大きな節目500記事

もう言うまでもなく、400記事目から500記事目が一番苦戦しました。犬かきのようにかいて、ようやく前に進めているような毎日。時間の大切さをここまで実感するとは思いもよりませんでした。

息子が体調を崩した2月末、休校が決まったその日から、無意識の間にずっと気を張っていたような気がして、それでもふとした時にプログラマーのMさんが伝えてくれました。「R君があのタイミングで調子を崩したのは、Sちゃんが先生と会う為だったような気もするんだよ。」と。私と全く同じことを思っていたことに驚くと共に、だから一緒にこうして仕事をさせてもらっているのだろうなとも。少年野球で体が鍛えられ、インフルエンザが猛威を振るっていた幼稚園時代もすこぶる元気でした。それなのに、なんであの日だったのだろうと思い返してみると、やはり学校に私が行き、最後に担任の先生と会うきっかけを作ってくれたのかなと。こんな風に何かと何かが小さく触れ合い一つのことが起きていく、そう考えると、ふとキーワードを入れた時にこのサイトに辿り着き、こうして500記事の節目にここにいてくださる皆さんに、ご縁を感じずにはいられません。
Mさんと、ありとあらゆる角度から色々な話をします。母しか知らないこと、父しか知らないこと、姉しか知らないこと、そして誰にも今まで話してこなかったこと。それを全く知らない誰かが感じてくれていることが、不思議でならないのだと。

両親が家庭内別居状態の冷戦を繰り広げ、我慢の限界がきて家を飛び出した20歳の誕生日。あれから20年という年月を越えて、40歳になった今、母が名古屋にいる父を迎えに行きました。綺麗好きとはとても言えない母が、一生懸命マンションの片づけを始め、もうすぐお父さんとまた暮らすからとどこかでウキウキした気持ちで、嬉しそうに話してくれました。
父が実家を出る時、月々のお給料の一部を私が取りに行くという形を父と話し合いました。祖父も母も、なんだか少しおかしくなってしまい、姉にも相談できず、プライドなんて邪魔になるだけだと、毎回頭を下げながら受け取っていたお金。その話を、仲の良かった友達のお母さんに何気なく話すと、一瞬目が潤み、ぐっと唇をかみながら伝えてくれました。「それでは、毎回Sちゃんが傷つくだけ。そのことに誰も気づかないその状態がおかしいよ。お父さんにまた話すのは辛いかもしれないけど、自分の心を守る為に、毎月振り込みにしてもらって。これは私からのお願いでもあるよ。いい?これ以上傷ついたらだめ。」そう言われた時、人を守るって、その人の立場になるって、優しく包み込むってこういうことなのだと思いました。ずっと家族を守ってきた。多分もう、自分の心なんてどうでもいいぐらいにどこかで投げやりになっていたのだと思います。そうすることでしか、打開策はないと思っていたから。そんな私の気持ちを感じ、全力で言葉を尽くして伝えてくれたおばさん。大嫌いだった“お金”。それで人の価値は決まらないのだと、その時教えてもらったような気がしています。生涯看護師でいたいと言ってくれたおばさん、今日も患者さんのそばでそっと励ましているはず。

時が経ち、子供を産み、姉が一冊の本を渡してくれました。読めば分かるからと言われ、育児の合間に読むと、ほんの一部分なのですが、母の為家族の為にお金を得る為、プライドを捨てて頭を下げ続ける主人公がいました。姉は気づいていた、参ったな。本から、自分が本当はどれだけ辛い思いをしていたかを知るなんて。姉のメッセージは、いつも姉にしかできないやり方で伝えてくれる。

新幹線に乗り換える為、私鉄に乗った母。サランラップの芯に赤色の折り紙をテープでつけ、旗を作った息子と、マンションのバルコニーから母の電車に向かって手を振ると、あっという間に過ぎて全く分かりませんでした。それから、数分後に入ってきたメッセージ。『こんなにされたの初めてで、感激と感動で涙が出てきてしまいました。二人にありがとう。』届いて良かった。

そんな20年。どんな表情で両親を迎えようか。自分の人生、書けるだけ書いてみるよ。