友達のあり方

今日は気持ちが少しかさついていたので、モリモリ食べようと思い、コメダのランチへ。隣に座っていた70代の女性二人が楽しそうに会話をしていて、一人がトイレで席を立ち、「遅くなってごめんね~。」と戻ってくると、もう一人の女性が格好良く伝えていました。「そんなことで遠慮しているようじゃ友達じゃないよ。私達は気を使う仲じゃないでしょ。」なんかいいな。ちょっと強気なところまで、長年の友情を感じさせてくれる。

プレ幼稚園と年少の時に仲が良かった男の子ママの友達。お互い忙しくしているので、時々しか園庭で話せないでいたのですが、相談したいことがあったらしく、久しぶりにメールをくれました。その内容を見て心配になり、すぐに返信。それから数日後、園庭でまた会い、友達が思い切って聞いてくれました。「この間、私が送ったメール、届いていた?」と。「うん。返信してから心配していたよ。」と話すと、随分ほっとした顔をしてくれたので事情を聞いてみると、私からの返信が届いていなくて、もしかしたら重い内容で迷惑をかけてしまったのではないかと気にしてくれていたよう。友達が受信できていなかったのか、私がうまく送れていなかったのか未だに不明ですが、とにかく誤解が解けて安心しました。

その後、LINEで繋がり合うと、『聞いてくれてありがとう。』と改めて安堵した内容と共にお礼の言葉が。返信が無いと、不安になるよね。重いかもしれないと自分で思う内容ならなおさら。それが勘違いだとわかり、改めて打ち解けあった時、じわっと広がる友情が心を満たしてくれました。
「私さ、人見知りだから、今話せるのはSさんぐらいだよ~。」そんな拠り所にしてくれた彼女は、大学で心理学を専攻していて、母との関係にも耳を傾け、私のことを何度も助けてくれた友達です。
「専門家でも、判断が難しい所が沢山あるよ。お母さんの場合、Sさんの前だけおかしかった可能性が強いとすると、閉鎖的で周りがその二人の関係性に気づかなかったのは無理もないよ。だから、一度冷静になる為に距離を取ることは大切だと思う。その行動自体に罪悪感を抱く必要はないからね。まずは、自分を癒してあげて。」

こんな言葉が、人を救ってくれるんだろうな。友達には本当に恵まれてきた。私が自信を無くさなかった大きな理由かもしれません。以前姉に言われました。「Sは、本当は曲がっていなければいけなかったんだよ。それでも強引に真っすぐでいたから苦しくなっちゃったの。」と。半分は当たっていたと思います。でも、半分は違うと言い切れる。いい子でいることに徹していた部分と、周りの人達がそのままでいいと伝え続けてくれたから、自分を見失うことはなかった。

大好きなKちゃん、一番苦しかった時に、まず思い出した友達。あんなに優しい子がそばにいてくれるのは、私が屈折していない何よりの証拠だと思えました。多くを語らなくても、見守ってくれている友達の存在にいつも助けられてきた。
『さくらdeカフェを読んで、Sさんが大変なことを知ったよ。なかなか連絡できなくてごめんね。いつも元気をもらっています。』本当の優しさを彼女は知っている。私が落ち着くまでゆっくり待ってくれています。相手にプレッシャーをかけない言葉が、さらに包んでくれますね。

隣のおばあちゃん一人がお腹の調子が悪いと言い出し、もう一人のおばあちゃんがアメを渡し、それをもらってなめたら落ち着いたようで、一緒に笑っていました。
こんな関係、なんだか素敵。