帰り道の景色

大阪最終日の朝、三日連続睡眠不足はさすがにきついなと思いながらも、息子を起こし身支度開始。心残りのないように朝食ブッフェを楽しみ、パッキングをしてから少し時間があったので、短時間だけ寝かせてもらうことにしました。すると、すっと深く落ち、目覚めると頭がやや軽くなっていて。旅先で眠れるかどうか、本当に大きな別れ道なんだよなと思いながら、テレビを小さな音で観てくれていた息子にお礼を言い、部屋に別れを告げ、まだ名残惜しそうな彼を連れてフロントまで向かいました。スーツケースを一旦預け、Mさんと合流。ラスト大阪、見るものすべてを目に焼き付けるんだ。

その後、行きたかったスカイビルへ三人で向かいました。予め本等で調べ、大阪の街並みを上から見たいと思っていて。夏の陽ざしが照り付ける中、綺麗なビルの展望台へ向かうと、いろんな角度から景色が広がり泣きそうになりました。姉が女子寮にいた頃が最後に来たと思っていたのに、13年前に大阪を経由していたことが思い出されて。それは、2011年3月11日、東日本大震災後に起きたことでした。たまたま母とオーストラリアに行っていた時、震災は起き、異変を感じた私は国際電話で姉と話し、ようやく状況を理解。二人が帰国する頃には飛行機は飛んでいると思うけど、くれぐれも気を付けて帰ってきてと緊張感のある声で言われ、起きていることの重大さを目の当たりにしました。10日に成田空港を出発し、5日後に帰国するはずが、ゴールドコースト空港で足止めされ、成田行きはキャンセルの状態に。翌日、ようやく関空行きの飛行機に乗ることができました。食欲もなく、飛行機酔いもあって、日本に着いた時は安堵と何とも言えない感情が渦巻いていて。そんな時、空港スタッフさんの制服が見えて、姉と重なり沢山の思い出が駆け巡りました。私も強くあらねば。それから新幹線に乗る為に、ATMで二人分の現金を下ろし、南海電車に乗車。難波から新大阪駅まで行ったはずなのに、その時の記憶が飛んでいて、自分の中で大混乱だったのだろうと。そして、ようやく新大阪駅で新幹線に乗ると、車内の表示から震災の詳細が分かってきました。その時絶句した気持ち、そんな中で大学図書館の先輩が心配と共に送ってくれた館内の本が大部分落ちてしまった画像は、ずっと自分の中にあったんだなと。あの時、思い出深い大阪を経由したことで、自分を取り戻せていたのかもしれません。きっと電車がよく分からず、難波の駅で沢山の方に助けてもらってもいたのだろうと。スカイビルから街を一望し、どうしてずっともう一度来たかったか分かったような気がしました。いろんな出来事が私の中に詰まっているから。

息子は、自分用のおみやげを見つけ喜び、ガチャをもう一回やりたいと軽くごねて、非日常にいるのに日常がそこにはあって、ああ私もこんなに大きな子供のお母さんになったんだなと少しだけ微笑みたくなりました。時が経ったんだな。それから、最後の食事に美味しいお好み焼きを三人でわいわい食べ、大阪駅から新大阪駅まで送ってもらいました。睡眠不足じゃなくなった目で、街を味わうことができて良かった。Mさんにお礼を伝え、新幹線の中へ。息子は、いつものように大阪バイバイって言うと思ったら意外な言葉が待っていて。「ママ、大阪に住みたい!引っ越そう!」え?は?と思いながら、結構本気な小6男子に笑ってしまって。そんな未来あってもいいねと思っていると、なんだか気持ちが和らぎ、空いている車内で柔らかい眠気に襲われ、ぐっすり就寝。気づいたら、名古屋が近づいていました。見慣れた景色が視界に入り、5分間名古屋駅に停車し、到着するとビジネスマンの方達がどっと乗ってきて。私の故郷、名古屋、気持ちがどんどん溢れ、堪らない5分間でした。この地に生まれ、いろんな人に出会い、いろんな経験をした。自分を育ててもらった街、そのことはこれからも変わることはないだろうと。東海道新幹線が、年表のようにも思えて、過去を振り返り、収まりきらない写真や映像が流れて、本当にいい時間でした。この5分間を忘れない。そして、動き出した新幹線。息子と今のホームグラウンドに戻ることにしよう。そんな感慨にふけっていると、あちらこちらからプシュッと缶ビールを開ける音が。ビジネスマンの方達お疲れ様ですと思いながら、思わずふっと笑ってしまいました。あの音ってね、ビールを飲まない人にも心地いいのではないかと思うのは私だけ?!みんながお疲れ様ですねと心の中で乾杯することにして。

いっぱいの荷物を持って、新幹線を降り、相変わらずおみやげ屋さんを行ったり来たりして、特急に乗ると、息子とのまた二人の生活が近づいてきました。あなたのお母さんでいられて良かった。いつもの駅で降り、あまりにも疲れて山盛りの荷物だったので、開き直ってタクシーで帰ってきました。すると、自宅に戻った息子が冷蔵庫の炭酸を二杯用意してくれて、「ママ、乾杯しよう!」と言ってくれて。泣けるじゃないか。神宮帰りの夜、私がやっていたことを今度は彼が用意してくれました。「かんぱーい!!大阪、楽しかったね!!」お互い沢山の感動を抱え、話は尽きず、ようやく終わった旅。なんて優しい夜。
大阪のみなさん、明るく楽しく迎えてくれてありがとう。自分が思い出深い場所に、息子を連れて行けたこと、本当に嬉しかったです。胸の中に広がった景色を持って、また前へ。次にまた大阪を訪問する時は、息子は何歳になり、私は何を思うのだろう。心の旅は、この先もずっと続いていく。