チームの為にできること

私が子供の頃から大ファンだった与田剛さんが、楽天の投手コーチから、中日の監督に就任しました。本当に夢のようで、何をどう伝えたらいいのか、嬉しい混乱の中にいたのでなかなか書けませんでした。

小学生の頃、姉が、地元愛知の東邦高校をとても応援し、そこの選手が選ばれるのではと、かじりつくようにドラフト会議を見ていたので、私も隣で一緒になって息をひそめていました。その時に中日から1位指名をされたのが、与田投手でした。NTT東京という文字が表示され、社会人である与田さんを初めて知ったのが10歳の時。
まだ、転校で岐阜県の小学校に通っていた私は、不慣れな地域で通学も遠く、毎日帰ってからへとへとに。それでも、中日戦だけは欠かさず見て、いつの間にか与田さんのファンになっていました。活躍した翌日、中日新聞のスポーツ欄の見出しを見て、朝から感極まったことも。“ガッツポーズが似合う男”その大きな見出しと共に、マウンドで格好よくガッツポーズをした写真は、一番のお気に入りでした。

30代男性の担任の先生は、熱狂的な巨人ファンで、私が綺麗にまとめたスクラップブックを見て、「与田さんしかいないぞ!」と大爆笑。気が付いたらクラス公認の与田さんファンになっていて、思うように馴染めていないのではと思っていた教室の中で、野球が、皆と私を繋げてくれたようでした。

そんな与田さんが、引退し、日本代表や楽天の投手コーチを務め、中日の監督に就任したことを知った時、本当にこんな日が来たんだと沢山の想いがこみ上げました。星野監督は、与田さんのことを選手としてもコーチとしても期待し、その場所に星野監督の想いと共に戻ってきてくれたのかなと、胸が熱くなりました。

就任会見で聞いた低い声は、あの頃と全く同じ。紳士的に映るその姿も。そして、私達に伝えてくれました。「このドラゴンズというチームが私をドラフトで単独指名していただいた訳ですから、この思いというのは一生忘れることはありませんし、何か強いご縁というか、運のいい男だなと思っています。」与田さんは、中日に感謝をし、いつか恩返しができたらと思ってくれていました。10歳の時に見たドラフト会議から、29年。与田さんの背番号だった『29』。私も勝手にご縁を感じているし、やはり何より、いつまでも夢を見せてくれてありがとうとその気持ちが大きくて、胸がいっぱいです。

その29年の間に、ナゴヤドームで1日限定のバイトをしたし、リクルートスーツを着て、ナゴヤドームで開催された就職イベントにも参加したよ。与田さんが出演していたNHKの番組は必ず見ていたし、WBCの投手コーチになった時は、ダグアウトがとても気になり、楽天のユニフォームを着ていた姿をTwitterで見かけた時は、涙が溢れました。

結果が全ての世界。監督として数字を残さなければ、色々なことを言われるのだろうと思います。でも、就任会見の与田さんはOBとして、単独指名をし、飛躍させてくれたこの球団の力になりたいと思い来てくれました。戻ってきてくれたね。
もう一度夢を一緒に見せてもらおう、与田新監督。