補欠じゃなくて名脇役

息子を学校へ送り届けている朝、高校の前を通ると、グラウンドで野球部の男子君がトンボをかけながら、尾崎豊さんの『I LOVE YOU』を気持ちよさそうに歌っていて、思わずふふっと笑ってしまいました。それを近くにいた男子君に気づかれ、おいおい外に聞こえてるぞと何やら伝えると、ちょっと照れながら歌をやめるので、朝から微笑ましくなって。サビの部分、もう少し聴きたかったな。あれ、でも世代じゃないよね。ご両親がファンだったのかも。姉の元カレにCDを借りて、尾崎豊さんの世界に酔いしれた中学時代。自分でも欲しくなり、お小遣いを頑張って貯めて買った『十七歳の地図』のアルバム。自分の手の中にこのCDがあることはとても大きなことで、価値あることで、何度も何度も聴き、その度に胸がいっぱいでした。

高校に入り、現代社会の授業の中で、順番に自己紹介をする時間がやってきました。まだみんなのことはよく知らない、それでもあたたかいクラスであることは肌で感じていたので、開き直って素を出すことに。「○○です。中学時代はいつも尾崎豊さんの曲を聴いていました。すごく好きなんです。とっても好きなんです。尾崎豊さんの話いつでもするので、良かったら声をかけてください。」明るくそう言うと、みんなも男の先生も笑ってくれて。その後、学校帰りに雨が降った日、下駄箱から空を見上げ、傘ないな~と思っていると誰かが近くに来た気がしたのですが、急いでいたのでそのまま走って別の校舎の屋根まで行き、また誰かが来た気がしたものの、早く帰りたくて駐輪場へ向かいました。その数週間後、マブダチK君と仲良くなった時、伝えてくれて。「雨の日、Sが困っているようだったから、俺の傘を渡そうと何度も近づいたんだよ。でも、そのまま走り去っていくから、コイツ可愛くねえなって思ってさ。」「え?私に声をかけようとしてくれたの?雨だったから早く自宅に帰りたかったの。気づかなくてごめんね。」「まあ、俺も話したことないヤツだったから、声かけるタイミング逃したんだけど。Sはオザキが好きなんだな。」「うん、大好き。」「なんかさ、お前ってちょっと変わっているよな。」そう言って笑ってくれました。彼はあの時、私の何を見てくれたのだろうと今になって思いました。出会った時から、K君は何かに気づいていた。

3年生になり、みんなが受験モードの中、野球部が甲子園を目指し大活躍。上位に食い込み、制服を着て全校生徒で応援に向かいました。一塁側スタンドで校歌を歌い、選手達に届けと願いながら送った声援も、悪天候で流れは変わり、劣勢のまま最終回へ。次々に打者は倒れ、ツーアウトになったところで監督が出てきました。すると、最後のバッターボックスには背番号『10』を付けた控えの選手が。子供の頃から甲子園を観戦し、最終回ツーアウトになると一度もレギュラーで打席に立てなかった選手が出てくる場面を何度も見ました。それが何を意味するのかもなんとなく分かっていて、だから監督から告げられ、出てきた選手を見た時、色んな気持ちがこみ上げ泣けてきて。手を合わせ、ヒットに繋がるようにと祈りました。それでも、バットは空を切り三振。ゲームセットの合図とともに両選手が出てくる時も、彼は悔しがり、その表情を忘れないでいようと思いました。仲間が、ポンポンと彼の背中を叩いていく。負けから教わることも沢山あって、いいチームだったことが本当によく分かり、一塁側のスタンド前に全員が並んでくれた時、割れんばかりの拍手で涙が止まりませんでした。
その後、エース君と仲良くなり、一緒にキャッチボールをした時に聞いてみました。「9回の最後に出てきた10番の選手、3年生だよね。なんだかあの場面、本当に感動的だった。」「サードの○○はピッチャーの控えでもあって、2年なんだけど抜群に上手いからずっとレギュラーだったんだよ。でも、10番の○○も俺の中でアイツは上手いってずっと思っていてさ。野球に対するひたむきな姿勢とか見習うところは沢山あった。謙虚なんだよ。多くは語らないんだけど、練習量は誰よりも多かったんじゃないかな。監督もそういったところは見ていた。上手くないとレギュラーにはなれない。でも、アイツの努力はみんなが知っていて、だから最後の1打席は立たせたいという監督の気持ちが入っていたんだと思う。バッターボックスにアイツが立った時、俺もちょっと感動してさ。チームの為にありがとなってそんな気持ちになった。陰で沢山支えてくれていたんだなって。」「なんだか堪らないね。10番目の選手って大きな役割だね。本人は色んな気持ちがあったと思うんだよ。でも、野球が好きで、仲間が好きで、そんな純粋な気持ちが伝わってきて、最後の打席は本当に感極まった。」「S、お前本当に野球が好きなんだな。そんな風に試合を見てくれていたんだなって思うと嬉しいよ。」「とってもいい試合だったよ。録画した野球中継を観たらまた泣けてきた。」ありがとな。パシっとボールが私のグローブに収まった時、彼の気持ちが真っ直ぐに届きました。俺達の青春は終わったけど、この気持ちは忘れない。

翌年、大学1年になり、甲子園予選がどうなっているだろうとぼんやりローカルニュースを見ていると、母校が早い段階で敗退したことが分かりました。映し出されたのは、去年サードを守り、ピッチャーの控えだった新エース。その後、校内のみんなが作った千羽鶴を対戦相手に渡しに行く場面が流れ、先輩達の想いを引き継いでくれたことが分かり、感無量でした。10番目の選手、バッターボックスに立った時、普段光を浴びない彼の背中は、優しく光っていた。私にはそう見えて。チームの為に、そして最後は自分の為に。今彼は、どんな人生を歩んでいるのだろう。エース君が、あなたがいたから支えられたと言っていたよ、それってもう補欠じゃないよね。公式戦最後の試合で送り出された最終打席は、みんなからのプレゼントだったんじゃないかな。そんな彼は、その瞬間を今でも大切に持ち続けていることは容易に想像できて。ポンポンと叩かれた背中は、次へのステージだったんだ。草野球でも楽しんでくれていたらいいな。