昨晩、寝る時間になったので息子に伝えました。「明日も学校だから、もう寝るよ。」「きもっ。」どんな会話やねん!答えになってないわ!!といつもの日常なのに、妙にツボにはまってしまって。中学校生活にも少し慣れたのか、反抗期もなだらかになってきてお互い少しの余裕を感じました。大学図書館勤務時代、一日の中でやること、週次処理、月次処理の流れを忘れてしまわないように、デスクトップの周りにポストイットを貼りまくると、ライオンのたてがみのようになってしまい、みんなが笑ってくれて。一通りのリズムが掴めると、ポストイットの量は少しずつ減っていきました。見える化し、優先順位を明確にし、丁寧に行うこと。それが結果的に、作業効率を高めてくれるのかなと。姉はいつも要領がよく頭の回転も早く、そんな姿をずっと見てきました。自分はカメなのだ、でも手を休めず目的地を間違えなければきっと辿り着ける、そのコツコツが自信の積み重ねだったのではないかと。そうやってなんとかこの歳まで生きてこられたので、息子ののんびりも大目に見ることにして。いつか手にしたその景色を見せてね、そんな気持ちで就寝。なんて穏やかな夜。
昨日は、息子の球技大会でお昼ご飯も自宅だったので、慌ただしく彼が帰宅した後、すぐに友達と遊びに行ってしまいました。その後、ボランティアの学習場所へ直接行くことが分かっていたので、買い物を済ませ、さあパソコンの前で集中しようかと思っているとピンポンが。モニターを見ると母だと分かり、玄関のドアを開けることに。「どうしたの?」「Rには連絡を入れたんだけど、美味しいドーナツを買ってきたから二人で食べてね。」そう言って、早々と退散しそうだったので30分だけならいいよと家に入ってもらいました。すると喜び、あれこれ質問攻めが待っていて。これも想定内。そして、父を立てるような発言をするとそれが引っ掛かったのか、やや反論もあって。これまた想定内。その後、仕事がしたいからとやんわり伝えると、「この席使うのね!」と席の位置が変わっただけでちょっと吹き出しそうになりました。帰らないんか~い!そういうことじゃなくてねと思いつつ、母に空気を読んでもらうことを望んだらいけないなと。申し訳ないけど、春休み前の貴重な時間なんだと彼女を傷つけないように話しました。やや残念そうにされたものの、さすがに理解を示し、トイレを借りてから帰るわねと言い残しバイバイ。すると、まだ話し足りなかったのかもう一度やってきて。母の30分は300分なんだろうな、そんな解釈を楽しむことにしました。ひと言ふた言話し、ようやく帰ってくれた母。「そんなに邪険にしなくたっていいじゃない!!」玄関の外だろうがぶち切れてきた以前の彼女を思うと、頑張って変わろうとしてくれている所に拍手を送りたい。そして、自分の器も少し広がってくれたことにこっそり安堵。今日は少し多めにサプリを飲んだのは、こんな近未来が待っていたからなのねと、防衛本能に花丸をつけたいです。
何気なく大相撲を見ていた日、ふと祖父との時間が蘇ってきました。仕事の移動中、ダンプカーにぶつかり車外へ放り出され、奇跡的に一命を取り留めてくれて。その後、何度も手術が待っていました。4人部屋に移され、母と交代でお見舞いに行くと口数の少ない祖父がいて。私の前だと止めどなく話すのに、やはり頭の手術だとダメージが大きいよね。いろんな気持ちの中にいると、伝えてきて。「Sちゃん、イヤホンを取ってくれないか?」「うん。どうしたの?テレビでも観たい?」「相撲やっとる。」そう言って少し体を起こし、相撲中継に見入る姿を見て、いつものおじいちゃんだと胸が詰まりました。大事故に遭おうが、大手術をしようが、言葉数が少なかろうが、目の前にいるのは私の知っている祖父でした。スポーツの力ってすごいな、そう改めて思わせてくれた大事なひとときでした。大ファンだった千代の富士関を熱く語ってくれた時のことは、今でも心に残っていて。「千代の富士わな、自分が横綱であるということを十二分に自覚しているんだよ。強さだけじゃない。横綱とはこうあるべきだみたいなものを、しっかり持っている力士だとおじいちゃんは思う。相撲を知っている、それは技だけじゃなくて、日本の大事な国技であり文化であることを守りたいと思ってくれているような、そんな振る舞いを感じるんだ。いい男だぞ。」戦後の日本に元気を、その象徴でもある相撲を愛し、そして土俵の上で大切に守ろうとしてくれている一人の力士に魅了された祖父の言葉は重く、深いと思いました。その後、千代の富士関、引退の時が。二人で一時代が終わったことを噛み締めたその時間は、ずっと胸の奥にしまってあります。
まだ岐阜にいた頃、ネネちゃんが中学3年の時、父の転勤を想定して愛知の高校を受験することが決まりました。その話を知り、祖父と姉の二人暮らしは非常にまずいと本気で心配になって。その時、なぜそこまでの心境になったのか思い出しました。姉は凄まじい反抗期だった、ただでさえ二人の相性は悪いのに、反抗期なら大変なことになるのではないかと。家事はこなすだろうけど、料理をテーブルに置き、時間差で姉は食べ、結局は一人ぽつんと食卓に座る祖父が想像できてしまって。寂しがり屋のおじいちゃんが、そんなだったら一人暮らしの方がいいと思うのは容易に分かって、これはどうしたものかと思っていると、父の名古屋への栄転が決まりました。すごいタイミングだなと、その神回避に本気で驚いたのだけど、今になって気づいて。1週間で亡くなった母の兄、伯父さんへ私の祈りが届いてくれたのかもしれないなと。こちらが家族のことで強く願うと、時々不思議なことが起こる、それはもしかしたら私が伯父さんのことを忘れていないから。そんな気がしました。この世に生を受けた7日間の命を、尊くこれからも守りたいと思っています。毎週土曜日の夜になると、祖父の囲碁仲間が集まりました。自分の家の番になると、時間前に嬉しそうに柿ピーの用意をしていたおじいちゃん。そのわくわくが伝わってきました。それでも、なかなか約束の時間に訪問されないことも。まだかな、まだかなと時計を見て、時には外まで様子を見に行って、ようやく一人目の方がいらっしゃると、満面の笑みで迎えた祖父。友達っていいねって子供ながらに沢山のことを感じました。そして、また一人、また一人、賑やかな夜が始まって。コーヒーを出すと、そこには囲碁の音と、タバコと柿ピーの匂いと、同じ温度でいてくれて居心地良さそうにしている祖父の笑顔がありました。幸せだな、心の声が届きました。その後、長い時を経て祖父の葬儀が。沢山の空席を見て、母に聞くと、囲碁仲間をみんなおじいちゃんは先に見送り、一番最後になったからだと教えてくれて。おじいちゃんは囲碁盤の前で、ゆっくり思い出を噛み締め、そっと泣き、自分の来たる時を待っていたのだと。人の生はやっぱり儚くて美しい、それを知っているから紡げるものがある、そんな日々に、祖父に感謝し、これからもともに。