息子がすごい勢いで学校から帰ってきたと思ったら、友達と遊びに行くと言ってこれまた2倍速で出かけてしまいました。やれやれと思いつつ、ゆっくり夕飯の準備をしながらスマホの充電もしておこうといつも置いてある場所を見てみると、見当たらない。午前中、買い物へ行く前に慌てていたので、どこかにうっかり置いてしまったかもしれないと捜索開始。息子と共用で使っているので、彼が帰る前に探さねばとちょっと焦りました。が、どこを探しても見つからず。もしかしてと思い、帰宅と同時に聞いてみることに。「スマホの充電器、持って行った?」「うん。急いでいて、言い忘れた!」こちらの30分を返してくれ!と思いつつ、笑ってしまいました。「持ち出す時は言ってね~。」と一件落着。こんなことの繰り返しだなと、そんな日常を楽しむことにして。ボランティアで息子の勉強を教えてくれるグループの代表の先生が、メッセージをくれました。学校で使っている社会科の教材を持ってきてほしいと。社会は私自身が得意なので、理系を中心に教えて頂けたら助かりますと以前に伝えていたものの、先生の意図を感じました。得意な社会科を伸ばせば、それが自信となり苦手な教科も引っ張られていくのではないか、そんな気持ちが届いて。大きな優しさをいつも受け取っているので、お願いすることに。キラッと光るものを家族以外で見つけてくれる人がいる、そのことに喜びを感じてくれる日が来てくれたらいいなと、少しずつ伸びていく身長を見ながら微笑ましくなりました。10年後、どこのフィールドで苦戦し、そして活躍するのだろう。
昨日は、マブダチK君の誕生日だったのでお祝いメッセージを送ると夜に返信がありました。『S、ありがとう。最近、仕事や子育てに体力が追いつかず、歳を感じてるよ。Sも息子くんと色々あるだろうけど、お互いに背中を見せてく親になっていけたらいいね。Sの存在に助けられながら毎日を送ってきたけど、また、いつか笑いながら会える日を楽しみにしてるよ。それまでに今より少しでもかっこいいイケオジになれるよう頑張るぞ~』その文面を読み、一字一句から信頼という言葉が滲み出ていて嬉しくなりました。そしてふと、20代の前半ぐらいに言われたことを思い出して。「Sは、どんなことがあっても恨んだり憎んだり、そういった感情がほとんどない。そこまでの考えに至るまでに相当なことがあったと思うし、それはSにしか分からないものだ。でもな、なかなかみんなそこまで辿り着けないんだよ。そうあれたらいいなって思うけど、簡単じゃない。いろんな苦しさ抱えて、そんな自分が嫌になって、人のせいにした方が楽かなとかそんなことを思ってしまう自分にさらに嫌気がさしたりするんだよ。俺達はここまで築き上げてきた関係がある。だから、きっとこんなことこの先Sに面と向かって言う人はきっといないだろうから、俺が言っておく。お前のように強い人ばかりじゃない。そのことは覚えておいてほしい。」もちろん喧嘩を売られた訳でもなく、きっと否定も肯定もされた訳でもなく、言われたことをとりあえずそのまま受け止めました。多分、とても大きな意味を持つものなのだろうと。それから数十年後、母のことで姉と父と三人で開いた家族会議は修羅場を迎えることに。姉妹で本気でやり合い、というかどちらかというとこちらが斬られまくってしまい、4年という期間彼女と会わない日々が続きました。手術当時の朝、メッセージをもらい、そしてさらに半年後再会が待っていて。大泣きをする彼女、何度も謝られ、こちらがあっさり許すとさらにネネちゃんは泣いてくれました。私がどんな思いで刺さった刀を抜いていたか、痛い程伝わっていたよう。そして、言われて。「両親のことを恨んでいる。愛されたっていう実感あんまりないし、私なんて生まれてこなければ良かったのに。私はSちんのようにとてもじゃないけど、あの人達に感謝なんてできない。」K君が以前伝えてくれたのは、こういうことだったのか、彼があそこまで言ってくれたから姉の傷みのそばにいられる、そう思いました。私のお姉ちゃんでいてくれてありがとう。刀を置いてもらい、私はあの時毛布を渡せただろうか。
岐阜の小学校にいた頃、とても寒い日、起立性調節障害という概念はなかった時で、朝起きるとひどい頭痛とめまいとどうしようもなく気持ちが沈んでしまい、こたつの奥の方に入り込み、動けなくなりました。それを知った母は、私に寄り添うことなく、背中をバシバシ叩き出てきなさいと怒鳴りました。学校へ行かなくてどうするの?と。こたつのひとつの柱につかまり、絶対に引きずり出されるものかとしがみついた朝。自分が置かれている状況を、目の当たりにしました。二日連続で絶対に学校は休まない、その時自分に誓って。周りの理解が得られないのであれば、自分で自分のことを理解しようと思いました。私はどんな時に辛くなって、どんな時に復活できて、どんな時に本来の姿でいられるのかと。それを助けてくれたのは、きっと図書館であり、本でした。誰かの言葉に励まされました。それがフィクションだったとしても。人が手がけたものに間違いはなかったから。当たり前なんだけど、大変なのって私だけじゃないんだよね。赤いランドセルを背負い、立ち寄った図書館は小さなこちらの世界を驚く程広げてくれました。いつか司書になりたい、そして、いつか自分の言葉で書いてみたい。私が助けられたように、誰かの心に小さくても火が灯ってくれたなら。そんなささやかな夢を一緒に見てくれている読者さん達がいる、それを優しさと言わないで何と言うのだろう。そういった毎日に支えられて、今があります。母には母の課題がありました。それを子供ながらに分かっていて、何が正解だったんだろうなと。ただ一つ言えるのは、後悔はないということ。今までも、きっとこれからも。自分の弱さもひっくるめて好きでいよう、いつからかそう決めたから、その気持ちが春の風と共に伝播しますように。