなさいって言う。でも、目標は四年制大学だから、そこを目指す為に高校3年間は少しのゆとりを持って過ごしてほしいって思う。いろんな生徒を見てきた、Sちゃんは目標が定まれば多少遠回りだと思うようなことでもそこに向かって頑張れる。悔しい気持ちも知っている、でもあなたは大学で輝くよ。」先生のいろんな気持ちが流れ込み、泣きそうになりました。そして、これまで出会ってきた沢山の生徒達も感じて。先生は、私の性格もよく分かった上で、もっと先を見て伝えてくれたんだろうなと。国語の先生、結果的に司書の道へ進み、ライターとして歩んでいると知ったら喜んでくれるだろうか。大学、苦しいことも沢山あったけど、志望校に合格し、学びたかったことに辿り着きました。先生の助言があったからこそ。何が嬉しかったって、悔しい気持ちも共感してくれたこと、それを受け止めた上で未来の私へもエールを送ってくれた、だから迷いがなくなった、それはとっても大きなことだったのだと。

中3の2学期の通知表、得意だったはずの社会も国語も両方落ちていて、それはもう散々な結果でした。それでも、担任の先生は渡す時に言ってくれて。「数字としては下がったけど、ぎりぎりのところで落ちた、数字だけでは表せないあなたの努力は、私も○○先生(社会科)も知ってるよ。」行間は読み取れた、この不本意な気持ちを高校3年間でぶつけろ!先生ありがとう。そして、卒業式、一番最後に先生達一人一人に花を渡す時間がやってきて、私はテニス部の顧問でもいてくれた若い女の先生へ。すると泣きながら受け取ってくれて、すぐに言われて。「Sちゃん、隣にいる○○先生にもお世話になったから。」そう言って担任の先生の前に立たせてくれました。なんだかもう言葉にならなくて、お礼を言いながら大粒の涙が溢れて。そんな私を見て、先生は目を赤くし微笑み、そっと背中をさすってくれました。最後の最後で、言葉はいらなかったなと。そんな私が中学男子のお母さんに、担任の先生が国語担当だと聞いて、そこから優しい時間旅行が始まっていました。歩いて来た道をもう一度辿る、それは辛い時もあるのだけど、そんな気持ちも自分でくるむことができたなら。よく人前で泣いた3年間だったなと思う、それだけさらけ出すことができる人達がいてくれたから。息子の今を、同じようなあたたかさでサポートする、できるかな、頑張らないであるがままに。お別れのその日まで、今日という日にハグをしよう。