ハードルはそのまま

今日は、久しぶりに主治医の診察。とても清々しい秋晴れの日、音楽を聴きながらの運転が気持ちいいと思っていたのも束の間、なぜか渋滞にはまってしまい、一気にトーンダウン。それでも、慌てて入った診察室で、先生のほんわかな雰囲気はいつものままで、その秘密を探ろうとなんでもない会話を楽しみました。

横になった私のお腹を触りながら、「また痩せたんじゃない?お腹がすり鉢みたいになっているよ。」と言われ大爆笑。もう少し他に表現はなかったんですかと心の中で呟きながらの返答。「全然体重は変わっていないですよ。毎回先生に言われます。」「えっ?そうだっけ?今度会う時までにもう少し太っておいてね~。」だから先生、出会った頃から私の体重は全く変わっていないですってば!と思いながらも、おとなしく頷いて今日も平和に診察が終了しました。名医なのだけど、わざとボケているのか、元々がそういうキャラなのか、今さら?!ということを言われる時があり、一緒に笑ってしまいます。急に心配されたり、こっちが不安がっていることを大丈夫大丈夫と言ってくれたり、先生の術中にはまっていることを、とことん楽しんだ方が良さそうだと思った帰り道。気持ちのいい人と会話をすることが、どれだけ心地いいのかを再認識させてもらったような気がしています。

車の中で聴いていたのは、GLAYの『春を愛する人』(作詞作曲:TAKURO)。この曲は、四季が出てきて、一年が一つのストーリーになっており、とても好きです。こんな風に時は流れ、優しく自分の心に降り注ぐのだと思わせてくれた学生時代。季節が変わるその時に、ふと聴きたくなる大切な曲です。かさかさした気分で深夜を過ごし、耳にしたこのメロディに何度救われたことか。春で始まり、また春に戻る、生きていくことをこんな風に伝えてくれると、微笑みたくなりますね。

そして、購入した後あっさり読んでしまった『読みたいことを、書けばいい。』(田中泰延著、ダイヤモンド社)。面白く、興味深く読んでいたのですが、最後のあたりでやられました。
『この本で繰り返し述べている「事象に触れて生まれる心象」。それを書くことは、まず自分と、もしかして、誰かの心を救う。人間は、書くことで、わたしとあなたの間にある風景を発見するのである。』(田中さん、引用させて頂きました。)
この三行を読んで、ぐっとこみ上げるものがあり、泣きたくなりました。誰の為に書いているのか、何のために書いているのか、これはいつも自分に問いかけていることです。その答えが、ここにあったような気がして、無名の私に共感してくださる方達がいて、私が見てきた心の景色を一緒に見てくれているのかもしれないと思うと、堪らないものがありました。

週末に書いてくださる息子の先生の伝言板でこんなことが書かれていました。『体育の授業でハードルをやったのですが、流れるように走っていました。運動会の選抜リレーは惜しくも選ばれませんでした。残念。』心配をかけているお勉強のことではなく、息子の得意な“走ること”をわざわざ書いてくれた先生。それは多分、“そういった部分も頑張っていますよ。だからお母さん、大丈夫“って伝えてくれたような気もして、行間から溢れ出る優しさに胸がいっぱいでした。

私のハードルの位置はそのまま。ただ、前を見て走り、時に振り返り、そして立ち止まる。誰の為でもなく、まずは自分の為に。その姿が、もしかしたら、誰かの心にそっと触れてくれると信じて。