飛び回る範囲

少し前、年に一度届く大学同窓会の案内が来ました。いつもより気になって見てみると、関東での開催は銀座だということ。まだ行ったことのない場所に心が躍り、出席する方向で考えてみたものの、平均年齢が高いような気がして再検討。決して、自分も若い年代に入るわけではないのだけど、それでも浮いてしまいそうで、やっぱり断念。いつか銀座に一人で行ってみることにして、今回も見送ることにしました。

何とも言えない地元の懐かしさを感じていたら、高校時代のマブダチK君から、近況交じりのメールが。『早くも40代にリーチだな。近くに居なくても連絡取り合わなくても、いつもSの幸せを願っているよ。また、みんなで会えるといいね。』同窓会出席を止めてすぐだったので、地元の空気をそのまま持ってきてくれた友達の連絡に和みました。
日帰り名古屋か~と無謀なことを考えてみる。会いたい人もやりたいことも盛りだくさんあるので、強行スケジュールはやっぱり無理そう。でも、前よりも帰省を前向きに考えられるのは、一歩進んだ証拠。悲しい記憶が、こうやって少しずつ薄れていく。

息子が年中の時、その当時の担任H先生に、「ノートパソコンを持ったので、平日は自宅にいないことが多く、何かあったらスマホに電話をください。」と伝えたら、「了解しました!色々な所に飛び回るんですね!」といつもの明るさで言われたので、笑ってしまいました。一体どんな印象を持たれているのか・・・。先生にそう言われたら、飛び回るしかなさそうです。午後2時のお迎えに間に合う予定には限りがあるのだけど、そんな状況もあと5か月。これは、楽しまないといけませんね。銀座の時計台の写真を撮って帰ってこようかな。帰りたくなくなる?

K君から去年、お母さんが末期のすい臓がんだと分かり、余命一年だと教えてもらいました。高校時代、いつも可愛がってくれていたおばさんのことが心配で、直接メールを送ると、『Sちゃんありがとう。優しい言葉に泣けてきました。私も辛いけど、家族はもっと辛いから頑張ります。』と返信があり、周りにはぐっと堪えて笑っているおばさんの表情が伝わってきました。「うちの子が遊びに行っていても、いつでも遊びに来てね。」と声をかけてくれていた大切な人です。
K君に最近連絡をもらい、最後に『おばさんの具合はどう?』と伝えると返信はありませんでした。それが何を意味するのか、分かりました。そして、みんなで会えるといいねという言葉の理由も。

何かあったら、飛んでいくから。そう伝えてくれた彼の言葉はいつも本心だったし、その気持ちはずっとこれからも変わらないもので、私も同じように思っています。家族の前では格好を付けて、私の前では大泣きしたいのかなとか、たったひと言弱さを見せたいのかなとか、おばさんとの思い出話を一緒にしたいのかなとか、色々なことを思いました。そして同時に、今はそっとしておいてほしいのかなとも。

『俺、自分の母親が余命宣告されているのに、仕事で忙しいからと理由をつけて、なんにもできないでいるよ。』と一度弱音を吐いてくれたことがありました。『おばさんは、そんな気持ち全部分かっているよ。』そう伝えると、Sに言われるといつもほっとするよと笑ってくれました。
行動は起こせなくても、飛んでいきたいと思う気持ちを、きっと感じてくれている。
なかなか会えなくても、友情は距離よりも強い。