息子と夕飯を早く食べた夕方、ふと相撲の夏場所が観たくなり、テレビを点けました。すると、ソファの隣に座り、一緒に観てくれて。「お相撲って大きい人が勝つよね?」「そうとは限らないの。鍛えた体で、技術が勝つこともあるんだよ。気迫が勝ったりね。小さいお相撲さんが、大きな相手に勝つ瞬間って感動的だよ。」舞の海関が小錦関を倒したりね。いつも祖父が観ていた相撲。国会中継や相撲は、いつも和室から聞こえ、ピーナッツをむきながら必ずそこには祖父がいました。日本の国技をこんな風に楽しみにしている人の背中ってなんだかいいな、いつもそんなことを思っていた子供の頃。名古屋場所のチケット、プレゼントしてあげられたら良かったな、今さらそんなことを考えていると、「ママは誰が好きなの?」という息子からの質問が。「お母さんね、若隆景が好きなの。そんなに体は大きくないんだけど、強いんだ。」「そうなんだ。ボクも応援する~。」と言って、土俵に立ってぶつかり合うその時間を真剣に観てくれました。「面白いね~。」純粋に伝えてきた感想になんだか嬉しくなって。スポーツから学べること沢山あるよ、己との戦い、その先に掴めるのはほんの一握り。だから人は、その姿に魅了されるんだろうな。千代の富士関の引退会見は、泣けた。「体力の限界。」そう言ってハンカチで涙を拭った彼の姿は、あまりにも美しくて。命を燃やし続け、自分ととことん向き合ってきた人が伝えてくれる言葉は、こんなにも重いのだと知りました。黒い廻しが似合う千代の富士関は、ずっと私の心の中で生き続けています。
中学3年の修学旅行前、少人数のグループに分けて、好きな観光地を回っていいということになり、何度も話し合いが行われました。そんな中、別のクラスの班が両国を選んだことが分かり、なんだか嬉しくなって。入学して間もなく、学校の部活にはどんな競技があるのか、2年や3年の先輩達が体育館で実際に見せてくれる時間がありました。すると、柔道部は壇上に上がり、マットを敷いて小さな体の女の先輩が、大きな体の男の先輩を一本背負いし、本気で驚きました。その後も、どの部員が出てきても、そのがたいのいい男の先輩はみんなに投げられ、その度に笑いが起こり、体育館は熱気に包まれて。その先輩は、不良グループに入っていることが後に分かり、それでも1年生の為にと笑いを取るために投げられ続けてくれた彼の表情はとても柔らかく、ずっと心に残っていました。その後、春に臨時で招集される相撲部に彼が入り、体育の先生がみっちり指導をする毎日が始まって。その時も、先輩が、誰よりも早く先生達が作った土俵の整備をし、練習が終わっても一人残って廻しのままほうきで掃く姿を見ました。体育の先生は、生徒指導の先生でもあり、不良グループにいる彼に相撲を通して精神を鍛えたかったのではないかと、後輩ながらそんなことを感じていて。頑張って不良グループにはいるのだけど、人の良さは先輩から滲み出ていて、進路はどうするのだろうと密かに思っていると、両国の○○部屋に入門が決まった!というニュースが全校生徒に流れ、胸がいっぱいになりました。その時の体育の先生がどれだけ嬉しい表情をしていたことか。いつも怖い先生が、こんなにもくしゃっと笑うんだと、人目も憚らずに喜んでいて。茶髪でふらふらしていた自分の生徒が、相撲部を通して何かを感じ角界に行くんだもん、先生堪らないよね。そんな師弟愛にこちらの方が泣きそうでした。
それから数か月後、3年生の修学旅行で両国を観光地に選んだ他のクラスの目的はもちろん先輩に会いに行くこと。その気持ちが本当にあたたかくて。「○○君に会ってくるよ。どうなっているかな。会えるといいな。もっと体が大きくなっているかな。」そんな話が伝言ゲームのように広まり、みんな気になっていたんだなと行く前からワクワクが止まりませんでした。体育の先生は、番付表で見つけた教え子の名前を蛍光ペンで塗り、廊下の目立つ所に貼っていて。大きくなれよ、そんな気持ちが先生の横顔から伝わり、先輩は先生の真っ直ぐな愛を感じたから自分の道を見つけたのではないかと思えてきて。何度も何度もぶつかり稽古をした先生と先輩の土俵の上を思い出した。お互いの肩は赤かった。
いよいよ修学旅行の日、初日のディズニーランドは生憎の雨だったものの、翌日の分散行動は、気持ちのいい快晴でした。私達のグループはアメ横や東京タワーに行き、チェックポイントの池袋サンシャインで先生達と合流し、無事に会えたことに歓喜し、ひとしきり感想を述べる生徒達の話を笑って聞いてくれました。宿ではみんなで盛り上がり、三日目は新幹線で東京駅から名古屋へ。夏服の制服を着て、思い出を沢山詰め込んで帰ってきました。通常の授業に戻り、両国に行ったというグループが、写真を持ってみんなに見せに来てくれて。「○○君に会えたんだよ!練習していて、外から声をかけたらびっくりされて、めちゃくちゃ喜んでくれてさ~。一回り体が大きくなっていて、格好良かった。風格って言うか、もう本当にお相撲さんだったんだよ。」そう言って写真を見せてくれた柔道部男子。そこに写っていた先輩の表情は凛々しく、揉まれ、それでも隠し切れない人の良さは残っていて、感無量でした。その知らせを聞いた体育の先生が飛んできて。「○○はどうだった?会えたか?アイツは元気でやっていたか?」先生、そんなに心配なら一緒に修学旅行これば良かったのに、なんだったらみんなで押しかければ良かったね、そんなことを思いながら先生が嬉しそうに生徒達から様子を聞く姿は、紛れもなく生徒の将来を願う恩師そのものでした。「そうか、元気でやっていたか。」そうつぶやく先生は、茶色の頭だった彼が黒に戻し、角界に入っていった時のことを思い出していたのではないかと思いました。一人の教師が一人の人生を変えた、そんなドラマを目の前で見せてもらって、相撲を好きにならない理由は見つからない。
「ママが好きな若隆景、勝ったよ。やっぱり大きい人が勝つわけじゃないんだね。」「そうだよ。若隆景、福島県出身なの。震災があった地域。このお相撲さんが勝つことで、励まされる方は沢山いると思う。スポーツの力って、大きいね。」「そうなんだ。ボク、いろんなスポーツ観るの好き!」先輩は、どこまで番付を上げられただろうか。どこで自分の限界を感じただろう。ただ、自信を持って言えるのは、引退を決意した時、体育の先生と過ごした時間を思い出しただろうなと。その時間が蘇り、自分に微笑み、悔いなく土俵を降りたのではないか、そんな気がしていて。本当にもしかしたら、柔道や相撲を子ども達に教える指導者になっているのかも。不良でも後輩に愛されていた先輩、その後の人生を追いかけてみたくなった。