サポーターが似合ってる

一人暮らしをしていた二十代の頃、自宅に帰った後や週末に時間があったので、何か勉強を始めたいと思い、色々考えて通信教育で医療事務の資格を取得しました。
理由は、頭が柔らかいうちに学んでおこうと思ったのと、子供の頃から病院には何かとお世話になっていて興味があったのと、司書の仕事に似ている点もあると感じたから。

窓口対応もあって、やはりサポーターという共通点。
自分が表だって何かをするというよりかは、利用者の方と本を繋ぐ、患者さんと医療や医師を繋ぐ役割だと感じ、勝手に親近感を抱いていました。
自分のペースで学び、興味があることをさらに掘り下げて、そういうことだったのか~と感じられるときは、嬉しくなります。
点と点だったものが線になっていく、学ぶ喜びの一つです。

子供の頃から本当によく吐いていて、病院には何度お世話になったことか。そして現在進行形。
体が弱ると心まで弱ってしまうことが情けなくて、憂鬱な気持ちで病院に行き、医療事務の方が優しい笑顔で接してくれると、それだけで治ってしまったんじゃないかと思う時があります。最初に会う人によって、その病院のイメージも随分と変わったりして。実は、重要な役割なのかもしれませんね。

祖母の乳がんが見つかったのは、個人病院の外科でした。本当なら気づかない場所にあったのに、男性医師が違和感を覚え、早急に総合病院での検査を勧めてくれて発覚。
祖母の入退院は、本人はもちろん、家族もみんな大変なものでしたが、母はいつも発見してくれた個人病院の先生に対して感謝をしていました。
「看護は本当に辛い時もあるけど、あの先生が見つけてくれたから、おばあちゃんと長く一緒に居られると思うと、頑張れるわ。」

母は、不器用な人だったので、看護や子育ての両立は難しく、姉や私は甘えることを知らないまま、随分逞しくなってしまったのですが、母が医療や医療に携わる人に感謝する姿勢は、立派だと感じていました。

祖母が退院をしている間、玄関先に土のついた野菜が沢山置かれていた日。
慌てて祖母に聞きに行くと、「この間、近所の畑仕事を手伝ったからかもしれないね。」と笑っていて。
休めばいいのにと子供ながらに思っていたのですが、誰かの助けになるならと、体が勝手に動いてしまう祖母。
そんな姿を見て、お礼の気持ちを野菜に乗せて届けてくれたお百姓さん。
祖母の人生は、幸せだったのかもしれないなと、ふと土のついた野菜を見ると思い出します。

私も、サポーターが似合ってる。
何かを投げかけて、誰かが喜んでくれて、その笑顔が見られるなら、やっぱり嬉しい。
優しさの連鎖、ネット社会に起こしたいですね。もう、起き始めているのかも。